「満洲は日本の生命線」――。日露戦争前夜から第二次世界大戦までの約半世紀。満洲の名もない都市、奉天の東に位置する李家鎮で繰り広げられる攻防。ロシアの南下を防ぎ、「燃える土」である石炭を発掘、一大拠点・仙桃城を建設しようとする日本。それに抗した地元軍閥、国民党、八路軍。知力と殺戮と謀略の半世紀を、満洲の一都市にこだわって見ると、従来の時間軸からの線で見る歴史とは違う定点からの歴史が浮かび上がる。「国家とはすなわち地図である。その街の歴史を地図ほど雄弁に語るものは他に存在しない」「なぜこの国から、そして世界から『拳』はなくならないのでしょうか。答えは『地図』にあります。世界地図を見ればすぐにわかるが、世界は狭すぎるのです」と、白紙から地図を作り暴力たる拳で地図を書き換える力業ともいうべきテーマを設定する。満洲から見たあの昭和の戦争、満洲になぜこだわったのか、なぜ南下政策に突入したのか、白紙の地図に築いた満洲がどのようにして消えていったのか・・・・・・。大変な力作だ。
序章は1899年夏、続いて1901年、1905年、1909年、1923年、1928年、1932年、1934年、1937年、1938年、1939年、1941年、1944年、1945年、そして終章が1955年。その年々に世界に、中国と日本に激震が走る。張作霖の爆殺、関東軍による満州事変、リットン調査団、国際連盟脱退、盧溝橋事件、泥沼化する日中戦争・・・・・・。その都度、この満洲の人工の一都市は激震に見舞われ、人が死に、その果てに街も人心もボロボロになる。
日露戦争で満洲に使命を与えられた第ニ軍歩兵第六連隊中隊長の高木大尉とその死。その地に通訳として踏み入り、次第にその力を増していく知略ともにもつ存在・細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣され、いきなり義和団の乱に遭遇し、ずっと人道的役割を果たそうとする神父クラスニコフ。叔父に騙されて不毛の地へ移住し新たな王となり都市開発を進めた馬賊の孫悟空。東京帝国大学で気象学を研究し、満鉄で地図を作り満洲国建設の使命を与えられた須野、そしてその息子・明男。
「三日で終わる」と高をくくった戦争が、日中泥沼化の15年戦争になる。ヨーロッパではナチス・ドイツが各国を侵略、やがて敗れる。時代は石炭の時代から石油の時代へと突き進む。泥沼化し戦線拡大するなか南下政策を余儀なくされ、日本は孤立し追い込まれる。「満洲は生命線」どころか軍人を始めとして人が去っていく。真珠湾攻撃より前、「戦争は始まっていなかったが、始まる前から終わっていたのである」と、満洲で地図を作り拳を腹の中に収めてきた細川らは思うのだった。なんと細川は敗戦後の日本のために何ができるかを考え、密かに動いていたのだ。関東軍も石原莞爾も出てこない満洲の一都市から描き出される誠にドラマチック、残酷・悲惨な戦争史だ。
「あなたの体をめぐる知的冒険」が副題。「脚は片方だけでも10キログラム以上、腕でも4〜5キログラムもあって重い」「頭を激しく動かしても文字が読める」「おならが出ても、気体だけで固体が出ない(すごい肛門)」「細菌が病気の原因となることを発見したコッホ、細菌を殺せる化学物質で梅毒の治療薬サルバルサンを発見したパウル・エールリヒ」「偶然がもたらした抗生物質ペニシリン」「ウィルスとの戦いとワクチン」「唾液は1日1~2リットル出る」「心臓の拍動の仕組み」「肺はどのように空気の出し入れをするか」「肝臓は人体の『物流基地』」「免疫は『自己』と『非自己』を見分ける」「DNAという暗号文」「B型肝炎もC型肝炎も治療できるようになった」「糖尿病は細い血管が蝕まれて恐ろしい」「痛み止めの効用」「全身麻酔とは(麻酔と鎮静は異なる)」「レントゲンとCTとMRI」「パルスオキシメーターを生んだ日本人・青柳卓雄」「血液の赤色と透明な輸血」・・・・・・。
知らないことばかり。考えたことがないものがいかに多いか。いかに人体は奇跡的なものか。そして人類がいかに戦い、病気を克服してきたか。まさに格闘の歴史が、誰にでもわかるように図入りで語られる。極めて面白い。確かに「すばらしい人体」だ。
「夏の体温」「魅惑の極悪人ファイル」と、きわめて短い「花曇りの向こう」の3編。
