41kAGO0ufXL__SX342_BO1,204,203,200_.jpg「お父さんは小さい頃、羊毛は雲みたいだと思った。・・・・・・そこに飛び込むと雲のなかにいるようで。うちの仕事は雲を紡ぐことだって思っていた」――。登校できなくなった高校生の山崎美緒。母・真紀も父・広志も悩みをかかえ、家族全体が心が通じ合わず、崩れかけていた。思い余って美緒は盛岡の祖父・紘治郎の所へ駆け込む。大正期の民藝運動の流れを汲み、ホームスパンを織っている山崎工藝社。工房に触れるなかで、美緒は自分を取り戻し、訪ねてきた父と久し振りに父娘の会話ができたのだ。

しかし、母娘の間はうまくいかない。美緒も自分自身に"信"がたち上がってこない。仕事でも追い詰められた母・真紀は「涙を売りにして。どうしてあなたはいつも女を売りにするの」と罵倒してしまう。分かりあえない母と娘、それぞれの思いが業のようにスレ違う。父・広志も会社が売却されようとし、「俺も本当に疲れた」と家庭崩壊の危機を迎える。

祖父・紘治郎もかつて同じ道に進んだ妻・香代と別れた。その妻が死に、苦悩を心にため込み、乗り越えてきた。この「おじいちゃん」の語る言葉は明らかに"境地"に達した者の言だ。壊れかけた家族が美緒を中心に、ホームスパンの糸が心の糸となって紡がれていく。


じんかん.jpg松永弾正久秀(1508年~1577年)、大和国の戦国大名――。「将軍・足利義輝殺害」「仕えた主家殺し」「奈良東大寺の大仏殿焼き払い」という人がなせぬ大悪を三つもやってのけたといわれる戦国の梟雄。信長に二度従い、二度謀反した稀代の極悪人ともいわれる男だ。その松永弾正久秀とは何者だったのか。

天正5年(1577年)、天下統一に突き進む信長の下に「松永弾正謀叛」の報せが入る。二度目の謀叛という信じ難い報せに、信長は少しも慌てず怒りも見せず、笑みまで浮かべたという。そして信長は小姓・狩野又九郎に、久秀本人から聞いた九兵衛と呼ばれた幼き頃よりの壮絶な人生を語り始めたのだ。

この世に放り出された孤児。幼き子ども同士の結合。主君・三好元長との出会い。そこで聞いた高邁な志「あるべき者の手に政を戻し、二度と修羅が現われぬ世を創るのだ。民が政治を執る」「堺の自治。人間の国を取り戻す」「戦が無くなり、武士を悉く消し去る」――。噂話の軽薄さで動かされていく世間。神や仏のエセ権威に逃げ込む人間の浅はかさ。「永禄の変の将軍義輝殺害の後に信長がもらった弾正からの初の書状――。信長はいう『思わず笑ってしまった。嬉しくてな。』『世に神はいない。当然仏もいない。それらは人が己の弱さを隠すため生み出したまやかしである。神仏がいないのに、どうして人に過ぎぬ将軍如きに阿らねばならない。将軍の権威なるものもまた、人が生み出した紛い物だと存ずる・・・・・・』という書状だった」・・・・・・。

悪名の噂が支配する理不尽な世間。それが人と人とが織りなす「人間(じんかん)」のこの世だ。久秀は弁明する道も迎合する道もとらなかった。"夢を追う道""己に正直である道"を選んだのだ。「人は己の一生に正直になればよい」「俺はつくづく人の縁に恵まれた男よ」と思ったのだ。自分を悪者にしても、恩を受けた三好家を守り、助けてくれた良縁の人々を助け、民を思い民を信じ、その正義を貫こうと思ったのだ。戦国の確執の二次元平面ではなく、時代を超えた異次元たる出世間の境地から戦国の黎明期を疾駆した。信長との共鳴盤が鳴らないわけがない。そんな松永弾正久秀が活写される。面白い。


