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8月17日~19日、中国・北京を訪問、兪正声全国政協主席(党政治局常務委員)、李小林中国人民対外友好協会会長等をはじめとする会談。日中韓子ども童話交流2016の開幕式にも出席しました。

日中韓子ども童話交流は2002年から始まったもの。3か国の小学上級生約33名、合計100人が、それぞれの国へ行って交流。その約1週間の間に、いっしょにオリジナルの童話をつくる、視野を広げ、文化の交流のなかで友情の絵本をつくる、万里長城なども見学するという立体的な仲間づくり事業です。10年前に交流したOBも約10人ずつ参加、緊張のなかにも素晴らしい経験を得るものと思います。開会式に先立ち、かつて全人代副委員長も務めていた顧秀連(中国関心下一代工作委員会主任)さん、日本からは河村建夫(元文部大臣・子どもの未来を考える議員連盟会長)(私が顧問)などが参加し、懇談しました。

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兪正声全国政協主席、李小林対友協会長らとの会見では、日中が「戦略的互恵関係」を更に発展させること、9月のG20サミット(中国で開催)に向けて、世界経済、テロ等の問題で両国の緊密な連携が必要なこと。そのためにも東シナ海等で中国側が事態をエスカレートさせないこと、観光客の相互増大が大事な課題だが、国民感情を悪化させない努力をすべきこと――等々、話し合いました。


マチネの終わりに.jpg天才ギタリストの蒔野聡史は、二歳年上の海外の通信社に勤めるジャーナリストの小峰洋子に出会う。洋子にはアメリカ人のフィアンセのリチャードがいたが、二人は運命的ともいえる恋愛に一気に進む。そこに割って入る蒔野のマネージャー・三谷早苗。恋愛、嫉妬、未練、相手への思いと配慮、葛藤、精神性が影響する音楽の世界とジャーナリストの世界、噴き上がる衝動、抑える理性、親子の深き絆・・・・・・。こんな文章があるかと思うほどの精緻でうねる表現は心持よく、静かであるがゆえに心深く迫る。

「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」――人は過去を変えながら今を生きる。「恋の効能は、人を謙虚にさせることだった。年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているかという、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである」「洋子は、彼を愛し始めているはずの自分の中にさえ、その天分の眩しさに対して、一握りの嫌な感情の存していることを寂しい気持ちで認めた」「孤独というのは、つまりは、この世界への影響力の欠如の意識だった。・・・・・・」――。そして「ギターを手に掛けて、数秒間、じっとしていた。それから彼は、イェルコ・ソリッチの有名な映画のテーマ曲である≪幸福の硬貨≫を弾き始めた。その冒頭のアルペジオを聴いた瞬間、洋子の感情は、抑える術もなく、涙と共に溢れ出した。・・・・・・」。感動作。


大災害の時代  五百旗頭真著.jpg「未来の国難に備えて」と副題にあるが、地震が活性期に入っている今、本書は貴重であり、大事だ。しかも五百旗頭真氏は、阪神・淡路大震災で自ら被災し、東日本大震災では政府の復興構想会議議長を務め、熊本地震の今年は、熊本県立大学理事長を務めており、「くまもと復旧・復興有識者会議座長」を担っていただいた。その間、防衛大学校長でもあった。

歴史を観れば、日本には数回の著しい地震活性期が明確にあった。貞観期(863~887)、慶長期(1586~1611)、元禄・宝永期(1700~1715)、安政期(1854~1859)、平成期(1995~?)だ。1995年の阪神・淡路大震災に始まり、鳥取地震、中越地震、中越沖地震、岩手・宮城内陸地震、東日本大震災、そして熊本地震――。首都直下地震、南海トラフの地震津波にどう備えるか、まさに時代の課題である。巨大災害必須のなかで、さらに備えを加速させなければならない。

本書は近代日本の関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災について、災害の状況、種類、危機管理、応急対応、復旧、創造的復興など、その全容を示している。また、関連する大災害として明暦の江戸大火や、明治と昭和の三陸津波、さらには1755年のリスボン地震なども視野に入れて論じ、消防・警察・自衛隊・海保などの国交省、民間や地域やボランティアの自助・共助の動きにも考察を加えている。今、私たちは何をすべきか。大事な本だ。


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15日、東京で行われた公明党の8・15終戦記念日街頭演説会に出席、演説を行いました。

昭和20年8月15日から71年――。日本は苦難を乗り越え、平和と繁栄の国を築いてきました。軍国主義から平和主義、全体主義から個人主義、日本主義から国際主義へと大転換を図ってきた日本ですが、21世紀の世界は、紛争・難民・政治経済の不安定、ナショナリズムへの回帰、格差の固定化から噴出する移民や既存エリートへ"怒り"をぶつける"ダークサイド"現象に直面し、アジアの安全保障環境も変化しています。

平和の党・公明党の「生命の尊厳」「人間の安全保障」がますます重要です。


補欠廃止論 セルジオ越後著.jpg「日本に"補欠"という制度があって驚いた。ブラジルには補欠なんてないからだ。補欠の子は、練習試合にも出してもらえず、ボール拾いや雑用などさせられる」「"部活で3年間スタンド応援"は"美談"ではなく"差別"だ」「部活動はスポーツではなく学童保育の延長上にある。部活動とスポーツは切り離さなければならない」「海外では、スポーツは地域にあるクラブチームで行われる。選手の人数が多くなれば、エントリーするチーム数を増やす。だから補欠は出ないし、試合に出て上達する」とセルジオ越後さんはいう。

日本のスポーツは学校で、そして教育の一環という面が続いてきた。だから「全員がスポーツを楽しむ。みんなで一緒にやって楽しむ」という習慣が乏しい。「忍耐力のある子」を褒めるから、競争心のない子が育つ。「日本では監督に、なぜ俺を出さないんだ!なんていう選手はほとんどいない」ともいう。それは、「実力社会の海外、順番待ちの日本」であるからだ。今こそそれを変えることだ。

「スポーツ立国・日本」を私は推進している。スポーツには、人々や地域を豊かにしていく力がある。日本はスポーツを単なるビジネスととらえて企業が応援したり(企業スポーツ)、教育であって、楽しむ・豊かにするということに欠けている。「楽しむスポーツ」という環境をつくることが必要だ。日本には心技体、精神性という武道がり、それは素晴らしいことだ。ただそれ以前に"楽しい"ことがあって培われるもの、苦しい練習も"勝利"の味があることが望ましい。

教育やプロ・セミプロのスポーツを、より多くの人が自らスポーツをやる。そして、家族とともに、人とともに、スポーツをやったり、観戦する。これからのスポーツ文化を考えさせられた。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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