「帝国主義に逆襲される世界」が副題。峯村健司さんが、小泉悠、鈴木一人、村野将、小野田治、細谷雄一氏と行った対談。現在の最大の問題について、学者というよりも率直にジャーナリスティックに語っており、俯瞰的で深く長く、現在の時点を浮き彫りにしている。
「奇しくもプーチン、習氏は、冷戦期や2つの世界大戦よりも前に時計の針を戻し、共に『帝国の復活』を目指して、国際秩序を塗り替えようとしているのだ」「冷戦期のように、アメリカと中国による2極化を基軸としながらも、帝国主義時代のような複数の大国によるパワーポリティクスが繰り広げられる。冷戦後続いてきた安定期とは明らかに異なる、パワーがむき出しになる世界が到来したのだ」「1980年代後半には世界のGDPの7割近くを主要7カ国(G7)が占めていた。だが2014年にはその割合は5割を切り、影響力は相対的に低下している。インドの台頭もめざましく、インドネシアやブラジルといった『グローバル・サウス』はさらに影響力を増す」とし、「ポスト・ウクライナ戦争」の新秩序作りに影響力を持てる大国として日本が踏みとどまることができるかどうか、国際秩序の変動期に差し掛かっていることを、政府だけではなく国民一人ひとりが自覚することが大切だという。覚悟の時だ。
「ロシアはウクライナの軍隊や国民を舐め切っていた。ロシアを勝たせてはいけない。ロシアは大国でなければならないという国民意識がある。プーチンを増長させたバイデンの弱腰。自衛の能力と意志がなければ他国は助けてくれない。19世紀的『ネオ近代』の到来」などと小泉氏は「プーチンの戦争・習近平の夢」で言う。
続いて「武器を使わない戦争」と題する鈴木氏との対談。「第一次世界大戦も大義のないままに始まった。緊張が高まる以前に、プーチンが勝手にウクライナとの国境周辺に兵隊を集めた。緊張が高まっていなくても戦争が始まる怖さ」「経済制裁でプーチンの行動を止められるわけがない。国際関係は、いわば気合と根性の世界なのだ。覚悟を決めた国は簡単に相手の言うことを聞かない」「日中間に仕掛けられている相互依存の罠。デカップリングは無理」「経済安全保障推進法の成否は企業の自覚次第。人権侵害や人道上の問題はビジネスと関係がないという認識はもう時代的には許されなくなっている」「安いからとロシアにガスを頼ったドイツは、それでも原子力発電はやらず石炭による火力発電を再開。論理がめちゃくちゃ」「同盟が重視される時代へ」「同盟国がただ頼ってもアメリカは助けてくれない」などが語られる。村野氏との「苦境に立つアメリカ」の対談では、「ウクライナ侵攻前から弱まっていたアメリカの抑止力」「核の脅しは効く、と言う自信をロシアに与えてしまった」「2027年までに台湾危機、を裏付ける中国軍の航空戦力増強」「日本にはどんな打撃力が必要か」「中国の保有する核弾頭は500発程度といわれるが、2030年までには倍増する」「ロシア・ウクライナ戦争では、ルールに基づく国際秩序に対して力による現状変更を試みたプーチンの選択は失敗だった、と言う教訓を作ることが重要だ」・・・・・。
「台湾有事のリスクとシナリオ」での小野田氏との対談。「ロシアは1週間でキーウを制圧するつもりだった。そもそも戦意がないし、スマホで連絡しあって傍受されていたロシア軍」「人民解放軍創設100周年の2027年は要注意」「中国軍の揚陸能力は侮れないが台湾上陸作戦は難しい」「ケイパビリティ(質的概念)とキャパシティー(量的な概念)を区別して評価せよ」「中国軍の航空能力はあと5年でアメリカと対等に?」「自衛隊では新しい戦闘機を買うのに15年かかる」「安全保障よりも経済が一番大事、と言う人たちの存在」「ロシアは戦争防止のための人類の努力と英知の蓄積を破壊した」・・・・・・。
