今日30日、早朝から地域の少年野球大会やもちつき大会などの緒行事、街頭演説など、地元の北区・足立区をまわっております。

私は地元・足立区の代表として、元気で安全な地域づくりのために全力をあげてきました。

竹ノ塚立体交差の視察(2012年11月)まず「竹の塚駅付近の連続立体交差事業の推進」です。これは、2005年3月15日に4人の歩行者が踏切で死傷する痛ましい事故が起きたことを受け、足立の方々とともに、その直後から取り組んできたものです。私自身が何度も国交省に出向いて大臣との協議・打ち合わせを行ないました。多くの方の努力があり、2012年11月4日に、7年という異例のスピードで都内初の区施行の形で工事着工できました。

竹ノ塚立体交差の様子(2014年)現在現場では鉄道を高架化するための橋脚が立ち上がってきており、これから駅周辺のまちづくりも大きく変わります。地元の安全と活性化のために是非とも進めなければならない重要な事業として、2021年3月の完成に向けてこれからも着実に事業を進めていきます。

次に「日暮里・舎人ライナーの早期開業」です。2008年3月30日に開業した日暮里・舎人ライナーは、いまでは足立区の皆さんが多く利用する地域の足。完成が遅れてきましたが、私は「何としても2007年度中の開業を」と多くの方とともに早期開業に走り、実現しました。朝と夜の増便もでき、これからも沿線の利便性の向上のために取り組んでいきます。

芝川水門の視察(2012年5月)さらに「荒川の洪水から足立区を守るための対策」です。その一つは、芝川水門の耐震補強や堤防を盛土して強化する工事を進めています。堤防の盛土部分は桜を植樹して「桜づつみ」として整備するとともに、いざというときは土のうを作れるようにしています。

そしてもう一つは「荒川下流域のタイムライン」です。タイムラインとは、台風上陸の3日前、1日前、12時間前といった時系列で、行政や企業、交通機関などがとるべき行動をまとめたもの。台風上陸前から計画的に避難に向けた対策をとることが可能になります。私は今年8月、足立区、北区、板橋区の荒川下流域を対象に、首都圏の河川では初の本格的タイムライン策定に着手しました。3区のほか、警察、消防、鉄道、通信、電力等の関係機関が連携して、充実した計画策定を進めています。地震や洪水に強い足立区をつくるために全力をあげます。

足立区は今、大きく発展しており、5つの大学がすでに誘致され、学校給食もおいしく、地元産の野菜等も使っており、全国の模範。また若者の就業にも先頭を切って取り組んでいます。また空き家対策では全国の先進自治体で、2011年から条例が施行されて成果をあげています。この11月、国でも空き家対策の特別措置法が成立、足立区との連携が大きな成果を上げています。

これからも現場第一主義、行動第一主義で、地域の皆さんの声をしっかり反映し、地域のために働いてまいります。

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私は地元・北区の代表として、「地域の暮らし向上」「安全・安心の地域づくり」に全力で働いてきました。難しい課題にも、長年粘り強く国などに働きかけて実現してきました。

まず西が丘の「ナショナルトレーニングセンター」です。「オリンピックで活躍するトップアスリートを国をあげて育てる」――。まず科学の粋を集めて選手を育成する「国立スポーツ科学センター」の開設を推進して2001年に完成。さらにナショナルトレセンを小泉総理などに直接要望したり、国会で質問するなど実現に努力。北京オリンピック前の2008年1月、ついに完成しました。その後のオリンピックでのメダル獲得数の伸びを見ても、センターの役割は絶大です。2020年東京オリンピックに向けた拡充に、さらに頑張ります。

岩淵水門視察次に「志茂橋の耐震補強」「岩淵水門の耐震化」です。志茂橋は志茂・岩淵地域とその避難場所である荒川河川敷を結ぶ、地域にとって重要な橋。そして岩淵水門は荒川と隅田川の分岐点に位置し、洪水が荒川上流で起こったときには首都東京を洪水から守る要の水門です。その耐震化のために私は何度も国交省に足を運んで働きかけた結果、志茂橋の耐震改修は昨年9月に完成。岩淵水門の工事は来年春の完成を目指して進行中です。これからも首都直下地震等に対する地域の安全・安心のために取り組みます。

第2下田端踏切、ガードそして東田端の「第2下田端踏切およびガードの拡幅」です。ここは田端駅や商店街に近く、歩行者や自転車が多く行き交うところですが、前後区間で両側それぞれ3mある歩道が、踏切とガードで1.3mと極端に狭くなっていたため、通行に不便で渋滞や接触事故が頻発。地域の方々が20年以上にわたり拡幅を求め続けましたが、東京都・JR・国交省道路局の三すくみで進んでいませんでした。

しかし私が地域の方の声を受けて、2005年2月に衆議院予算委員会でこの問題を取り上げ、当時の国交大臣が取り組みを約束したことから状況は大きく進展。2012年9月には、深夜に鉄道と道路を止めて鉄道高架の橋桁を架け替える工事で最大のヤマを超え、難関工事が完成しました。地域の長年の悲願が実現できました。

北社保視察そのほか、JR駅でのエスカレーター・エレベーター設置などバリアフリー化、学校通学路での横断歩道設置を推進。また存続が危ぶまれていた「東京北医療センター」や「花と森の東京病院」を存続させるなど、地域の暮らしの安全・安心向上のために働いてきました。

