平安京に遷都されて6年後の延暦19年(800)。駿河国司の家人・鷹取は家長の赴任とともに初めて都から遠国の駿河国に移り、軍馬を養う官牧で、己の境遇を嘆く日々を送っている。そこで突然、富士ノ御山が噴火する。黒煙が噴き上がり、石や焼灰が降り注ぎ、郷は埋まる。富士ノ御山の東側に位置する横走の郷は相模・甲斐にほど近い交通の要衝にあるが、この「山焼け」によって壊滅的打撃を受ける。一方、近隣の郷人や賤機などの遊女などの避難民を受け入れた牧は混沌とする。灰に埋もれた横走郷では盗難騒ぎが起き、避難民の不安と絶望、怒りが高まる。地表を覆う焼灰は水が引く度に締まり、石のごとく固まり、亀裂が入るや恐ろしい泥流となる。
その後、一旦おさまったかに見えた噴火が発生、今度は避難民を受け入れていた岡野牧にも被害が及び、牧子の安久利や駒人らが大切に育てあげていた馬を、北の水市の郷に移すが、そこもまた火砕流に襲われる。鷹取、行動を共にする宿奈麻呂、横走駅のトップ粟岳、岡野牧のトップ継足や牧帳の五百枝、足柄山の山賊・夏樫など、想像絶する大災害に遭った人々の苦悩と奮闘の日々が描かれる。
「どうして俺たちばっかりが、こんな目に遭わなきゃならねぇんだ。踏ん張っても踏ん張っても灰やら泥やらに襲われ、それでもまだ踏ん張れって言うのかよ。こんなことだったら、あの山焼けの日、石に打たれてくたばっちまった方がどれだけ楽だったかわからねぇ」・・・・・・。そのなかで「ああ、そうだ。災いは人を選ばない。賎民も良戸も牧帳も――征夷大将軍や帝ですらも、この山焼けの前には、無力でしかない」――人から侮られる立場の家人の鷹取はそう思い、また「あの狭い都にとどまっていたならば、自分は終生、こんな山焼けを見る折りはなかった。家人の身ではおよそ望み得ぬ境涯に身を置いているのではあるまいか」とも思うのだ。そしてそれぞれの者が、人生の決断をするが、その根源に「郷土愛」が共通していた。
この平安時代の富士山延暦噴火。都の関心事は、坂上田村麻呂の蝦夷征討にあった。この関連と、坂上田村麻呂と蝦夷の首魁との興味深いやりとりは、極上の結びとなっている。