「パワーポリティクスに回帰する世界」での細谷雄一氏との対談。「民主主義国は人口ベースでは既に世界のマイノリティー。最も懸念されるのは、ロシアや中国の脅威それ自体より、むしろグローバル・サウスと呼ばれる地域の国々(まだ欧米側にも中露側にも属していない)が、外交的圧力と経済的インセンティブによって中露に近づいていくこと。民主主義諸国は過半数を割り、一部の特権的な白人中心の富裕国のようにみなされる」「グローバル・サウスがそうなると、国際的な不正義がますます拡大し、ジャングルになる。19世紀的な国際秩序への回帰であり、むき出しのパワーポリティクスとなる」「そうならないように、国際社会が結束してロシアの野望を挫折させることが重要。秩序が大きく変わろうとする時、国際的規範を崩壊させないためにはロシアの野望を挫折させることだ」「国家の安全を守る手段は①個別的な自衛権②集団的自衛権を用いた同盟③集団安全保障としての国連――だ。国連に過剰な期待をするのも、過小評価するのも間違いだ」「アジア・アフリカにアウトリーチするのが日本の役割」「日本は米英とは異なる民主主義を発展させてきた。自信を持って自らの民主主義を世界に語るべきだ。日本は、普遍的な正義の実現よりも、妥協的な秩序の安定を求める政治文化がある。だから頻繁な政権交代が起こらない。それこそが日本の民主主義の特徴だ」「ウクライナも台湾も米中対立における『中間地帯』の取り合いだ」「ロシアもウクライナも両方悪い論は適切ではない。自分たちさえ戦争に巻き込まれなければ良いという利己主義であり、ニヒリズムとエゴイズムに陥らず戦わなければいけない」などと言う。
いずれも、「国土を守るという精神」「ルールに基づく国際秩序を世界に定着させる努力」を強調する。
群馬県桐生市、栃木県足利市を流れる渡良瀬川の河川敷で若い女性の遺体が相次いで発見された。いずれも首を絞められ全裸、両手を縛られて殺害される共通点があり、同一犯と思われた。刑事たちのみならず、その地域の人たちは胸がざわつく。というのは、10年前に同じ河川敷で若い女性の全裸遺体が連続して発見されており、しかも未解決事件となっていたのだ。「リバー事案」「渡良瀬川連続殺人事件」と呼ばれ、その手口からも同一犯と推定された。
隣接する桐生市、太田市の群馬県と足利市の栃木県。多くの人が執念の捜査に乗り出す。群馬県警では、斉藤一馬警部補やベテランの内田警部。加えて10年前に娘を殺された写真館を営む松岡芳邦。彼はこの10年、毎日河川敷に出かけ、「犯人は必ず来る」と写真を取り続けていた。また、栃木県警では平野警部補の班が結成され、足利北署刑事第一課の若手・野島昌宏が担当。加えて、10年前に池田清を犯人として追い詰めながら逮捕できなかった悔しさを持つ元刑事・滝本誠司が動き出す。
捜査線上に3人が絞り出される。まず池田清、暴力団とも、覚せい剤とも関係したサイコパスだが、今回の取り調べでも警察を翻弄する。もう一人は、県会議員の息子で引きこもりの平塚健太郎。調べてみるとこれが普通では全く理解できない多重人格者、違う人格が突然現れてくるのだ。そしてもう一人、太田市の大企業・ゼネラル重機で配送係として働く期間工の刈谷文彦。別件逮捕となるが、全く沈黙して答えない。外国人労働者も多いこの地域の日常が背景として浮かび上がってくるが、なかなか捜査は進まない。そんななか、恐れていた事件が発生する。三人目の被害者が河川敷で発見されたのだ・・・・・。
警察、検察、マスコミ、被害者遺族、容疑者の家族、容疑者を守ろうとする女、犯罪心理学者・・・・・・。648ページの長編、しかも容疑者三人が早々と示されるが、最後まで緊迫した状況に連れていかれる。とにかく容疑者3人も、娘を殺された親や元刑事の10年にわたり執念も、現職の刑事や新聞記者も、凄まじいほどキャラが立つ。ネットによるパパ活、売春の日常化。外国人労働者の多い地域での地域の安定化策。現在社会をも浮き彫りにする卓越した犯罪小説。
「中国東北部の建築遺構を訪ねて」が副題。満洲国は、13年半ほどしか存在しなかった「国」だが、日露戦争、ポーツマス条約以降を考えれば、日本が約40年、「満洲は日本の生命線」というように投入した熱量はきわめて大きい。多くの歴史書や小説を読んできたが、本書は船尾修氏が、旅順、奉天(瀋陽)、新京(長春)、大連、ハルビン、安東(丹東)などを回り、建築遺構を訪ねて文を書く、写真紀行だ。きわめて面白く、「満洲とは何であったか」が浮き彫りにされる。しかも満洲全域にわたって俯瞰的に時代を見るがゆえに、きわめて有益であった。