これからも現場第一主義、行動第一主義で、地域の皆さんの声をしっかり反映し、地域のために働いてまいります。

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スタッフ激励@NTC2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されることが決まり、いちだんと注目されるのが、北区西が丘のナショナルトレーニングセンターです。

私は11月25日にナショナルトレーニングセンターを訪ね、選手・スタッフを激励しました(写真)。体操の白井健三選手、ウェイトリフティングの三宅宏美選手とコーチのお父さん、卓球の石川佳純選手など、世界のトップアスリートの激しい練習を目の当たりにしました。先日は、あの錦織圭選手もここで練習していたこともうかがいました。

スターター@NTCここでは毎年10月の体育の日に運動会が行われ、地元や東京の市民の方々がトップアスリートと参加する競技が行われます。私も毎年参加しており、長距離走のスターターになったこともあります。
 
「世界は国をあげてトップアスリートを育てている。先進国で日本は最も支援体制が遅れている」――。こうした声を受けて2001年、北区西が丘に誕生したのが、科学の粋を集めて選手を育成する「国立スポーツ科学センター」でした。私も開設に努力しました。

テープカット@NTCそして、「更なる拡大を」「選手が使い勝手の良い施設に」「北京オリンピックの前にナショナルトレーニングセンターの開設を」――こうした多くの声を受け、私は小泉総理、安倍総理(当時)に直接要望したり、国会質問等でも強く求めました。

こうして2008年1月に、ナショナルトレーニングセンターがついにできあがり、陸上のグランドも完成。北京オリンピックに間に合いました。体操、バレーボール、レスリング、ハンドボール、柔道をはじめとして専用スペースが確保され、あらゆる分野のトップアスリートを育成できる環境がついに整いました。

NTC挨拶2004年のアテネオリンピックでは、「国立スポーツ科学センター」で育成された選手が活躍。東京オリンピック(29個)、ロサンゼルスオリンピック(32個)を超えて、史上最高の37個のメダル獲得ができました。さらにナショナルトレセン開設後のロンドンでは、38個に達しました。さらに使い勝手がよくなるようその推進役になっていきます。

同センター長の福田富昭さん(JOC副会長を経て名誉委員、北京オリンピック日本選手団長、日本レスリング協会会長)とは20年余にわたるお付き合いですが、今日まで一緒になって、このナショナルトレーニングセンターの発展・拡充を推進してきました。
(センター長の福田富昭さんの、ビデオメッセージがありますのでご覧ください。)

「各競技にトップアスリートが生まれると、その競技の裾野が広がる。また裾野の広がりが山の高さ(トップアスリート)となる」これまでそう主張してきました。スポーツで元気な日本へ、さらに頑張ります。


街頭(ベビーカー)街頭で演説していると、ベビーカーを押す若いお母さんによく出会います。またお父さんがベビーカーを押しているご夫婦も見かけます。

私が「ベビーカーのマークは以前はバラバラでしたが、今年3月に統一しました。これからも一層普及させるために努力します」と言うと、「以前は満員の電車やバスにベビーカーで乗ると怒鳴られたことがありますが、マークのおかげで理解が広がりました」「ベビーカーが邪魔者扱いされなくなって助かっています」という声が返ってきます。

マーク(ベビーカー,マタニティ)このマークは、それまではスカート姿の女性がベビーカーを押すデザインが多かったのですが、男性もベビーカーを押すことを考え、男性にも女性にも見られるようにズボン姿のデザインにしたのが大きな特徴です。

私は国交大臣に就任以来、ベビーカーマークの統一のほかにも、高速道路のサービスエリアや鉄道、バスなど公共交通でマタニティーマークの普及も進めました。妊婦さんからは「妊婦であることが分からない妊娠初期でも、マークのおかげで気持ちよく席を譲ってもらえるので助かります」「妊婦は足下が見づらいので、少しの段差でも危ない。周りから気を遣ってもらって助かります」という声を何度も聞きました。

ベビーカー新マークの公表のサムネイル画像このような取り組みによって、社会全体で妊婦さんや子育て中のご夫婦、赤ちゃんを支え、温かく愛情をもって見守っていくという「心のバリアフリー」を広げていくことが大事だと思います。

バリアフリーのまちづくりと「心のバリアフリー」を進め、子育てしやすい温かい社会をつくるため、これからも取り組んでいきます。

詳しくは、ピックアップレポートをご覧ください。
>>【REPORT NO.11】女性が安心して子育てし、活躍できる社会へ


このほど、福島県相馬市の立谷秀清市長から、ビデオメッセージが届きました。
相馬市の復興への歩みと、これまでの私との連携についての報告です。

震災のその日に、奇跡的に立谷市長と電話がつながったこと、2011年3月26日に、ガソリンがないときに相馬市に行ったこと、仮設住宅の"孤独"対策を行ったこと、復興につき連携を取りながらやってきたこと。

そして、国土交通大臣になってから、災害公営住宅の第一号が完成した時に行ったこと等が語られています。

また、念願の常磐道が来月には相馬から北の部分が全通するということにもなります。東北の復興に更に全力を尽くしたいと決意しました。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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