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18日、海上保安庁が東京湾内で洋上訓練を行い、これを視察しました。


海上保安庁は国土交通大臣の所管です。


海上保安庁は国土の12倍、447万㎢にも及ぶ広大な我が国の海域において、領海の警備、海難救助、海上防災、海上犯罪の取締りなど「海の護り」を担う機関。日本の海を取り巻く情勢は近年厳しさを増しており、海上保安業務の重要性はますます高まっています。


尖閣諸島周辺海域での領海警備、薬物や銃器の密輸や不法入国への対応、昨年10月の伊豆大島豪雨災害や今も続く東日本大震災での行方不明者の捜索――24時間、365日、海上保安官一人一人が、使命感をもって危険・困難な業務に励んでいます。


この日は、6隻の船艇、ヘリコプター1機により、①テロ対策訓練②ヘリコプターによるつり上げ救助訓練③巡視艇による放水・消火訓練、が実践的に行われました。訓練を通じ、現場海上保安官の旺盛な士気と高い技術力を目の当たりにしました。緊張感、責任感の毎日に感謝しました。


船艇や人員など、今後とも海保の体制強化を図ります。

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寿命100歳以上.jpg

世界の平均寿命が延びている。1850年に約43歳だったものが、1900年に48歳、現在は約80歳、未来は150歳になる可能性があるという。数学、プロスポーツ、激しい肉体管理など、最高潮の時期は明らかにこの30年、50年を見ても延びている。


本書は、平均寿命がなんと150歳になった時、健康寿命もそれに伴って延びる。その時、個人や社会全体がどれだけ変化するかを追っている。総人口はどうなるか、地球環境は守られるか、家族はどう変貌するか、生活や教育はどう変わるか・・・・・・。当然、細胞操作、遺伝子操作、抗老化薬、生命工学プロジェクトをはじめとする長寿革命への挑戦にもふれている。「長寿は是か非か」の意見対立にも論及している。文献・資料は膨大なものだ。


人口減少、少子・高齢社会、地震など大災害の切迫などが大きな問題となり、この7月に「国土のグランドデザイン2050」を発表したが、150歳といわずとも、平均寿命100歳以上社会を想定して考える意味はある。


「20XX年、仕事・家族・社会はこう変わる」と副題にあるが、2000年代後半、はたして寿命100歳以上の世界が来るだろうか。本書はかなりポジティブ思考だが、必ずしもSFだとは言い切れない。


本能寺の変 431年目の真実.jpg

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」(ビスマルク)――歴史はたしかに勝者が、自分の経験を正当化しがちなものだ。それは真実ではない。明智憲三郎氏は、光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫。


本書は「本能寺の変」の真実に文献をもって迫るが、その大きな背景として「光秀謀反」「利休切腹」「秀次切腹」は、いずれも信長、秀吉の「唐入り」があるとする。皆が反対するなかでの絶対者の強行姿勢に対して、その阻止のために謀反が企てられた、という。


本能寺の謀反は、光秀の個人的な野望と、残忍な信長への怨みによるものであり、光秀の単独犯行である――こうしたのは秀吉が「惟任退治記」を公式発表してつくり上げたものだ。それを示すとした「時は今あめが下しる五月かな」は、「下なる」が真実で、改竄されていた。光秀は、信長の天下統一と、長期織田政権構想の下では、大名は領地没収と遠国への移封(唐へも)は避けられない。土岐氏としての存続には、迫りくる長宗我部征伐の阻止を何としてもしなくてはならない(信長の長宗我部征伐の発令は5月7日)――こう考えた。突然でも何でもない。同じ5月、信長は家康討ちを計画した。そして光秀は家康と談合して謀反同盟を締結した(5月14日~17日)。その謀略は生きていたが、秀吉軍が予想外の早さで京都に迫り、家康の西陣は遅れた。秀吉は信長の長期政権構想を潰すために、光秀の決起をいわば待っており、事前に本能寺の変を予期していた形跡がある(細川藤孝父子)。勝者のつくった史観は、「太閤記」をはじめとして、どんどん流布していった。明智さんは、文献にあたって裏付けていく。


「利休切腹」も「秀次切腹」も短文だが、「唐入り」問題から解読する。興味深い。


水害追悼 0713①.JPG   新潟視察①0713.JPG

「水害の教訓を忘れず災害に強いまちづくりを」――7月13日、新潟県三条市に行き、「7・13水害追悼式典」に出席しました。


10年前(平成16年)のこの日、豪雨で三条市の五十嵐川(信濃川の支流)が決壊し、最もひどいところで2.5mも浸水。市内が泥水に浸かって9名の方がお亡くなりになり、床上・床下浸水が7000戸を超える被害が発生しました。式典には、小中学生を含め多くの市民が参加。「7・13水害の教訓を忘れない」――水害に強いまちづくりに向けた三条市民の強い決意が述べられました。


大災害の後、三条市は国土交通省や新潟県と連携し、川幅を広げたり堤防を高くするなどの河川改修や洪水時に水を一時的に貯める遊水池の整備、避難システムの構築など、徹底して防災対策を進めてきました。その結果、平成23年に再びこの地域を豪雨が襲い、平成16年の1.6倍の量の雨が降りましたが、浸水家屋の被害は10分の1に軽減。効果が発揮されました。


國定勇人市長は、水害の教訓を全国の市町村に伝えるために毎年開催している「水害サミット」の中心メンバーの一人。今年5月には国交省とともに三条防災ステーションを完成させましたが、そこでは7・13水害の教訓を忘れないよう市民が学習できるようにしています。


私は式典に先立って、その三条防災ステーションを視察し、7・13水害の破堤場所に整備された慰霊碑に献花。式典後は、信濃川から日本海に放水路を築いて洪水を軽減する大河津分水路を視察しました。


先週の台風8号でも全国で多くの被害が出ました。ハード・ソフト両面から水害への備えをしっかり進めていきます。


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傑作「軍配者シリーズ」の富樫倫太郎さんが、「本能寺の変」に挑む。NHKのTVドラマ「黒田官兵衛」も、ちょうど今、本能寺の変にさしかかっている。


天下統一をめざした信長の暗殺計画。伊賀を焦土作戦で皆殺しにされた百地党の里村紹巴(じょうは)や文吾(石川五右衛門)の復讐。統一後は「諸国の大名から領地を取り上げ、朝廷に返上する」と信長は目論むが、朝廷の太政大臣・近衛前久らは"朝廷乗っ取り"計画と見て、暗殺計画に加わる。統一後に漢の高祖が功臣たちを次々に粛清したことを踏襲することを恐れる徳川家康、そして誰よりも羽柴秀吉。あの有岡城に幽閉された時、嫡男を処刑されようとしたことで、信長への恨みと憎しみをもつ黒田官兵衛。"朝廷乗っ取り"に反対する織田信忠、そして逡巡する明智光秀・・・・・・。


信長への恐怖で、戦々恐々となるなかで、「信長に死んでほしい」と思わぬ者はなかった。しかし、誰がやるか。どう実行するか。主殺しの汚名を他に押しつけたい。息の詰まる"陰謀"のなかで、百地党の里村紹巴が朝廷を巻き込み、さらに秀吉と官兵衛は光秀を犯人に仕立てあげる謀略をめぐらす。


全ては天正十年(1582年)六月二日になだれ込んでいく。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任、公明党前代表。元国土交通大臣、元水循環担当大臣。

現在、衆議院議員、党全国議員団会議議長、東京第12総支部長、首都直下地震対策本部総合本部長、現代中国研究会顧問など。

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