nihonjinga.jpg「中国東北部の建築遺構を訪ねて」が副題。満洲国は、13年半ほどしか存在しなかった「国」だが、日露戦争、ポーツマス条約以降を考えれば、日本が約40年、「満洲は日本の生命線」というように投入した熱量はきわめて大きい。多くの歴史書や小説を読んできたが、本書は船尾修氏が、旅順、奉天(瀋陽)、新京(長春)、大連、ハルビン、安東(丹東)などを回り、建築遺構を訪ねて文を書く、写真紀行だ。きわめて面白く、「満洲とは何であったか」が浮き彫りにされる。しかも満洲全域にわたって俯瞰的に時代を見るがゆえに、きわめて有益であった。

 満洲事変の舞台となった奉天、原野の首都建設計画の新京、満鉄の存在と役割、皇帝・溥儀が信じた偽りの復辟、ハルビンの悪魔の誘惑と731部隊、ロシア系ユダヤ人の受難、炭鉱の都・撫順・・・・・・。地図と事件が結びついてきた。


beniiron.jpg吉村昭と津村節子夫妻。それぞれ自立した作家でありながら二人三脚。作家というとてつもなく厳しい世界に身を置き、徹底した取材で透徹した世界を描ききった吉村昭。「3日以上家を空けられない。とにかく書斎に入りたいの。書いているうちにわからないことが出てくればまた行く。だから長崎にも107回も行った。一緒に長崎に行っても、あの人は取材だけなのよ」「ぱっと出かけるのよ。異常な執念よ」「あなたが(大河内昭爾)、司馬さんを史談小説、吉村のは史実小説と区別をしたのはうまいです吉村昭さんは文明論をやらないで、史実しか書かない」・・・・・・。凄まじい世界が語られる。小説家として生きる事は至難の業。吉村昭は「絶海の孤島から壜に手紙を入れて流し、拾ってくれる人がいるのを待っている心もとなさだ」と言ったという。吉村昭・津村節子夫妻は、ひたすら同人雑誌に書き続けた。本書を通じて作家として生きる執念を感じる。

 「火事明リ」「遊園地」など津村節子の短編にはキレがある。「追悼・吉村昭――ストイックな作家の死」という津村節子と大河内昭爾の対談は、吉村昭の凄さを私生活からも抉り出している。「桜田門外の変」にも「尊厳死の否定」にも触れ生々しい。「ポーツマスの旗」「戦艦武蔵」の俊敏な取材や鋭い歴史感覚に納得する。「夫が『花の好きな女だなあ』と言っていた。・・・・・・私はあじさいが好き」「飛脚の末裔――せっかく散歩しているのに、お前の先祖は飛脚か、といった吉村の声を思い出した」など、とても面白く心に響いてくる。

 「観光地のあり方」の中で「かれは桜田門外の変は2.26事件と通じるところがある、と言っていた。維新と敗戦という共に内外の情勢を一変させた原動力で、井伊大老暗殺事件を書いた作品の中に坂本龍馬についての記述はあるが、さして重要な役割を果たしているようには書かれていない」とある。安倍元総理銃撃事件の後だけに、特別な思いにふけってしまう。


suityuu.jpg若き哲学研究者として、学校・企業など幅広く哲学対話を行っている。難しい哲学書とは大違い、現代社会の日常の中で感じ、思索した「手のひらサイズの哲学」「あなたと哲学したあの曖昧な時間、水中に深く潜り、頭の中で何度もでんぐり返しをするような心持ち、ぐらぐら揺れる足場の感覚が消えてしまう」瞬間をとらえて示す。哲学は「存在」「生老病死」の意味を問うことであり、答えのない世界を考え続ける人間の営為だ。正解主義の思考停止の誘惑を断ち切ることだ。数千年にわたる人類の「生」への格闘に学び、自らのものへと根を張っていくことだ。

