「『社会の縮図』としての鉄道マナ史」が副題。車内のマナーの変遷をたどりながら、現代日本における社会変容や都市構造の変化を考察するユニークな研究。人生そのものを振り返ることができる。
駅の構内、電車の中、ゴミや喫煙、混雑の度合い、治安、騒音、音楽プレイヤー、携帯やスマホ、要請されるマナー・・・・・・。鉄道と一体化した都市整備を含め、鉄道は紛れもなく「社会の縮図」でもある。
路面電車網が都市インフラとして定着していった1908年(明治41年)、永井荷風は騒がしい路面電車の風景を描いている。車体が揺れ、足を踏まれて職員が「あいたっ」と叫び、赤子は泣き出し、女性は肌をあらわにして授乳をする。いびきも聞こえるし、新聞を音読している声も聞かれる。電車が止まらないうちに、2、3人が飛び降りていくといった具合だ。次第に鉄道乗客が守るべき規範「交通道徳」ができていく。戦後は「科学と市民としてのエチケット」。そして「通勤地獄」が生まれ「エチケットで謳われる『美しさ』や『麗しさ』は望むべくもない」、都市問題としての通勤ラッシュだ。確かに「通勤地獄」「スト権奪還スト、順法闘争」の時代は今から考えれば荒々しい"闘争"の時代だ。新聞を読む空間は少なかったが、それでも車内で本や新聞を畳んで読んだ時代だった。
そして、「20世紀後半の車内規範」――。「エチケットからマナーへ」「国鉄民営化と『サービス』としてのマナーキャンペーン」「1990年代以降、盛んに論じられた『化粧問題』」「シルバーシートの若者たち、居眠りを続ける若い女」「キス、飲食、床にしゃがむ、携帯電話が電車マナーの重要項目」――鉄道の規範を守るべきと言うより、「電車での振る舞いにはどうもいろいろな意見があるし、様々なことに気をつけないといけないようだ」という意識の変化がある。
「現在の車内規範――新しいモノの登場と再構築されるマナー」――。社会問題化する痴漢。それは女性の社会進出と車内空間のジェンダー秩序の再編の中に現れる(「痴漢は犯罪です」とのポスター)。2000年から2003年の迷惑行為ランキングの1位は「携帯電話の使用」。当時は話す人がいたわけだ。それが「女性専用車両、防犯カメラ、痴漢防止アプリ」「ホームドア」へと変わっていく。コロナも大きな影響を与えた。
そして今、「守るべきマナー」や「あるべき社会」を声高に言うのではなく、「自分は効率よく過ごしたいし、こうすると快適になる」「怒ったり、叱ったりして居丈高に言うのではなく、ユーモアやアイロニーでもって笑いあいながら規範を共有できるようになっているとすれば、そのこと自体、マナーがかなり成熟していることの表現だろう」と指摘する。そして「現代日本の『穏やかな電車』は、遠慮がちで、控えめの消極的なコミニケーションによって支えられているが、その細やかさは、しなやかに私たちを縛る『網の目状の糸』となっている。その繊細な糸は切れやすく、切れてしまえば、『穏やかな電車』は苛立たしい容貌になる」とし、現在が不機嫌さと隣り合わせの穏やかさであるを示している。概ね穏やかだが、ひとたび踏み外すとご機嫌斜めの面持ちになる日本の電車――それは高度なマナーという気遣いのネットワークから形成されているわけだ。
車内を見ると、みんな静かにスマホを見ている奇妙な風景が広がる奇妙な社会が眼前にある。