「日本経済の30年の陥穽」が副題。「2022年以降、日本は名目賃金がプラスに転じているが実質賃金が低下している」――。長いデフレがやっとインフレへと転じた今、実質賃金の低下を問題とする。「実質賃金の低下は1996年から低迷基調」「日本では月当たりで見れば、実質賃金の低迷が続いてきた。一方で、時間あたりで見れば、賃金水準は比較的底堅く推移してきた」「長時間労働の是正と2010年代以降、女性や高齢者の労働参加率が大きく、短時間労働者の増加があった」「日本の実質賃金の低下は、突発的なインフレによって生じた賃金停滞ではなく、長年にわたって賃金を引き上げる力が弱まっていたことが、インフレを契機に可視化された結果」と言う。
「なぜ人手不足なのに、賃金が上がらないのか」――。実は人手不足の業界ほど賃金が上がっていない。特に医療や介護など「制度的に価格が決まる分野」。また運輸など過当競争、多層的な下請け構造で、「価格転嫁が困難」ということもある。
「実質賃金はどう決まるのか」――。労働生産性×労働分配率×交易条件。交易条件は輸出価格÷輸入価格(輸入品価格が上がり続ければ、実質賃金は押し下げられる)。働いて稼いだ所得はどこへ消えていくのかということだ。
「誰がコストを引き受けたのか」――。交易条件は長期にわたって悪化してきたが、企業全体として見ると「経常利益は増加傾向で内部留保も積み上がる。設備投資も伸び悩み、研究開発投資や人材投資も他国と比べて抑制的。さらに価格も動かず(国内製品価格に反映せず)、負担は賃金に向かった。雇用重視で賃金を調整弁として抑制したのだ。
「なぜ価格は調整弁になれなかったのか」――。「値上げすると取引喪失になる」という価格の硬直性だ。価格転嫁の課題は大きく業種別にも違う。経営者の努力不足で片付けられる問題ではなく、「低価格、低賃金が合理的な選択となるというルール」の下で競争してきた。「運送業は、低賃金・長時間労働で回る産業として維持されてきた」わけだ。
「賃金を価格に反映できない構造----労働組合の可能性と限界」――。労働組合がベースアップ要求を断念するという事態が現実に続いた。現在はトランプ関税や戦争など予期せぬ事態があり、キャッチアップ条項の導入等が必要となる。
「賃上げを起点に考える」――。「賃上げが先か、生産性が先か」は世界的に議論があり、多くの国は賃上げより先に生産性を高めることが重要だとするようだが、「日本では企業が投資を抑え、賃金を上げず、非正規雇用を増やすといった対応が繰り返されてきた。賃金は生産性向上の果実を分配する仕組みというよりも、構造的な歪みを吸収するという緩衝材として機能してきた。だからこそ、賃上げを起点として位置づけることが重要である」と指摘する。「価格が過度に硬直した経済において、賃上げこそが既存の競争ルールや分配構造を揺さぶる突破口となり得るからである」と言う。低賃金・低価格を前提とした競争ルールを打ち破り、別の競争ルールへ移行するため「賃上げを起点に」という訴えだ。
「労働移動と賃金上昇」――。労働移動が進み、転職が賃金上昇につながるには、日本では様々なハードルがある。「労働移動が生じても生活が破綻しない条件、そして移動後の処遇に見通しが持てる制度的基盤が整えられて初めて持続的なものとなる」と指摘している。
「賃金と価格を結び直す」――。デフレマインドは、低物価・低賃金・低成長の悪循環だが、そこに立ちはだかっているのは「価格硬直性」だ。「賃金と価格を結び直すとは、単に賃上げを行うことではない。賃金上昇を価格形成の一要因と位置づけ、取引の中で、説明可能なものとして扱われるように整えることだ」「競争の前提となるルールを、企業の外側で共有することが必要」と言う。
「賃金が上がる国とは、特別に豊かな国や大成功を収めた国に限られるのではない。増えたコストが見えないまま、誰かに黙って押し付けられるのではなく、その所在が認識され、交渉が行われ、その結果が社会全体に広がる国である」――まさに日本は、生産性が低いとかでなく、その負担が賃金に押し付けられた国であり、その構造を変え、新たな競争ルールに進まなければならないのだ。
