nihonnjinn.jpg「この地球上に、いまだかつて神をもたない民族はなかった。なぜ人は神を求めるのであろうか」――。そして今、「現代は、日常の生活空間から人間以外の存在を放逐してしまった時代である。前近代の日本列島では、人々は目に見えない存在、自身とは異質な他者に対する生々しい実在感を共有していた。神・ 仏・ 死者だけではない。動物や植物までもが、言葉と意思の通じ合う一つの世界を構成していた。人々はそれらの超越的存在カミのまなざしを感じ、その声に耳を傾けながら、日々の生活を営んでいた」「共同体の人々は、宗教儀礼を通じてカミという他者へのまなざしを共有することによって、構成員同士が直接向き合うことから生じるストレスと緊張感を緩和しようとした」「カミの緩衝材の機能は、人と人のあいだだけではなく、集団同士の紛争処理を可能にした。そこには神の実在に対するリアリティーの共有があった」と言う。近代の世俗化の進行とカミの世界の縮小が神仏だけでなく、死者も動物も植物も排除され、特権的存在としての人間中心主義のヒューマニズムを生み出している。しかし、現代人の生と死の間に明確な一線を引くことができるという死生観は、人類の長い歴史の中で見れば、近現代だけに見られる特殊な感覚だと言う。「前近代の社会では、生と死の間に、時間的にも空間的にもある幅を持った中間領域が存在すると信じられていた。呼吸が停止しても、その人は亡くなったわけではない。生と死の境界をさまよっていると考えられていた」と指摘。近代社会は「異形の時代」であり、「集団間の緩衝材、息の詰まる人間関係の緩衝材の消失の時代」であり、人類が千年単位で蓄積してきた知恵を発掘していくことの必要性を述べている。

指摘は構造的で実在的だ。宗教思想や文化変容の背景には、社会構造の変動に伴うコスモロジー(世界観)の変容があるとする。基本ソフトとして、コスモロジーの変容があって、それが応用ソフトとしての個別思想の受容と展開を規定すると言う。「個々人の救済をどこまでも探求する『鎌倉仏教』誕生も前提には、新たなコスモロジーの形成があった(悟りへの到達=生死を超えた救い、不可視の他界の実在がリアリティーを伴って共有される)」と言うのだ。「仏を我が内に見る」という大乗仏教の受容もコスモロジーの変容、社会の転換と連動しながら精神世界の奥底で深く静かに進行する地殻変動があっての故である。

日本人はどう「神」を捉えてきたか。まず「人々が最初に人間を超越する存在(カミ)を認知したのは、畏怖の念を抱かせる自然現象や驚異的なパワーを有する野生動物」だった。やがて「カミの形象化(土偶など)が始まり、それが集団のカミのイメージの共有=信仰の形成となる」。そして7世紀後半、「祭りの時に呼び出されてきたカミが特定のスポット(神社)に常駐。国家と天皇を永遠に守護し続けるものとなる」。10世紀後半、「ある種のカミ()が、絶対的存在=救済者にまで引き上げられる。一方で被救済者としての人間に内在する聖性が発展されていく」。仏教の仏性だ。さらに生前に達成した功績によって、秀吉や家康などまでカミになる「ヒトガミのラッシュ」、普通の人間が生前の意思や努力によってカミになることができる時代が到来する。近代国民国家では「ナショナリズムが人々の心をつなぎ、止める役割を果たすようになる。日本の場合、国民統合の中心的機能になった存在が天皇だった」・・・・・・。

本書は「カミ」をめぐって、有史以前から近代に至るまでの歴史的経緯を解析する。それは「日本人の心の歴史」でもある。それにしても平安末期から鎌倉時代は、時代を画していることがわかる。天変地妖、政治・社会の大変革の時代、末法思想の渦の中にあった時代だったのだろう。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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