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「傅益瑶が描く日本の祭り絵展」オープニングセレモニーが8日、池袋の東京芸術劇場で開催されました。傅益瑶(フ エキヨウ)画伯は、中国南京で中国近代画檀の巨匠・傅抱石の第五子として生まれました。南京師範大学卒業後、1980年中国教育部派遣国費留学生として創価大学に留学。武蔵野美術大学大学院、東京芸術大学では平山郁夫研究室で日本画、仏教美術等を学んできた人です。日本の伝統的な祭りや伝統芸能に魅せられ、独特な画法で"祭り絵"を描き話題を呼び、注目されています。

今回の展示された作品は約100点。「京都祇園祭り」「徳島市阿波おどり」「三社祭」「青森ねぶた祭」「御柱祭」「相馬野馬追」等、傅益瑶画伯がおよそ30年にわたって日本各地の祭りに参加しながら描いてきたもの。祭りがいきいきと表現され、大勢の参加者の表情が全部異なり、熱気溢れる魅力の絵画展に感動しました。

私は、「傅益瑶画伯が、日本全国を回って、その熱気を絵画として表現している。素晴らしい。祭りは日本各地の民衆文化だ。日中の交流も、首脳交流や経済交流だけでなく、それ以上に、文化・芸術・スポーツの交流を盛んにしていくことが重要と私は常に言ってきたが、まさにそれを実践・展開してくれている」などと挨拶しました。

なお、展示は17日までです。

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ドキュメント 「令和」制定  日本テレビ政治部  中公新書ラクレ.jpg「令和」制定の経緯を日テレ政治部がまとめたもの。「平成31年4月1日の発表の日のドキュメント」、さかのぼって「NHKのスクープ『生前退位』の衝撃と『恒久法か特例法か』の議論」、「官邸の動きと保守派の考え」「最終候補選定までの道のり」「考案者と国書」等々が、生々しく語られる。「極秘」で進められるものだけに、「取材される側」「取材する側」の緊張感が伝わってくる。さまざまな攻防はあるにしろ、「令和」がスタートを切った。

本書はまた「元号と政治」の章で結ばれている。「始まりとなった水戸学」「光圀以来の"敬幕"の論理が、尊皇論が純化されることによって討幕論につながった」「明治より『一世一元』となったこと」「天皇親政と元号の結び付き」「敗戦によって天皇による"時間支配"の物語はピリオドを打つ」「法的根拠の喪失と元号廃止論の浮上」「保守勢力の"草の根"運動と元号法の成立(1979年6月)」・・・・・・。「権威と権力」「象徴天皇」「皇位継承」「内閣等による皇室の政治利用」など、国と社会の諸課題は考え続けなければならないことだ。


希望の糸.jpg面白い。殺人事件だが悪人はいない。運命に操られる家族。夫婦・親子の愛、思いが心に迫る。これも加賀恭一郎シリーズといえようが、主人公は加賀の従弟で刑事の松宮脩平。殺人事件をきっかけに、複数の家族の秘密があぶり出され、「人には家族にも言えないことがある」「言うべきか、言わざるべきか」が交錯する。"心の扉"という琴線に触れる作品。

目黒にあるカフェ「弥生茶屋」の経営者・花塚弥生が背中をナイフで刺され、店で殺害される。「あんないい人はいない」と誰もがいった。恨みを買うようなこともないように思われたが、捜査線上に二人の人物が浮かぶ。一人は綿貫哲彦、弥生の元夫。もう一人は汐見行伸、店の常連客で弥生に好意を寄せていたと思われた。捜査が進むと綿貫の家族(同棲する中屋多由子)、汐見の家族(妻・玲子が亡くなり、14歳の娘・萌奈と二人暮らし)がともに深い闇をかかえていることを知る。どうも証言がおかしい。秘密を抱え真実を心の内に隠しているとしか思えない。この二つの家族とともに、捜査を担当する松宮自身に、生まれてすぐに亡くなったとされる父親と名乗る者が現われ絡み合う。この家族にも人に明かせぬ秘密が隠されていた。

「あたしは、誰かの代わりに生まれてきたんじゃない」「そういえば、と克子が続けた。この糸は離さないっていっていたな。たとえ会えなくても、自分にとって大切な人間と見えない糸で繋がっていると思えたら、それだけで幸せだって。その糸がどんなに長くても希望をもてるって。だから死ぬまで、その糸は離さない」「素敵な巡り合いがあると思う(子どもができ)」・・・・・・。

殺人事件自体は解決するが、松宮は「解くべきは各家族に潜む親子の謎の糸だ」と奔走、苦悩する。家族の絆、親子の絆、血と育ての絆、運命をとことん感じさせる。


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8月に入り、猛暑が続いています。4日(日)、地元では町会・自治会、商店街等の夏の行事が盛大に行われました。

「子どもお楽しみ会」「盆踊り」「納涼祭」「商店街のサンバパレード」「祭礼」など、街のなかは暑さを吹き飛ばす勢いで、盛り上がりました。

子どもたちに夏の思い出づくりと地域の友好のために、頑張っていただいている町会・自治会、商店街の皆さま、そして警備等にご尽力頂いている地元消防団の皆さまにも感謝です。

この週末も多くの方と懇談ができました。

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暁天の星.jpg明治6年、征韓論で政府が分裂。明治10年、西南戦争で西郷隆盛が死ぬが、陸奥宗光は政府転覆計画に連座したとして、国事犯として5年の禁獄に処せられた。西郷、大久保が相次いで亡くなった後の明治10年代から日清戦争までの間、陸奥宗光は欧米列強と闘い、「不平等条約の改正」に命を懸けた。その心中は「明治になって初めて日本人は生まれたと陸奥は思っていた。それまではそれぞれの藩に住む者の集まりが日本人であったが、いまや誰もが日本人として平等であり、国家に対して、『義務あり、権利あり』と陸奥は主張している。......明治政府は、藩閥政府になりはてている。日本は日本人の日本である。薩長の日本ではない」と声を高くして言いたかったのだ。それは「日本を洗濯したく候、と唱えた坂本龍馬の理想とするところでもあった」と描かれる。

葉室麟の未完の遺稿。「作者は挫折や失敗を味わった人物を好んで主人公にする。ひとは生きていくことで、挫折や失敗の苦渋を味わう。そうなると、歴史を見つめてももはや『勝者』の視点は持ち得ないと作者(葉室麟)はいう」と解説の細谷正充さんは言っている。味わい深く、力むことのない葉室麟の逝去は残念だ。

「陸奥は剃刀と仇名されるほど鋭い頭脳をもっている」「紀州の出である」「藩閥政府を厳しく批判した」「伊藤博文に可愛がられ信頼された」「美しい女性・亮子を妻とした」「亮子は鹿鳴館の華と呼ばれたが夫婦とも鹿鳴館には違和感を持っていた」「機略縦横・坂本龍馬に魅かれ兄事していた(外交の才)」......。日清戦争をなぜ遂行したか。不平等条約を改正するためと苦悩する陸奥宗光。それに対する勝海舟の反対は、キレ味抜群。本書に特別収録された「乙女がゆく」も、龍馬とその姉・乙女の関係が活写され、とびきり良い。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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