「当たり前のものだった世界が当たり前でなくなる瞬間。そこには哲学の場が立ち上がっている」「哲学をすることは、世界をよく見ることだ。くっきりしたり、ぼやけたり、かたちを変えたりして、少しずつ世界と関係を深めていく」「何かを深く考えることは、深く潜ることに例えられる。哲学対話は、人と一緒に考えるから、みんなで潜る」「哲学対話は共感の共同体でもない。弁証法だ。弁証法は異なる意見を前にして、自暴自棄に自身の意見を捨て去ることではない。ただ単に違いを確かめて、自分の輪郭を浮かび上がらせるのでもない。異なる意見を引き受けて、さらに考えを刷新することだ。中間をとるのでもない。妥協でもない。対立を、高次に向けて引き上げていくことだ」「ヤスパースは、哲学することの根源は、驚異と懐疑と喪失の意識であると言った。驚異から問いと認識が生まれ、認識されたものへの懐疑から批判的吟味と明晰さが生じ、自己喪失の意識から自身に対する問いが生まれる」――。ヤスパースのこの言葉について、永井さんは「ツッコミと不満」を追加する。「総括して申しますと、『哲学すること』の根源は、驚異・懐疑・喪失・不満・ツッコミの意識に存している。・・・・・・バカみたいになってしまった。ヤスパースがボケになってどうする」という軽いノリで言い切ってしまう。なかなかできないことだ。


karuro.jpg「科学の冒険は、紀元前6世紀の古代ギリシャのアナクシマンドロスの革命とともに幕を開けた」「アナクシマンドロスは、高いところに空があり、低いところに地面があるという世界を、大地は虚空に浮かんでいる、大地は宙に浮いている。空間に絶対的な高低は存在せず大地は宙に浮かんでいると洞察した。それは、西洋の思想を何世紀にもわたって特徴づけるであろう世界像の発見であり、宇宙論の誕生であり、最初の偉大な科学革命だった」という。カルロ・ ロヴェッリは、理論物理学の研究者。専門とする「ループ量子重力理論」は、20世紀の物理学が成し遂げた2つの偉大な達成、一般相対性理論と量子力学の統合を目的とした理論だ。最近読んだ著者の「世界は関係でできている」は刺激的であったが、本書は10年ほど前の著作である。「科学とは何か」について、アナクシマンドロスに焦点を当てながら、極めて哲学的に丁寧に論を進めている。この論じ方自体が「科学とは何か」を鮮やかに浮き上がらせている。感動的でさえある。 

アナクシマンドロス(紀元前610年頃―紀元前546年)は、小さなポリスに分割されたギリシャ世界のミレトスに住み、アナクシメネスとともにイオニア学派の代表とされる。自然哲学について考察し、万物は水であるとしたタレスの後に続いた最初の哲学者ともされる。万物の根源(アルケー)が、「無限なるもの(アペイロン)」であるとしたが、「大地は虚空に浮かんでいる」は単なる発見ではなく、「概念上の跳躍」であり、最初の「科学革命」であったと強調する。「雨を降らすのはゼウスであり、風を吹かすのはアイオロスであるとするような、これら現象を神の意思や決定から切り離し、自然のうちにその原因を見出そうとする試みは当時には皆無であった」。神々を冒涜し、都市の若者を堕落させたとして怒りを買うが、その後ソクラテスがアテネの裁判で死刑に処せられるなど人類の歴史、科学の歴史はガリレオを見るまでもなくこれが続いた。太陽が東に出て西に沈む、蒸発した水が雨になる・・・・・・。アナクシマンドロスは知性と好奇心を組み合わせただけだが、「大地は宙に浮かんでいる」は難問で、それなら「大地が落下しない理由を説明しなければならない」のだ。アナクシマンドロスは「落下する物体は何かに支配されているということ」との思索を巡らせた。アナクシマンドロスは「自然界には法則が存在し、事物が時間の中でどのように変化するかは、この法則が確定している」と自然法則という考え方をもった。同時代にごく近くに住んだピタゴラス、そしてプラトンへと続き、コペルニクス、ガリレオ、ファラデーとマクスウェルの電磁場、アインシュタインの歪んだ時空間、シュレーディンガーの波動力学の関数・・・・・・これらはみな、現象の複雑さを統一的、有機的な仕方で理解するために科学によって提案された、感覚によっては捉えられない「理論的な実体」であり、アナクシマンドロスがアペイロンに託した役割、機能を担っているものだ。見逃してはならないのは、このような自由な知は、ギリシャの都市は王を追放し、創造者、組織者としての神への隷属から解放され、文化の交流がなされていたことによる。

