100saide.jpg「生涯現役」を貫く90歳を超えた"鉄人"たち14名が、インタビューに率直に答える。著者は、「印象的だったのは、どなたも90歳や100歳といった年齢をことさら意識することなく、ただ通過点として軽々と乗り越え、そして先へ先へと歩みを続けていらっしゃることだ。なんとしなやかで、したたかな生き方だろう、と私は圧倒されどおしだった」と言っているが、全く同感だ。かつて聖路加国際病院の日野原重明先生と対談したことがあるが、「いつも新しいことに挑戦している。これからゴルフを始めてエイジシュートをしたい」と言われて驚いた。95歳だったと思う。本書の14名は、いずれもその世界の第一人者。徹して、その道を究め、今も前を向き、挑戦する姿勢に感動する。

谷川俊太郎――「(無人島に!本を1冊持っていくとしたら何を?)特定の本は持っていかない。僕は詩が書けるから、紙と筆記用具。でもできればアイパッドを持っていきたい。待てよ、無人島はWi-Fiとか使えないから困ったなぁ」「僕が愛して止まないものは『秘密』」・・・・・・。道場六三郎――「(料理を作るうえで最も大切にしている事は?)それはズバリ『思いやりの心』。食べてくれる人が真に『うまい!』と言ってくれるものを作ること」「僕の料理は『遊びと反逆』」・・・・・・。

樋口恵子――「年をとってくればビスケット、つまり微力ながら世の中の助っ人となるべき。素敵でしょ! そのためには、今の60代、70代、80代が頑張らなければ、この世の中はもたないですよ。男も女も働けるシステムを作るのが先決ですよ」「ワークライフバランスからもう一歩踏み込んで『ワークライフ&ケアバランス』」「老人は『非力ではあるが、無力ではない』」・・・・・・。野見山暁治――「描いているときりがない。描くことが面白いから続けられる」・・・・・・。

大村崑――「崑ちゃん90歳 今が一番、健康です」「いつも疲れていて、よたよた歩き、息切れ、動悸、眠りの浅い不健康な老人だった。それが86歳で奥さんに勧められて入ったジムに通うようになって、本当に『元気ハツラツ』になったんですね」「足腰が立つ限り、声が出る限り、頭が働く限り、『喜劇役者』として、ずっと仕事を続けたい」・・・・・・。大川繁子――「今でも毎日、登園しています。19時、20時くらいになると、園の中を見回ります。・・・・・・皆さんにも、何かやりたいことがあったら、まずは挑戦することをお勧めします。何かを始めるのに、もう遅すぎるなんてことはありませんから」・・・・・・。

鮫島純子――「私の知っている祖父(渋沢栄一)は、いつも穏やかで、崇高で静謐な方でした」「『背筋を伸ばして、緑の中を歩きなさい』と荘淑旂先生に教わりました。背筋を伸ばして横隔膜を上げて、体幹を意識して太ももの内側に力を入れて、まっすぐ歩くのです」・・・・・・。室井摩耶子――「楽譜は作曲家の紡いだ物語。『エリーゼのために』を弾くことは、ベートーヴェンとのおしゃべりです。私は何度も同じ曲を弾きますが、何度も読み込んだ曲でも毎回新しい発見があるのです。それが、私が音楽に魅了されてきた理由です」「努力を惜しまず、前向きに生きること。100歳を過ぎた今も、『これでいい』と思ったことはないですね。『もっと  もっと  もっと』と思う。『いま』を精一杯生きること」・・・・・・。

 玉川祐子――「曲師の仕事は、浪曲師のうなりやすいように背中を押すことができないとだめ。特に『ウレイ』は肝だね。浪花節で一番いいのはウレイ。泣くシーンなんだから、ちゃんと泣かせるようにしなきゃだめ。浪曲師と曲師は、二人三脚」「長生きの秘訣は、くよくよしないこと。つらいこと、悲しいことはなるべく忘れて、物事をいい方に解釈する」・・・・・・。三浦雄一郎・・・・・・「座右の銘は『夢いつまでも』。『夢』は『山登り』と同じで、一つの頂上に達したら、また次の頂上を目指したくなる。僕はドキドキワクワクするのが大好き。未知なる挑戦への好奇心が、次から次へと湧いてくる。あきらめなければ、いつか夢の頂上に立てる。ダメだったらやり直せばいい」・・・・・・。

杉浦範茂――「好きな言葉は、『人間万事塞翁が馬』。長い人生では、楽しいことや嬉しいこともあれば、つらいことや悲しいこともある。嬉しいときには自己を律し、悲しいときには、将来必ず幸せが訪れるものと信じて、明るく生きることが大事」「『絵』に間違いはない。絵は自由で、やりたいように描きたいように描けばよい」・・・・・・。暉峻淑子――「自分に関係のない出来事なんてこの世には何もない。そのうちのどれを選んで、自分のアイデンティティとするか」「日本人はいつからカネとモノがあればそれで満足と思うようになったのでしょう。カネとモノは自分自身が『こういうふうに生きたい』という人生の目的の『手段』であって、目的ではないはず。子どもたちに美しい自然を残し、国債の負債を残さず、生きがいのある社会を残すことに喜びはないのかしらと思う」・・・・・・。

渡辺貞夫――「自分の音を納得いくまで突き詰めていきたい。楽なものって面白くないじゃないですか。ステージをやるというのは、否応なしに全てをさらけ出すことになりますから、自分のコンディションは常にスタンバイしています。格好よく演奏したいですから」・・・・・・。青木悦子――「これからも工夫しながら精魂込めて、家庭の『真心料理』を後世につないでいきたい。まだまだ感動をみなに伝えたいという情熱がある」「前を向いて歩こう、今日を感謝で生きる。そして、出会いを大切にする『一期一会』という言葉が好きですね」・・・・・・。

存在が輝いている。感動的な一書。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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