11ninnno.jpg「吉田松陰から丸山眞男まで」が副題。幕末から明治、大正、昭和まで、日本を牽引した思想家11人を取り上げ、その思想の背景、骨格を鮮やかに描き出す。きわめてシャープ、大胆かつ明快でわかりやすい。頭が整理される。11人とは吉田松陰、福沢諭吉、岡倉天心、北一輝、美濃部達吉、和辻哲郎、河上肇、小林秀雄、柳田國男、西田幾多郎、丸山眞男。

吉田松陰(尊王と軍事リアリズム)――松陰には純粋すぎる理想家、夢想家といったファナティックなイメージがつくが、それはおそらく違う。根幹にあったのは、幕末の緊迫した国際情勢のなかで日本はいかにして生き残れるかという難問に、極めてリアリスティックな軍学で対処する軍事的アナリストであった。松陰の尊王思想に影響を与えたのは水戸学であり、忠誠の対象は毛利でも長州藩でもなく、天皇であった。西洋の侵略に対し、日本の独立を守るためには「億兆心を一にすること(会沢正志斎)」であり、天皇中心の中央集権国家しかない。従来の精神論ではなくリアリズム、多くの人々を兵士として動員するためには「教育」だと言う。松下村塾も奇兵隊もそこから出てくる。

福沢諭吉(今も古びない『お金の思想』)――法律や政治よりも経済が上。金儲けを卑しむ江戸時代の朱子学的規範を打ち砕いた「お金とドライなリアリズム」。人間が独立して生きるにはお金が大事だという経済リアリズムが、福沢の思想にあると言う。「福沢にとって蓄財とは、個人が独立を達成する条件」「一身独立して一国独立する――お金がないと、国防も福祉も教育も充実できないから税を重視」

岡倉天心(エリート官僚が発見した『アジア』)――英語エリート官僚・ 岡倉天心は20代で芸術行政の中枢に。西洋に対抗するために、外の世界を見る西洋。心の内側、主観で見えたものを表現する東洋美術、宗教も含む東洋思想のアジア主義に立った。「東洋の覚醒」「東洋精神の伝道」である。

北一輝(未完の超進化論)――「国体論及び純正社会主義」の中に、「生物進化論と社会哲学」が書かれている。生物に関するダーウィンの進化論をハーバード・スペンサーは、「社会進化論」として展開した。帝国主義や植民地政策の正当化理論ともなる考えに、日本でも同調するものがあり、北一輝は社会主義と進化論を結びつける。「お互いがお互いのものをやり取りするようになる相互扶助的な状態が、社会進化の究極であるというのが北一輝が考える純正社会主義だった」と言う。

美濃部達吉(大正デモクラシーとしての天皇機関説)――天皇は、憲法の下に置かれた国家の機関である。機関説は天皇は憲法に縛られる存在と規定するが、天皇主権説は、天皇を縛るものなどあってはならない、憲法を超えた存在として天皇はいるとする。美濃部は、「君民一致こそが国体であるとし、天皇中心の政治は、議会中心の政治とイコールと言っても差し支えないのではないか」と言う。大正デモクラシーの目が背景にある。

和辻哲郎(ポスト『坂の上の雲』時代の教養主義)――大正デモクラシーとともに、大正教養主義がある。夏目漱石門下生も多い。そこで重要なのは「人格」。ポスト「坂の上の雲」の価値観が日露戦争の後に生まれ、平和ムード、目的喪失の脱力感、集団主義や立身出世主義への嫌悪感が、新たな人間観を模索(漱石の小説)。不安を出発点とした「人格」と、「人間の学としての倫理学」にある「間柄」の重要さを説く。

河上肇(「人間性」にこだわった社会主義者)――明治以来、産業、経済の近代化が進んだが、貧富の格差が拡大した。大ベストセラー「貧乏物語」は、そうしたなかで生まれた。唯物史観に徹しきれなかった。

小林秀雄(天才的保守主義) ――「小林秀雄という人は、基本的に一つのことしか言っていない。なんでも科学的に説明できると信じる人間が増えると、世の中はダメになるということ」だ。「理屈、理論、理性などで人間というものがわかるはずはない」。「小林は、文学や芸術とは、今、自分にとって最も大事なものを、間違ってもいいから直観で把握して、情熱的に向かっていくべきものだ、と考える。理屈というものは、人間本来の瞬間瞬間を生きる生命力を削ぐものである。人間は失敗して退場して、再び打席に立って、の繰り返しでいいのだ。直観で生きよと説くのである」

柳田國男(「飢え」に耐えるための民俗学)――農政官僚として柳田が直面した危機とは、第一次産業の衰退、農民の破綻、飢饉。昔の人はどう乗り越えたか、それが民俗学の研究に導いた。日本人はどう不条理を乗り越えてきたか。