「夏の体温」――。夏休み、小学3年生の高倉瑛介は、血小板数値の経過観察で1か月以上入院し、退屈な日々を送っている。そこに低身長の検査で同学年の田波壮太が入院してくる。壮太はいきなり「俺、田波壮太。三年。チビだけど、九歳」と陽気に挨拶。たった三日間だが、次々と遊びを見つけ、楽しい楽しい交流の時間を過ごす。壮太は退院。別れがなんとも可愛く辛く、二人の姿を思い浮かべてしまう。「お母さんは何もわかっていない。あれ以上言葉を発したら、泣きそうだったからだ」・・・・・・。紙飛行機を残し、そして手紙が来る。ひからびたバッタの死骸が入っていた。病を抱えながら健気に生きる二人の姿と少年のエネルギーが心の奥底に迫る。
「魅惑の極悪人ファイル」――。学生作家の大原早智。人間の闇を書こうとして、「ストブラ」と呼ばれる倉橋ゆずるという大学生に取材に行く。「腹黒」と言われる倉橋は、極悪人どころかとてもいい奴。そのキャラクターに惹かれていく変化の様子が、なんともほほえましく面白い。
AI裁判官が導入された未来の日本。ますます複雑化していく訴訟社会、最高裁判所の鳴り物入りで導入された機械の裁判官だ。誤解なく、偏見なく、正義を正確に執行する。裁判を省コスト化、高速化し、広く国民に法の恩恵を行き渡らせるという触れ込みで生まれた新たなる法の番人。正義を司るのはAIなのか人間なのか。人間は自ら発達させたテクノロジーに振り回され、支配されるのか。きわめて重要なテーマを、軽やかにコミカルにミステリー小説として描く。気鋭の作品。
主人公はAI裁判官を騙し、AIの穴をつき勝訴を手にするハッカー弁護士と称される機島雄弁。
米国や英国はコモン・ローを第一とする判例法主義の司法制度、日本は制定法主義。裁判官の根本には、人生で培った道徳があり、そこに法を重ねあわせて思考するが、AIは法と判例に学ぶ。AI裁判官の本質は、極めて強固な判例法主義となるゆえに、機島はその穴をつこうとし、裁判内部の情報を獲得するしたたかさを持つ。しかし、今回遭遇した事件は、はるかに複雑な展開を見せ、機島は追い込まれる。そこには、AI裁判官の設計時に埋め込まれた秘密ーー検察官が証拠や証人を自在に否認可能とするバックドア、マスターキーでAI裁判官を縛り上げるという策謀が行われていたというものだった。
近未来社会の問題を赤裸々に描いている。面白い。
戦国武将の評価が時代とともに大きく変化していることを論証し、妄説を打破し、その虚像と実像に迫る。戦国武将の評価は「大衆的歴史観」を考える上で最重要のテーマ。本書は、戦国武将の評価の歴史的変遷を考察する。数多の歴史書や小説を、ある意味では撫で斬りにするわけだから相当の力技だ。
扱っているのは明智光秀、斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、石田三成、真田信繁、徳川家康の7人。「織田信長は革命児」「豊臣秀吉は人たらし」「徳川家康は狸親父」「石田三成は君側の奸」「真田信繁は名軍師」といったイメージはどうなのか、ということだが、その人物像は時代ごとに大きく変化している。それは、「歴史は勝者の歴史であること」「その時代の大衆に受けるように講談・浄瑠璃・歌舞伎などで演じられたこと」「江戸時代の中心を成した儒教的倫理観」「明治以来の皇国史観」「日清戦争・日露戦争、アジア出兵などの影響」「戦後の合理主義や革新者待望意識」などで、くっきりと人物像が変遷する。豊臣秀吉は、「徳川史観による著しい秀吉批判」「幕末の攘夷論と秀吉絶賛」「明治・大正期の朝鮮出兵への評価」「支那事変を背景にした吉川英治・太閤記の秀吉礼賛」「秀吉の朝鮮出兵を愚挙とする戦後の小説」など、その評価は極端に変化する。現在の「大衆的歴史観」において司馬遼太郎の影響はきわめて大きいとする。
最後に「英雄・偉人の人物像は各々の時代の価値観に大きく左右される。歴史から教訓を導き出すのではなく、持論を正当化するために歴史を利用する、ということが往々にして行われる。日中戦争を正当化するために秀吉の朝鮮出兵を偉業と礼賛する、といった語りはその代表例である。問題意識が先行し、先入観に基づいて歴史を評価してしまうのである」と言い、時代の価値観が歴史観、歴史認識をいかに規定するかという問題を剔抉する。