umiwoyaburu.jpg人類史上最大の帝国・元の侵略を退けた立役者である伊予の河野六郎通有の苦闘と人間愛への信念をダイナミックに描く。元の襲来を迎え撃つ御家人たちの姿が生々しく活写される力作。

源頼朝から「源、北条に次ぐのは河野よ」と称えられたほどの伊予の名門・河野家は、承久の乱で京方に加担し惨敗、所領のほとんどを幕府に没収された上、一族の内紛により没落、今や辺境の貧乏御家人となっていた。河野通有は伯父・通時との確執・緊張関係、一族の疑心暗鬼を抱えながらも、河野家再興へ努めていた。またその頃、西域(るうし)出身で金髪、碧眼の奴隷の娘・令那、同じ奴隷で高麗の農民出身の繁を周りの反対もかかわらず抱え込んだ。

そうした不安定な状況の中、元が巨大な船団を抱えて侵攻(1281年、弘安の役)、幕府から守りに着くよう命が下る。今は一族で骨肉の争いに明け暮れている場合ではない。通有は河野家をまとめ上げ、元を迎え撃つべくやっと作り上げた巨大な三百石船・道達丸をもって博多湾に向かうのだ。そこにはその数約ニ万人、 西国の御家人がこぞって集い、半里にも及ぶ石築地(防塁)が築き上げられていた。

「神風」によって勝利を得たと言われるが、それは最終であって、そこに至る間の戦いはまさに壮絶。世界どの地でも、元に抗したものは焦土と化した。陸に上げてしまえば絶望的。「河野は正気か・・・・・・」――河野だけは石築地の前に出て浜に陣取った。河野の後築地と呼ばれるものだ。そこに元が「水平線を縁取るような黒い線が見えた。徐々に線は面へと変貌を遂げていく。青々とした大海が破られたかのような錯覚を起こした・・・・・・白波が喰われているようだ」「ついに来たか」・・・・・・。繁が叫ぶ。続いて占拠された志賀島への攻撃。ここでも河野は中道を突破するだけでなく、海からも同時に攻める作戦を立て、先陣を務める。捨て身の戦いの今際の際に、伯父の通時は河野家の内紛の真実を語る。通有にとって、初めて聞く真実に驚愕し涙する。そして志賀島で元を撃破、日ノ本軍は大勝、河野家は喝采で迎えられ激賞される。

「なぜ、人と人は争わねばならないのか」「なぜ元は次々に他国に侵攻、拡張しようとするのか」「なぜ人はわかりあえないのか。親兄弟身内でも」――こうした問いかけが「内紛、戦争」のたびに問いかけられ、河野一族に連なる踊念仏の創始者・ 一遍(別府通秀)がたびたび登場し、通有と語り合い無常感の深みを増す。そして元との最終決戦。そこで吹く野分。さらに通有は"人命"を救う驚くべき行動をとっていくのだ。なんと恩賞どころか正反対の憂き目にさらされ・・・・・・。

蒙古襲来――日本を覆う絶望的危機感の中でこそ顕われる魂の噴出を、爽快に思う。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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