西田幾太郎(この世界の全てに意味はある) ――人間が理性を保って一貫していると考えたいのが、啓蒙思想以来の西洋近代の思想。福沢諭吉の独立自尊も、美濃部達吉のデモクラシーも、北一輝の超人思想も。「西田にとって、人間とはそんなにしっかりしたイメージでは捉えられない」「うまくいっていない人間にも生きる意味はある」「未来に価値がある進歩思想ではなく、常に現在を考える。生きるとは、ゴールのない現在の連続なのだ」

丸山眞男(戦後、民主主義の「創始者」として)――8月革命説の元のアイディアを提起したのは丸山だったとも言われている」「超国家主義とは何か――無責任の体系」

西洋近代化というグローバル化の圧力のなかで、日本人の苦悩と苦闘。そのなかで形成した思想。今なお重みがある。


sumino.jpg西新宿の老舗・三日月ホテルに勤務する続力。宴会場で行われる披露宴やパーティーの招待状の作成は重要なものだが、小さなホテルのため、専属の筆耕係はおらず、登録の契約を結んでいた。そうしたなか、続力は下高井戸で書道教室を営む遠田薫を訪ねる。驚くことにこの遠田、あらゆる筆跡を自在に書き分ける凄腕だが、口も悪い、育ちも悪いが何故かまっすぐの元ヤクザ。書道教室に通う子供たちにも愛され親しまれていた。依頼者に代わって、手紙の文面を続が考え遠田が依頼者の筆跡を模写するという代筆まで手伝わされるハメになる。続は巻き込まれながらも奔放な遠田に惹かれ、文字が放つきらめきにも魅せられていく。

続には想像もできない遠田の人生。貧しい放ったらかしの少年時代から、ヤクザの道に入り、刑務所まで行く。そこで出会った書道。温かく迎えてくれた書道教室を営む養父母。東京の街で、優しく、美しく生きて行く人々――。読みながら感動する。庶民の雑草の強さと優しさだ。とても良いし、「じゃあな、また来いや」――。遠田もいいし、続もいい。

「俺は、遠田の書が好きになった。いや、遠田の書を通し、書という表現そのものに魅入られた。白と黒、直線と曲線のあわいが生み出す不思議な宇宙。たとえ記され、刻まれた文字は解読できず、単なる模様にしか見えなかったとしても。時を超えてなお、墨の流れは鮮やかに黒く、瑞々しくゆらめき解き放たれて、地球外生命体のまえで、再び万物について謳いはじめるだろう」

確かに、墨の濃淡と文字は、森羅万象の諸法実相の姿を想起させる。庶民の素朴な幸福も。神保町のカレー「ボンディ」が出てくるが、三浦しおんさんも行っているのだろうか。


giniro.jpg「私たちは、ずっとあの本の呪いの中にいる」――撮影中の事故により、3回も映像化が頓挫した"呪われた"小説「夜果つるところ」。小説家の蕗谷梢は、その「夜果つるところ」と、生死不明となっている著者・飯合梓の謎を探ろうと、関係者一同が乗船するクルーズ旅行に、夫・雅春とともに参加する。その豪華客船の「密室空間」には、映画監督の角替とその妻で女優の清水桂子、映画プロデューサーの進藤洋介、編集者の島崎四郎と和歌子、漫画家ユニットの真鍋綾実と詩織の姉妹、90歳近い映画評論家・武井京太郎と若いパートナーである「Q」こと九重光治郎らが参加していた。いずれも「夜果つるところ」に深い関係を持つ人たち。梢は丁寧に取材し、それぞれが持つ悲哀、懊悩、孤独と、「夜果つるところ」が、母恋いもの、アイデンティティー探しの物語である印象を持つに至る。それぞれがこの小説に自分自身を寄せていることを知るのだった。

しかも夫・雅春の前妻が、「夜果つるところ」の脚本を書き上げ、自殺した笹倉いずみであり、梢にもそのことを語らず、心に深い闇を抱えていたこと。真鍋姉妹が全く似ていなくて、奔放な母のせいで男親が違うと周りに思われていたこと。飯合梓は2人いるという話があること。それぞれの人が抱える宿命的な闇の底に迫っていく。その奥行きが、ミステリー的な表面とは全く違って、きわめて面白い。

人間関係でできあがるこの社会――。愛情と理解がきわめて重要であること。小さな亀裂がダムの崩壊となること。「夜果つるところ」は、最初の映画化のクライマックスである炎上シーンで原因不明の出火があり6人死亡。2度目の映画化では、役者同士が無理心中。3回目は脚本を書いた笹倉いずみが自殺。「笹倉いずみはなぜ自殺したのか」「飯合梓はなぜ失踪し、死んだとされたのか」などをめぐっての、「事実」から「真実」へのクルーズ船の旅は、人間学の究極、人間哲学への思索の旅であった。映像関係者を中心に、密室の豪華クルーズ船を舞台にしたまさに「鈍色幻視行」――。絶妙の力作。


abe.jpg安倍元総理が亡くなって1年になる。「安倍元総理がいれば」と思うことが多くあったし、岩田さんと同じように衆議院第一議員会館1212号室に、ふっと身体が動いてしまう衝動に駆られることも多々あった。それだけ内外の情勢は複雑・混沌、重要案件は押し寄せてきている。「どう考え、どう行動するか。解決の道筋を探り当てるか」――安倍元総理は、「国を背負い」「戦略性を持った」「意欲あるリアリスト」「心優しい、笑顔の良い」政治家だった。帯に「最も食い込んだ記者による『安倍評伝』の決定版! 『回顧録』で明かされなかった肉声、暗殺前夜の電話まで、20年の秘話」とある。その通りだと思うが、長きにわたった激動の毎日を描くには、本書では短かすぎると岩田さん自身も思ったに違いない。

