頓知の「一休さん」とは大違い。そんな場面は全く出てこない。民衆の人気があったことから後世に作られたようだ。「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」「有露地より 無露地へかえる一休み 風吹けば吹け 雨降らば降れ」「嘘をつき地獄へ堕つるものならば なき事つくる釈迦いかがせん」「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って 後は死ぬるを待つばかりなり」・・・・・・。禅と詩偈に狂い、風狂、破戒の道を生きた一休宗純の異端の姿を描き出す。
室町時代、高僧になれとの母の願いを受けて、京都の臨済宗の寺で修行に励む千菊丸(後の一休)だが、五山に支配された禅寺は腐敗し切っていた。詩才は認められたものの、彼は怒りを持って反発、心身を害し、死に近づくほどの苛烈な修行に身をやつしていく。
母は後小松天皇の寵愛を受けていた、しかも南朝の楠木一族の女性。そうした帝の血をひく千菊丸の前に、将軍寵臣の赤松越後守が現れ、自らの権力闘争に利用しようとしてくる。
南北朝統一後、飢饉、疫病、災害が続き、屍を野犬が食う有様。土一揆が頻発し、やがて応仁の乱で京は焼け野原と化していく。一休の求めたまことの禅は五山の支配と腐敗・堕落のなか、どこにも見い出すことができなかった。本当の救いとは、人間とは、無とは何か。一休は民衆の真っ只中に身を投ずる。女も抱く。破戒もする。己の中に流れる南朝と北朝の血、野心と奸智の赤松越後守を殺害した山名宗全とのアンビバレント的関係、同じく禅を極めようとする師兄・養叟との相剋、傾城屋の遊女・妬月子(地獄大夫)と森(しん)との出会い・・・・・・。激しく生きる者達たちの接触には、火花が飛び、亀裂には血が噴出する。山名と細川の激しい抗争、いつまでも燻る南朝再興の動き、絶望的な民衆の苦悩。室町時代後期の窮状が破戒僧一休に収斂されるかのようだ。養叟との相剋はまことの禅の闘争だけに激しい。簡易な大衆禅が真なのか、破戒と修行に徹する風狂禅が真なのか。
愚道一休は長生きだった。「一休は己という容れ物が円に変わった様子を想像した。それが、究極の一点へと集約されていく様を、六根全てを使って感じようとした。美しい円は、極限の点へと変わる。刹那、一休は叫んだ。渾身の力を使って。己の六根を全て滅却して。無――と」と結んでいる。