あまりにも凄絶な人生。柳美里さんの過酷なる世界に我が身を浸み込ませるのは不可能に近い。人生、生命力を考える。
在日韓国人として生まれ、小学校ではいじめに遭い、父はパチンコ屋の釘師で博打狂、殴られ続ける母は子供を受験で縛る。自殺未遂を繰り返し、高校1年で退学処分。東由多加率いる「東京キッドブラザーズ」に入団、共に住んだが彼は闘病の末に死亡することになる。付き添いもすさまじい。86年、演劇ユニット「青春五月党」を結成、最初に書いた小説が訴えられて出版できない。芥川賞受賞(「家族シネマ」)の時も裁判中。「わたしは過去を否定しない。その過去があって、今のわたしがある」――今は鎌倉から南相馬市へ移住、原発被害の街と人の中に入る。
宿業と向きあうが、自由奔放。宿業のなかで「深い人生でなくても幸せが欲しい」と思うのが凡夫の常だが、「人生にはやらなくていいことがある」といわれても、柳さんのように次々襲いくる難題に遭遇して格闘せざるを得ないのがまた人生というものか。いずれにしても凄まじい。
21世紀の半ば、全国の原発が占拠・破壊され、国土の2割に迫る面積が立入制限区域となっていた日本。その人間の立ち入れない立入制限区域をパトロールするロボット「ウルトラエイト」たち。ある日、そこに国税庁から派遣されたという若く元気な女性・財護徳子がやってきた。この地域には、かつて人間であった者がなぜか死後蘇生・復活して「マルピー」という存在があり、その実態調査をするというのだ。
現在から100年以上も後の日本。国土はどうなっているか。原発の行方。遺伝子破壊と動植物への影響。人工知能AIやロボットの進化するなかでの人型電子頭脳と人間との共生。人間を守るようにプログラミングされたロボットと人間の「心」は通い合うのか。現実味を帯び始めたそうした社会を体感させてくれる意欲作。
「経済成長なくして財政再建なし」――。見るべきものは、「債務対GDP比」であり、それが国際標準的な基準だ。「日本の財政規律についての国際公約(G20サンクトペテルブルク首脳宣言)は『債務対GDPの引き下げ』であって、PB黒字化はそのための"手段"にすぎない」という。ところが日本は97年からデフレに沈むことになるが、税収がふえるといつも政府債務を削ろうとしてきた。消費税を上げ、小泉内閣の時の海外特需にも財政的ブレーキを踏み、安倍内閣でも消費税を上げてアベノミクスにダメージを与えた。常にPB改善が財政健全化の中核であったからだ。財政健全化のためには「増税によるPB改善」ではなく、必要だったのは「政府支出を据え置かないこと」「高成長」だったという。
「実態」市場で循環するマネーが「アクティブ・マネー」、「金融」市場に退蔵しているマネーは「デッド・マネー」。「経済成長とは金融市場から大量のマネーが実態市場に注入され、実態市場が活性化していく現象であり・・・・・・。一方、デフレ下では実態→金融市場へとマネーが"逆流"し、アクティブ・マネーが縮小していく」とし、そのためにも日銀の政策である「金融政策」と政府のPB赤字拡大政策である「財政政策」が求められるという。
「財政規律」は当然必要、しかしPBを目標にするなと、激しく「プライマリー・バランス亡国論」をいう。