1993年の当選同期、20069月に自民党総裁と公明党代表の同時期、その後私は落選し、安倍元総理は失意の毎日という"地獄"の共有、201212月、第二次安倍内閣で国土交通大臣で閣内。率直に話し合い、大変にお世話になった。本書を読むなかで、思いが蘇った。9章にわたりまとめている。「第三次政権への夢(台湾有事は5年以内に起きる可能性も排除できない。日本を守るために、私が前線に出る必要が本当にあるかどうか。それは天が決めることだ。仮に、自分が望まれるなら、自然と機運が高まり)」「雌伏の5年間と歴代最長政権」「慰安婦問題と靖国参拝(戦後70年談話がもつ意味)」「トランプと地球儀俯瞰外交(直接差し向かいでのテタテの最大活用)」「拉致問題解決への信念(北朝鮮で殺されるかもしれない。政治家の妻として、覚悟しておいてほしい)」「習近平との対決」「生前退位と未来の皇室像」「スキャンダルと財務省」「岸家と安倍家の葛藤」。アベノミックス・デフレ脱却、平和安全法制、全世代型社会保障、防災・減災・ ・国土強靭化、観光立国日本、憲法論議などは少ない。

「日本再建」「政治とは、現実を直視した臨機応変の自在の知恵である」を共有したと思っている。 


sangokusi.jpg中国、三国時代――。221年、劉備が蜀を建国する。魏の曹操、呉の孫権との長い攻防戦の中での最も小さな国の建国だが、「無垢な人」劉備を慕う関羽、張飛、趙雲、そして諸葛亮孔明は特に名高い。本書は「三国志名臣列伝」の「蜀篇」。この4人に加えて、李恢、王平、費褘の3人。7人を描いている。後の3人は特に劉備の死(223)以降の活躍となる。「諸葛亮は魏を攻めながら、自分の後の為政の席は蒋琬に、その後は費褘に、という未来図を画いていたのであろう」「蒋琬が亡くなってからニ年後に、馬忠、王平という名将が逝去し、蜀の人材がさびしくなってきた」と言う。蜀の滅ぶのは263年と短い。劉備、それを関羽・張飛・趙雲らが支えて作った国、それを継いだ丞相・諸葛亮の国といって良いだろう。

戦にはどこまでも人材だ。それを惹きつけるリーダーの徳と質。「玄徳は珍しいほど無垢な人なのだ。関羽はここで劉備の本性を見たおもいで感動した。けがれるれる一方の世で、どこまで無垢をつらぬいてゆけるか、それをみとどけたくなった」「劉備ほどおもしろい人に遭ったことがない。どこにも欲がみあたらない」「劉備とはつくづくふしぎな人である。ここでも死ななかった」「自分の命運は、天が決めてくれる。おそらく劉備はそういう心胆のすえかたをしていたであろう。人の智慧などたかが知れていて、かえっておのれを縛るものになる。そうおもっていたふしがある」「これを徳の力というのだ、関羽は張飛にいったが、なるほどそういうしかあるまい。若いころから劉備の近くにいた張飛は、劉備から感じられる、心意気、が好きだった。劉備は早くに父を亡くしたので、母しかいないその家は貧しかった。それも張飛は知っている。ところが、なぜか劉備には吝嗇のにおいがしなかった」

関羽も張飛も孫権を嫌った。「曹操は敵であるとはいえ、こんなうすぎたないことはせぬ」。張飛は関羽を兄と慕う。「人には表と裏がある。が、なんじには表しかない。めずらしい正直者ではあるが、敵を敵として見るばかりが能ではない。平定するということは、地を取るというよりも、人を取るのだ」と関羽は張飛を訓戒する。

諸葛亮のあざなは「孔明」――。「孔は、とても、たいそう、などの意味をもつ。つまり孔明とは、とても明るい、ということである」――。「王平」の章では「王平は残留の兵を拾い、逃げまどっている将卒を収めて、帰還した。天下に恥をさらし、蜀の全国民を失望させた大敗となった。すべてが順調であったのに、それを馬謖らがぶちこわしたのである。諸葛亮の嘆きも怒りもおさまらなかった。だが、街亭での大敗の原因は、諸葛亮が先鋒の将に馬謖を選定したことにある」と描いている。その3年後が五丈原だ。234年、諸葛亮は死ぬ。 

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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