当初は「日米関係史」を構想していたというが、ご両親の生い立ちから始める「自叙伝」となったという。あの戦争の終わった1945年生まれの私と同学年。自らの戦いの生き様を、なんとしてもこれだけは残し伝えようとした渾身の著作。2020年4月、亡くなる寸前まで手を入れていたという。同時代を生きてきただけに、その思いがストレートに伝わってくる。
「この本の執筆には明確な目的があった。自己の過去を振り返ることでもなく、ましてや自分がやってきたことを人々に理解してもらいたいということでもない。僕はいろいろな立場でアメリカと、特に安全保障に関わってきた。その姿が正しくアメリカに伝わっていないことに苛立ちを感じることが多かった。・・・・・・そして、日本側でわかってもらいたいこと、つまりこのような遅々とした進み方では日本は世界についていけない」と語り、日本がやってきた事は60点位だろうが、国際社会はせいぜい30点という不当な評価に過ぎないと怒る。日本の気迫なきリーダーにも、少しも前に進もうとしない官僚にも、「口先平和主義、超安全主義、人命を最高の価値となし硝煙を悪魔とみなす日本の独特の規範」の国民意識にも、どれだけ遮られてきたか。激動し漂流する世界のなかで、「ジャパン・ファースト主義」から「国際公共財を担う新たな国家」に転換せよと切々と訴える。
ご両親を語ることから始まるが、自叙伝のためではなく「父母たちの戦争」で731細菌部隊と父、日中戦争、ガダルカナルや沖縄戦での母の弟たちの死・・・・・・。まさにあの戦争が何であったかを生々しく語る。「日本人とアメリカ人」では、戦後鎌倉の家を借りて住んだ青春時代、そして外交官生活が始まり、1980年代の日米の摩擦、最強の外交官・牛場信彦との出会い。緊迫して激しい外交交渉の現場が語られる。目に浮かぶようなエネルギッシュで感受性豊かな我らの30代。そのような空気を想い起こす。
1985年、北米局の安全保障課長になる。もっとも活躍できる課長の時代。昼も夜もなく働いた。「武器輸出三原則」「核持ち込み疑惑」問題への苛立ちとともに「日米同盟の金字塔――米ソ中距離核(I NF)交渉」が語られる。そして湾岸危機だ。戦後平和主義に浸りきった日本は、金だけで済ませる国として屈辱的な外交敗北をする。国際安全保障に全く参画できない情けなさのなかで、中心にいた岡本さんは懸命にせめて物資支援をと奔走する。凄まじい戦いが行われ実行されるが、米国を始めとする国々に評価されるところまで至らなかった。その悔しさが溢れている。
外務省を辞めた岡本さんだが、2度にわたって首相補佐官になる。私には当然だ、活躍してもらえる、という記憶がある。ここでも岩盤にぶち当たる。「沖縄の普天間移設」「インド洋への給油、自衛隊のイラク派遣」問題だ。湾岸危機の時の悔しさを胸に走り回る。それも前線で。世界との落差を体を張って埋めようとする姿が迫ってくるが、それだけに同志として戦った奥イラク大使などの死は誰よりもこたえたことが書かれている。
「難しき隣人たち――日本外交の最大課題」として中国、韓国についても率直に述べる。そして「日本の行く末は心配である。日本はアジアの中ですら相対化され、影が薄くなりつつある。僕らは今、没落の始まりの時期にいるのかもしれない。だから、日本の若者にお願いしたい。君たちはどういう時に日本人であると自覚するのだろうか。君たちの価値観と行動力で、君たちが作って欲しい。誇りに満ちた国・日本を」と結ぶ。これは遺言だ。改めてご冥福をお祈りします。
新しい年を迎えました。昨年は、ロシアのウクライナ侵略、安倍元首相銃撃事件の衝撃があり、コロナ禍、円安・物価高など、大変な年でした。そのなかで、多くの方々にお世話になりました。心より感謝申し上げます。
本年は、日本にとって極めて重要な年だと思います。コロナ禍で苦しんだ3年を終え、日本の未来に向けて力強くダッシュする年だと思います。
人口減少・少子高齢社会、AI ・ロボット・ DX社会への急進展、気候変動のなか頻発・激甚化する災害への対応など、構造変化を見据えた骨太の対策に踏み出す時です。特に長期にわたる緩やかなデフレに陥ってきた経済を再建する。物価高に対し生活を守り、賃金を上げる戦いが大切になります。安全保障もエネルギー対策も未来を見据えた喫緊の課題となっており、災害ということでは、今年は関東大震災から100年の年です。
先送りや、対応型の政治ではなく、「腰を据えてやるべき事はやる」「政治は現実を直視した臨機応変の自在の知恵である」ことを肝に銘じ、今年も元気で頑張っていきたいと思います。
本年も何卒よろしくお願いいたします。本年が皆様にとって、良き1年でありますように、心よりお祈り申し上げます。