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5日、公明党東京都本部、党都市農業振興プロジェクト(ともに高木陽介代表)は「都市農業フォーラム」を開催。これには衆参の国会議員、区議・市議、須藤正敏JA東京中央会・連合会会長らの農業関係者、国交省・農水省・東京都の代表が出席。都市農業振興の前進についての説明・議論を行いました。

都市農業は「安心・安全・新鮮な野菜等の食の供給」「地産地消による食育啓発」「防災機能」など、きわめて重要。しかし、「宅地化の進行」「生産緑地となっても30年の長期の建築制限」「相続税での終身営農等の厳しい制限」「農家の高齢化や後継者不足」など厳しい状況にあります。

平成27年4月、私が国交大臣の時、「都市農業振興基本法」を制定。国交省と農水省が連携して都市農業の振興策を打っていく枠組みをつくりました。都市農業に注目した初めての法律です。そして昨年、生産緑地の面積要件(500平方メートル)を市区町村の条例で300平方メートルまで引き下げられるようにし、小規模農地でも保全できるようになり、生産緑地指定から30年経過後も、農家の意向に沿って保全が可能となる仕組みも設置。税制も引き続き、固定資産税や相続税の特例措置を適用するようにしました。さらに今の通常国会で、生産緑地を円滑に貸し借りができる新法がつくられます。画期的なことです。私は「都市農業振興は画期的に進んでいる。推進した公明党は、胸をはってこれらの新制度をそれぞれの地域で説明していこう」と挨拶。農業者からも感謝の発言が次々と寄せられました。


遺訓.jpg「南洲翁遺訓」は庄内藩の関係者が西郷から聞いた話をまとめたものだ。庄内藩は"鬼玄蕃"として官軍も怖れた酒井玄蕃の下で無敗を誇ったが、奥羽越列藩同盟の崩壊に伴い、降伏する。その時、厳しい処分を覚悟していた庄内藩を寛大な処置によって救ったのが西郷であった。「西郷南洲先生を守れ」――玄蕃の遺言(明治9年2月5日逝去)でもあった。薩摩と庄内との深い絆である。

明治6年の政変。西郷等は征韓論争(西郷はむしろ遣韓論、征露論)に破れる形で追い落とされる。7年には俊才・江藤新平等による佐賀の乱が起きる。岩倉・大久保・木戸等の明治4年からの遣米遣欧使節団は、西郷・江藤等の留守政府の目覚ましい成果に焦る。国難に結束して戦おうとする西郷等と、私心を払拭できない大久保等の亀裂は一気に広がっていく。士族の不満は充満していく。「今の政府はおかしい。正気を取り戻さなければならぬ」「薩長土肥、それも一握りの者だけが贅沢三昧」「美し皇国を不潔な連中に勝手にさせるな」「奸臣を討ち、もって民の疾苦を救う」「維新のやり直し、第二維新を始める」「君側廓清、政体一新」――。その神輿が西郷となっていく。徹底的に「士族を潰す。武士を潰す」とする大久保、「敬天愛人」の西郷。「鳥羽伏見で止めるべきだった。戊辰の役まで進んだのが間違いだった。結果として勝者と敗者が生まれ、敗者には恨みが残り、勝者にも怯えが取り憑いた」「始めなければならないのは、勝たないための戦いだ」「道に外れた維新を終わらせる」「一(一蔵)よ、天下のこつで勝ち負けついたら、いかんでごわすよ」と西郷は思う。そして西南戦争で西郷は自決する。その時、庄内鶴岡はどうしたか。「この庄内鶴岡だけには武士が残る。国難に当たる者として」――西郷の遺訓を庄内鶴岡がまとめた。庄内藩の沖田総司の甥・沖田芳次郎の生きざまを通して明治の序章の激動、西郷と大久保を描く力作。


山口美智子代表と 180203.jpg

2月3日、「薬害C型肝炎訴訟 国との基本合意10周年記念集会」が都内で開催されました。忘れもしない2007年も暮れの12月。寒空のなかでの座り込み、集会の姿を今も思い起こします。当時の福田首相と私(当時公明党代表)は何度も話し合い、この基本合意ができました。翌年の国会において、救済法が成立。衆議院通過の時に、公明党の議員総会で、山口美智子薬害肝炎全国原告団代表等から喜びの報告をしていただき、その光景は忘れることができません。

それから10年、まだC型肝炎感染であることを知らない被害者も多く、救済できるように救済法の延長を昨年働きかけ、昨秋の臨時国会で実現しました。

この日、山口美智子代表や浅倉美津子10周年記念集会実行委員長からも、私に「公明党に感謝しています」との言葉をいただきました。さらに、薬害被害の救済と再発防止に、力を注いでいきたいと強く思っています。

またこの日、「節分会」や「世界空手選手権大会の祝勝会」、地元の新年会などに参加し多くの方と懇談しました。

豆まき 180203.jpg 空手 180203.jpg


キラーストレス  NHKスペシャル取材班.jpgストレス社会から心と体をどう守るか。世界では、科学的方法でストレスに立ち向かおうという意識革命が始まっている。脳科学、心療内科等々で大きな進展があり、企業内でも取り入れが始まっている。

ストレスとは何か。ストレスとは「変化」である。配偶者の死、会社の倒産、多忙による身の過労は勿論、家族が増えたり、引っ越しもストレスとなる。

最新の科学は、その詳細なメカニズムを明らかにする。「ストレス反応を起こす引き金となるのは扁桃体」「"支配―従属"の関係でストレスは生み出される」「ストレスホルモン『コルチゾール』」「体をむしばむストレスの暴走」・・・・・・。そこでどう対応するか。3つ提示される。「脳を変化させる運動と病を防ぐ食生活」「ストレスを観察し対処するコーピング」「世界の注目を浴びるマインドフルネス」だ。これまで、ストレス社会といいながら断片的知識で終わり、日常的に、しかも科学的に対処してこなかった。いいきっかけとなる本書の意味は大きい。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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