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21日、東京墨田区の春日野部屋において、初場所で歓喜の優勝を果たした栃ノ心に対する福島県からの米「天のつぶ」1トンの贈呈式が行われました。平幕では6年ぶり、春日野部屋では46年ぶりの優勝でした。これには、大橋信夫JA福島五連会長、甚野源次郎(公明党福島県本部議長)、加藤雅之都議会議員らが出席しました。

福島県知事賞は、県とJA福島中央会が協力し、平成25年一月場所から幕内優勝力士に県産米を贈っているものです。この企画は県産農産物の「風評被害払しょく」と「安全性」を全国に訴えようと福島県議会公明党が提案したもの。大変良い企画で私も推進しました。贈呈式では、栃ノ心も次の場所への決意を語っていました。


銀河鉄道の父.jpg宮沢賢治を、父・政次郎を描くことによって浮き彫りにする。「雨ニモマケズ・・・・・・」の印象もあり、郷土の悲惨な農民を背景にした宮沢賢治は、貧しく、病弱で、不遇と思われがちだが、じつは違う。父・政次郎は質屋を営み、家は裕福、町の名士でもある。長男・賢治への期待も大きく、注ぐ愛情はまさに"厳父の愛"。子煩悩を通り越してすさまじい。それが親子の"スレ違い"を生むが、根っ子の絆は深い。

賢治の作品は、その摩擦、アンビバレンツのなかから噴出したことを深く感じいった。「童話」と「雨ニモマケズ」が同居する違和感がスルスルと解かれる思いだ。賢治の人間形成は「父親・政次郎」「法華経信仰」「妹トシとの愛と死」、そして「封建から近代への時代の変貌」などがクッキリ投影されている。それがいずれも強烈に。

「賢治はなおも原稿用紙の場を見おろしつつ、おのずから、つぶやきが口に出た。『・・・・・・おらは、お父さんになりたかったのす』」「ふりかえれば、政次郎ほど大きな存在はなかった。自分の恩人であり、保護者であり、教師であり、金主であり、上司であり、抑圧者であり、好敵手であり、貢献者であり、それらすべてであることにおいて政次郎は手を抜くことをしなかった。・・・・・・巨大で複雑な感情の対象、それが宮沢政次郎という人なのだ」――。

賢治を陰で支えた政次郎は、早逝した賢治(昭和8年、37歳)よりも、はるか長く、戦後(昭和32年)まで生きる。そして改宗までする。


上田市 180218.jpg 長野県本部 180218.jpg

18日、松本市で行われた公明党長野県本部の政経セミナーに出席、挨拶をしました。これには太田昌孝衆議院議員・県代表、公明党の県議、市議等、務台俊介衆議院議員(自民党)、宮澤宗弘安曇野市長をはじめとする各市町村長、各種団体など、多くの来賓が出席しました。その後、上田市で行われた時局講演会にも出席し、挨拶。これには太田昌孝衆議院議員、清水純子県会議員らが出席、市町村長、各種団体の方々も参加されました。上田市は来月に迫った市議選に向け、力強い会合となりました。

私は、「平昌から東京五輪までの3年間は日本の未来を開く重要な時だ」「公明党の50年の戦いで、全世代型社会保障・福祉・子育て・教育が政治のメインストリームになった」、そして「安全で安心で、勢いのある国にしていかなくてはならない」と訴えました。また、中信、東信を結ぶ国道143号青木峠の新青木トンネルは、防災・医療など命を守るため、また観光・経済活性化のために必要で、この道路整備を強く推進してきた事を報告。この地域をさらに発展させることが重要であることを述べました。

道の駅 180218.JPGこれに先立ち、松本から上田への移動の途中、青木村を訪問。私が国交大臣の2015年に「重点道の駅(全国1050の中で35か所選定=当時)」に選ばれた青木村の「道の駅あおき」を視察。北村政夫青木村村長から拡充整備計画の進捗状況の説明を受けました。今年4月には高機能拠点化事業が完成し竣工式が行われる予定です。多くの人が訪れる施設に向けて前進しています。