51HGa8doBGL__SX304_BO1,204,203,200_.jpg小さな政府、規制緩和、市場原理の活用、官から民・・・・・・。フリードマン、レーガン、サッチャーから小泉政権・・・・・・。世界を席巻した新自由主義とはいったい何か、なぜ影響力をもったかを、この40年の歴史的事実を検証し、剔抉する。「経済的に自由になれば、必ず政治や市民の自由が生み出されるとまではフリードマンはいっていない」とか、「新自由主義とグローバリゼーションを僕たちは同じ意味のように使いがちだが、両者は同じではなく、むしろ所得の格差を拡大させた犯人は後者である可能性もある」など、分析はきわめて冷静で詳細。かつまた、80年代のレーガンの米国、サッチャーの英国の事情、日米の激しい貿易摩擦、米国からの厳しい内需拡大要求、行革や財政健全化への政官財と民意、ITの急進展・・・・・・。世界の全方位の動向のなかで、まとめてみると新自由主義と呼ばれるものの潮流が巻き起こっていたことが描き出される。新自由主義というイデオロギーが歴史を動かし、世界を染め上げたというのではないことがわかる。「レッテル貼りとしての新自由主義」「新自由主義へ舵を切れ!」「アメリカの圧力、日本の思惑」「新自由主義の何が問題なのか?」「『経済』を誤解した新自由主義の人びと」の各章で「新自由主義の抱え込んだ矛盾、再考」への思考が語られ、きわめて明解。しかも眼は、だからこそ「経済・財政・社会をどうするか」に注がれる。

「経済をつくりかえるためのポイントは、人びとが生きる、くらすための共通のニーズを満たしあう、『人間の顔をした財政改革』を『欲望の経済』に対峙させることである」と、「頼りあえる社会」への道筋を示す。「財政危機というおどし文句」「小さな政府が経済成長を生むという呪文」「社会的弱者は既得権者との怒り」「ムダ遣いへの犯人さがし、袋だたき政治」「所得制限が生む不公正さと社会の分断」を越えて、「みんなの必要をみんなで満たしあうという財政の保障原理に立つ」「財政とは、互酬や再分配を受け持つ社会の共同事業」「税という痛みの分かち合い」「国家は必要悪ではなく、必要である」とし、「税を財源として、すべての人びとに、教育、医療、介護、子育て、障がい者福祉といった『ベーシック・サービス』を提供する」ことを提案する。「くらしを保障しあう社会とは、じつは人間の尊厳を公正にする社会」「社会全体の幸福と個人の幸福の一致こそが、『頼り合う社会』のめざすゴール」という。「大きな政府」「消費税16%」は「財政」や「お金」の問題ではなく、「人間の尊厳」「"縮減の世紀"は人道の21世紀に」という哲学に立脚する。それゆえ「MMT」や「ベーシック・インカム」も切る。「BIではなく、ベーシック・サービス」だ。「経済への依存」「苦痛に満ちた労働」「かせぐ人とはたらく人(専業主婦も)の距離」「終わりの見えない就労」「奪われた自由」――そうした生きづらさに覆われた社会を変えよう、と主張している。


41o0ImyqeyL__SX339_BO1,204,203,200_.jpgコロナについては語っていないが、「人間と自然」「人間とは何か」「人間の危機」「文明と人間の幸福」等について、根源から問いかける対談。重要で面白くて深い。「もとより虫屋とサル屋。人間を外から眺める視点が一致した」「暮らしを支えている自然を読み解く能力を鍛えるきわめて特殊な体験を積み重ねてきたことになる」「最近、人間のやっていることは、優劣をつけたがって競争ばかりしている。人と付き合えなくなって引きこもる。仲間と違うことを前提に共鳴しあうのが幸福だと思えるのに、争い合いながら均質化の道を歩んでいる。それは人類が歩んできた進化の道から逸脱し始めているのではないか」「人間以外の自然とも感動を分かち合う生き方を求めていけば、崩壊の危機にある地球も、ディストピアに陥りかけている人類も救うことができる」と山極氏はいう。

人間を外から眺める二人からすれば、どうも今の"人間は変だ""逸脱している"ということが見えている。「微生物も虫と人間も共鳴している。生命の世界は共鳴する世界だ」「私たちが失ったもの――道路の拡張、海岸線の破壊。サルもシカも身近に姿を現わす異変が急増している。東のサルと西のサルのように列島構造線で切れている。房総半島のサルは形態的にも遺伝的にも違う」「コミュニケーション――自然との会話ができなくなった(言葉を持つ以前の人間はもっと生物とコミュニケーションをしていた)」「情報化の起源――言葉、交換。言葉が『蓄積する文化』をつくった」「森の教室――危ない世界を身体で学ぶ、"論理vs感覚"の衝突、倫理というのは論理ではない」「生き物のかたち――オスは選ばれる性でメスは選ぶ性」「日本人の情緒――カルテのような情報化が進むが現物は違う、システムがあって現物がなくなる。理性的な社会をつくろうとして妙な社会ができちゃった」「微小な世界――ヒゲのなくなった人間、動物はいろんな音を聞いたり察知している」「価値観を変える――感じない人を大量生産している日本社会、受動的人間になっている。好奇心があってこそ人間の面白さ」・・・・・・。