 「科学は世界像を構築する役割を担っている」「科学が存在する理由は、我々が限りなく無知であり、抱え切れないほどの誤った先入観にとらわれているからである。好奇心と知っていると思っていた事の問い直し、これこそ科学の探求の源泉である」という。つまり科学の探求とは、概念化された世界像を絶えず修正し、改良する過程である、というのだ。加えて大事な事は、科学の革命は単なるひらめきや先達の否定によるものではない。「事情はその反対である。既存の理論、すなわち蓄積された知に立脚する力こそ、科学が前進するための原動力である」ということだ。「科学とは、世界について考えるための方法を探求し、私たちが大切にしているいかなる確かさをも転覆させて倦むことのない.どこまでも人間的な冒険である」という。

 最後に、カルロ・ロヴェッリは前ー科学的な思考について述べている。「神々に頼らずに世界を理解せよ、というアナクシマンドロスの提起。自然主義的な思考と神話・宗教的な思考の本質的な違いはどこにあるのか」を問いかける。「ベルクソンは宗教を、知の解体的な力から社会を防衛する存在として認識していた。だが、無知の解体的な力からは、一体誰が私たちを守ってくれるのだろう」と問いかけるのだ。そして、私たちの社会が理解の及ぶレベルをはるかに超えて複雑化している現在、「空虚な確かさに閉じこもるのか、あるいは、知の不確かさを受け入れるのか、選択を迫られている」と語り、カルロ・ ロヴェッリは、後者を選び、神話・宗教的思想から世界の理解を解放すること、世界を理解する方法を模索することに真摯に挑みたいと言う。


gaikokujinsabetu.jpg外国人との共生、共に働く日本社会を築くことは、未来を考えてもますます重要なこと。入管の実態や技能実習の現状、難民の受け入れ等について、フォトジャーナリストとして現場で相談を受け、取材したレポートと対談。

 「そもそも『収容』とはどんな措置なのだろうか。仕事を失ってしまったとか、困難を抱えて学校に通えなくなってしまった、パートナーと離婚した――それは生活していれば誰にでも起こり得る生活の変化のはずだ。けれどもこの変化によって、日本国籍以外の人々は、日本に暮らすための在留資格を失ってしまうことがある」「『収容』とは本来、在留資格を失うなどの理由で、退去強制令を受けた外国人が国籍国に送還されるまでの準備として設けられた措置のはずだった。人を施設に収容するということは、身体を拘束し、その自由を奪うことであり、より慎重な判断が求められるべき措置のはずだ」「ところが実態を見てみると、収容や解放の判断に司法の介在がなく、入管側の一存で、それも不透明な意思決定によって決められていく。しかも収容期間は事実上無期限だ」と厳しく言う。そして「全件収容主義」「外国人は常に管理、監視、取り締まりの対象とされてきた戦前からの見方」を糾弾し、「難民であれ、移民であれ、在留資格を持たない者たちが一様に、犯罪者扱いされるのが日本」と言う。「人権なんてここには全くない」とし、名古屋のウィシュマさんの死亡事件、ベトナム人の女性技能実習生のリンさんが死体遺棄罪に問われた事件など現場の実態を報告する。

 「長きにわたり、日本社会は内に差別と偏見を抱えてきた。私たちの社会は、未だ差別を克服していない」と糾弾する。外国人とともに地域で共に生き働く社会へ、現在、大事な時となっている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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