goyounomaturi.jpg「よきに、はからえ」――豊臣秀吉の一言で、前代未聞の大仕事が降ってくる。その公私にわたる大事業をなんとしてでも成し遂げようと石田三成ら五奉行が命と矜持をかけて挑む。奉行の苦労は並大抵ではなかった。戦となれば城を落とし一番槍が目立つが、後方の備えを語り、賞でるものなどいない。朝鮮出兵でも、奉行が後方で楽をしていると見る武将は多い。「これまで奉行は天下の政を執り行ってきた。そのため常に妬まれ、しばしば恨みを買った。時が来れば、奉行が専横に振る舞うのではないかと邪推しているのだ。三成は奉行の中でも、特にそう思われている」――。

秀吉から突然出された難題――北野大茶会、刀狩り、太閤検地、瓜畑遊び、醍醐の花見。それぞれの時期の秀吉の狙いは何か。五奉行それぞれが各人の特徴を生かし辣腕を振るい成功を勝ち取る。

五奉行は中心的存在の石田治部少輔三成(通称佐吉、担当は行政)、増田右衛門尉長盛(通称仁右衛門、担当は土木・建築)、浅野弾正少弼長政(通称弥兵衛、担当は司法・警備)、算術の奇才である長束大蔵大輔正家(通称利兵衛、担当は財政・ 計算)、そして前田民部卿法印玄以(通称孫十郎、号は徳善印、担当は宗教、朝廷)5人だ。それぞれ卓越した自分の分野で能力を発揮するだけでなく、5人が噛み合ったとき凄まじい力を発揮することになる。皆、若き頃から秀吉に見出され奉行にまで駆け上ったものだ。「すべては天下安寧、己を拾ってくれた殿下のため」――。「花を愛でる人は多いが、葉を眺めようとする人は少ない。だが、誰が見ずとも葉は生い茂り、やがてひっそりと身を引き、再び花が咲き誇るのだ。人々の笑いを咲かせるため、誰に顧みられずとも働き続ける」――それが奉行、5人の五枚の葉である、と描く。

5つの無理難題に、5奉行が命をかけて取り組む。例えば、「北の大茶会」――「およそ2月後の101日、大茶会を開く。数は日に千人を決してくだらぬこと」。場所はどうする、人の整理はどうする、大雨が降ったらどうする、亭主はどうする、茶器はどうする・・・・・・。大作業が始まるが、長盛の知恵と力が躍動する。利休の「嫌味な親父」振りが目立つ。

「刀狩り」では、浅野長政の胆力と知略が縦横に発揮される。「なぜ武士は刀を捨てないのか。一揆が起きるのか」「佐々成政はなぜ失敗したのか」が明らかとなる。

「太閤検地」では正家の算術の奇才が伊達政宗らの抵抗をはねのけ、大きく道を開く。秀吉、五奉行、蒲生氏郷の側から見る奥州と、「控えよ小十郎」(佐藤嚴太郎)などで描く政宗、片倉小十郎景綱から見る景色の違いも大変面白い。

「大瓜畑遊び」――唐入りで疲れてきている五奉行に命じられた遊びに興じる大仮装大会の開催。前田玄以があっと驚く女装で登場、話題をかっさらう。

「醍醐の花見」――。石田三成の「4杯目の茶」が出てくる。慶長3(1598)の正月、晩年の秀吉が「醍醐寺にて花見を」と言う。ところが醍醐寺には桜の花がない。持ってくるしかないが、秀吉は一体何を望んでいるのか――。三成らが一旦失敗して気づいた事は・・・・・・。

「政とは決して諦めぬこと、ではないのですか・・・・・・」「政とは、途方もない理想を掲げることの連続である。・・・・・・何度も何度も、手を替え品を変えて挑み続ける。そういうものでは無いのか。正家は訥々とそう語った」と言っている。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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