戦の国.jpg桶狭間から大坂の陣までの戦国の世――。織田信長、上杉謙信、明智光秀、大谷吉継、小早川秀秋、豊臣秀頼の6人を描く。「決戦!関ヶ原」などの決戦シリーズで冲方丁氏が挑んだものだが、時系列に並べてみると、より人物が浮き上がってくる。「世は、秀頼が望んだ騒がしさを失い、かつてどの武将達も大義名分とした、全国静謐の泰平へと移り変わっていった。織田・豊臣が直面した戦なき世が訪れ、そこでは上杉が磨いた兵法も机上のものに過ぎなくなった。明智のような主君殺しは忌み嫌われ、五畿七道を、八道、九道とせんとする野心は誰の心からも消え去った。・・・・・・下克上の世が残したおびただしい道を通るのは、兵ではなく、人と物、銭と思想であった」――。

「人間、五十年・・・・・・。六欲天の魔王。人心掌握の神算鬼謀」「炯眼の持ち主(虎視の眼)」「我、鬼札として天下を取れり」「人望厚く、中庸をなし、国を富み栄えさせること能う逸材(家康の吉継評)」「秀吉と豊臣家と文官に対する深い失望(吉継がはなから信じていなかった秀秋の心中)」「神生(な)りて下克上巳む」――。いずれも途方もない能力をもち、人心掌握に長け、宿命的立場に立たされた者の激烈な人生とその勝負の決断。異常な戦国の事態が異能の"神がかる人"を"神そのもの"と押し上げる姿が描かれる。


敗者の想像力.jpg「敗戦後論」から20年。「戦争の敗北」「占領」を真正面から受け止め、血肉化、思想化していない日本の現状を、山口昌男、大江健三郎、鶴見俊輔、吉本隆明、カズオ・イシグロ(ノーベル賞受賞前に本書は書かれている)、宮崎駿、そして「シン・ゴジラ」等を通じて語っている。なぜそうなったのか。深まらないのは残念なことなのだ。

「敗者の想像力とは、敗者が敗者であり続けているうちに、彼のなかに生まれてくるだろう想像力のことである」「日本の敗戦国としての70余年の経験が育んだ感性、感受性、考え方――それを総称して敗者の想像力と呼ぶ。しかしそれは、敗者に限らない、人間の想像力の深い現れでもある」「敗れることの経験の深さ」「自分たちが敗者である。その自覚の底に下りていく。そこから世界をもう一度見上げてみる。見下ろす想像力と見上げる想像力。想像力にも天地がある」「第二次世界大戦の敗戦国の特異さ――壊滅的な物質的・倫理的敗北によって"敗戦国"としての自意識が残らないほど徹底的に打ちのめされた点にある......かくも従順に、抵抗もせずに、不当なことを受け止める......運命として受け止める」「日本という国には、現在、敗者の想像力が足りない。圧倒的に足りない。......なぜか大江健三郎の初期作品が、意味深い例外的な位置を占めている」「敗者の想像力とゴジラ」「原発事故とシン・ゴジラ」「文明の逆襲と冷温停止」「これからの時代、低エントロピー社会を射程に置く。そのモデルとして"勝ち派"のスタイルではなく、"負け派"のスタイル、せり下げの非・上昇志向」「近代日本は、明治以来"(上昇)文明のハシゴ段"を登ってきたが、この強迫観念からどう自由になるかが、戦後の課題になる(鶴見)」「(マルクス主義など)輸入思想を金科玉条的に信念貫徹してきただけでは、思想的な価値はみじんもない」「ぼろぼろな戦後に殉じる、矛盾を生きる」「戦後民主主義という時代遅れの"時代の精神"に、いまこそ自分が殉死しよう」......。まさに「下り坂での戦い」の「負けることを最後までやりとげる戦い」ということを考える。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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