makiguti.jpg新牧口常三郎伝の「完結編」。「国家権力との壮絶な死闘、そして殉教」が副題。1937(昭和12)から1944(昭和19) 1118日、東京拘置所で逝去するまでの激闘、崇高な生涯を描く。徹底した調査・ 研究しての力作で心に迫ってくる。

1937年秋の幻の『創価教育学会発会式』」以降、個人人脈を広げることによる弘教拡大が北海道、九州を始めとして展開され、193912月、創価教育学会第一回総会が開かれる。自ら歩いて一人に会って折伏する、どこまでも一人一人を大切にする行動姿勢は凄まじい。心血を注いで完成した教育学の普及よりも、日蓮大聖人の仏法を流布することに奔走したのだ。しかし時代は軍国主義へ泥沼化し、宗教統制(宗教団体法施行=昭和154)も進んでいく。その中で、牧口先生は大善生活法を訴え、滅私奉公の戦争政策を拒否する。天皇制ファシズムに対する驚くべき「非戦のデモンストレーション」まで行うのだ。「反戦」や「非戦」を表現せず、「大善生活法の実践」を表のテーマとしたのだ。「九州に弘教の旅、特高警察の監視下でも堂々と」――特高の前で、神主とヤクザ風の男の中でも堂々と弘教を行った姿が描かれるが凄い。

そして日米開戦――。座談会活動の重要性を徹底してまっすぐに進む。1942(昭和17)、「価値創造」の廃刊命令が下るが、牧口は怯まない、退かない。弘教拡大の波が増してゆく。194211月の教育学会第5回総会では会員数が4000人に達したと報告をされる。そうしたなかでの「総本山大石寺からの呼び出しと神札問題」。牧口は宗門に国家諫暁への行動を訴えていくのだ。

宗門が権力に下るなか、「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである。いまこそ、国家諫暁の時ではないか。なにを恐れているのか知らん」・・・・・・。そして昭和1876日、治安維持法違反、並びに神宮に対する不敬罪の容疑で逮捕される。会員も次々逮捕される。牧口先生は、その取り調べを国家諫暁の場とし、拷問や横暴な取り調べにも、一切屈しなかった。

牧口先生、戸田先生、池田先生に貫かれる師弟の死身弘法が心に迫ってくる。軍国主義の時代考証もしっかりされている熱量ある労作。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