満洲事変の舞台となった奉天、原野の首都建設計画の新京、満鉄の存在と役割、皇帝・溥儀が信じた偽りの復辟、ハルビンの悪魔の誘惑と731部隊、ロシア系ユダヤ人の受難、炭鉱の都・撫順・・・・・・。地図と事件が結びついてきた。
吉村昭と津村節子夫妻。それぞれ自立した作家でありながら二人三脚。作家というとてつもなく厳しい世界に身を置き、徹底した取材で透徹した世界を描ききった吉村昭。「3日以上家を空けられない。とにかく書斎に入りたいの。書いているうちにわからないことが出てくればまた行く。だから長崎にも107回も行った。一緒に長崎に行っても、あの人は取材だけなのよ」「ぱっと出かけるのよ。異常な執念よ」「あなたが(大河内昭爾)、司馬さんを史談小説、吉村のは史実小説と区別をしたのはうまいです(吉村昭さんは文明論をやらないで、史実しか書かない)」・・・・・・。凄まじい世界が語られる。小説家として生きる事は至難の業。吉村昭は「絶海の孤島から壜に手紙を入れて流し、拾ってくれる人がいるのを待っている心もとなさだ」と言ったという。吉村昭・津村節子夫妻は、ひたすら同人雑誌に書き続けた。本書を通じて作家として生きる執念を感じる。
「火事明リ」「遊園地」など津村節子の短編にはキレがある。「追悼・吉村昭――ストイックな作家の死」という津村節子と大河内昭爾の対談は、吉村昭の凄さを私生活からも抉り出している。「桜田門外の変」にも「尊厳死の否定」にも触れ生々しい。「ポーツマスの旗」「戦艦武蔵」の俊敏な取材や鋭い歴史感覚に納得する。「夫が『花の好きな女だなあ』と言っていた。・・・・・・私はあじさいが好き」「飛脚の末裔――せっかく散歩しているのに、お前の先祖は飛脚か、といった吉村の声を思い出した」など、とても面白く心に響いてくる。
「観光地のあり方」の中で「かれは桜田門外の変は2.26事件と通じるところがある、と言っていた。維新と敗戦という共に内外の情勢を一変させた原動力で、井伊大老暗殺事件を書いた作品の中に坂本龍馬についての記述はあるが、さして重要な役割を果たしているようには書かれていない」とある。安倍元総理銃撃事件の後だけに、特別な思いにふけってしまう。
若き哲学研究者として、学校・企業など幅広く哲学対話を行っている。難しい哲学書とは大違い、現代社会の日常の中で感じ、思索した「手のひらサイズの哲学」「あなたと哲学したあの曖昧な時間、水中に深く潜り、頭の中で何度もでんぐり返しをするような心持ち、ぐらぐら揺れる足場の感覚が消えてしまう」瞬間をとらえて示す。哲学は「存在」「生老病死」の意味を問うことであり、答えのない世界を考え続ける人間の営為だ。正解主義の思考停止の誘惑を断ち切ることだ。数千年にわたる人類の「生」への格闘に学び、自らのものへと根を張っていくことだ。
「当たり前のものだった世界が当たり前でなくなる瞬間。そこには哲学の場が立ち上がっている」「哲学をすることは、世界をよく見ることだ。くっきりしたり、ぼやけたり、かたちを変えたりして、少しずつ世界と関係を深めていく」「何かを深く考えることは、深く潜ることに例えられる。哲学対話は、人と一緒に考えるから、みんなで潜る」「哲学対話は共感の共同体でもない。弁証法だ。弁証法は異なる意見を前にして、自暴自棄に自身の意見を捨て去ることではない。ただ単に違いを確かめて、自分の輪郭を浮かび上がらせるのでもない。異なる意見を引き受けて、さらに考えを刷新することだ。中間をとるのでもない。妥協でもない。対立を、高次に向けて引き上げていくことだ」「ヤスパースは、哲学することの根源は、驚異と懐疑と喪失の意識であると言った。驚異から問いと認識が生まれ、認識されたものへの懐疑から批判的吟味と明晰さが生じ、自己喪失の意識から自身に対する問いが生まれる」――。ヤスパースのこの言葉について、永井さんは「ツッコミと不満」を追加する。「総括して申しますと、『哲学すること』の根源は、驚異・懐疑・喪失・不満・ツッコミの意識に存している。・・・・・・バカみたいになってしまった。ヤスパースがボケになってどうする」という軽いノリで言い切ってしまう。なかなかできないことだ。