そして「人間の身体が幸福に暮らせる環境というのは地球の環境だ。しかし人間は地球を使い捨てにしている」「こぼれ落ちていくものほど価値があり面白い(虫も)」「人間どうしのつながりには常に自然が介在していた(季節の移り変わりと生老病死、衣食住)」「人と人はヴァーチャルにはつながれない」「安全は科学技術でつくれるが、安心は人が与える。人への信頼、自然への信頼が大切」といい、自然と人間とも感動を分かち合う生き方を求めていこう、という。


スティグリッツ プログレッシブ キャピタリズム.jpg今年1月、コロナ禍の直前に出されたスティグリッツの警世の書。「万人に仕事やチャンスを提供する力強い経済を回復する」「万人にまともな生活、中流階級の生活を提供する進歩的資本主義」を熱く訴える。現在の「一部の勢力の豊かさ」ではない。「万人の豊かさ」であり、「分断なき世界」。そのためには政治を変えなければならない。「政治と経済を再建する」「ますます必要とされる政府」を志向せよ、という。その背景には、スティグリッツの「クリントン政権に参加してから25年がたったいま、私はこんなことを考えている。どうしてこうなってしまったのか? これからどうなるのか? この進路を変えるにはどうすればいいのか?・・・・・・少なくともその原因の一端は経済の失敗にある。製造業中心の経済からサービス業中心の経済への移行がうまくいかなかった。金融産業を制御できなかった。グローバル化やその影響を適切に管理できなかった。そして何よりも、格差の拡大に対応できなかった。その結果アメリカは『1パーセントの、1パーセントによる、1パーセントのための経済や民主主義』へと変わりつつある」という憂いと格闘がある。

アメリカを始めとする先進国が陥っている病弊――。成長の鈍化、チャンスの減少、不安の高まり、格差の拡大、社会の分断・・・・・・。その脱出のために必要な肝心の政治が麻痺している。分断と差別、保護主義に走るトランプ政権には、"誤った減税政策""医療の弱体化"を含めてとりわけ厳しく否という。「トランポノミクスでは、富裕層への減税、金融の自由化、環境規制の撤廃が、移民排斥や保護貿易といった厳しく規制されたグローバル体制と、特異な形で結びついている」「格差が拡大した国では、経済が悪化する。成長を鈍化させる」「経済だけではなく、アメリカは人種、民族、性に基づく格差にも引き裂かれている。これらは容赦のない差別から生まれている」・・・・・・。「経済、医療、資産、チャンスの格差を見れば、"市場に任せる"というスローガンはもはや意味を成さない」というのだ。

「市場支配力は価格を上昇させ、賃金を低下させるなど、消費者や労働者を搾取する。イノベーションが市場支配力を生み出し、合併、買収などで支配力を増す。抑制が不可欠だ」「グローバル化によって国家は自らの首を絞めている。保護主義は問題の解決にならない。広い範囲で実り豊かな通商ができるグローバル化に修正する。これまでの強者に有利なものでない労働者や消費者、環境、経済を犠牲にしないルールだ」「市場の力だけでは対処できないことがある。環境保護、教育や研究やインフラへの投資、重大な社会的リスクに対する保険の提供などだ」「イノベーションは適切に管理されなければ、万人を豊かにするどころか、全く逆の効果をもたらす。最も重要なのは完全雇用の維持。金融政策でそれが実現できなければ、財政政策(減税や支出の増加、公共投資を増やす)を利用。どちらの政策も総需要を刺激し、完全雇用に戻る」「財政政策の効果が大きい分野が、インフラである。インフラへの投資はここ数年にわたり不足している」「新たなテクノロジーは、プライバシーやサイバーセキュリティの問題など、新たな課題も生み出す。市場に任せておけないことだけははっきりしている」・・・・・・。まさに一致して行動する共同行動が必要だ。競争が活発で、公正で活力のある経済実現のために、民主主義の再建、政府の役割が重要な手段となるというのだ。

20世紀の工業中心の経済から、21世紀の環境に配慮したサービスやイノベーション中心の経済へどう移行したらいいのか――。環境に優しい経済、高齢者・医療・介護など社会保障の向上、教育、住宅、インフラ、社会的公正を推進していく政策だ。成長と生産性の鈍化に対しては、「労働力の増加(女性・高齢者・移民)」「生産性の向上(市場支配力=独占は経済をゆがめ、インフラへの投資不足がある。学習する社会が大切。科学やテクノロジーに投資)」「社会的公正(機会均等、差別をなくす、世代間平等=政府赤字はまずい)」・・・・・・。そして「私が提案した政策を採用すれば、アメリカ国民全員が、選択、自己責任、自由、平等、道徳的価値観というアメリカの価値観と一致する望ましい生活を実現できる」「ぜひとも成し遂げる必要がある」と強く提言する。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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