大モンゴル国は高麗だけでなく南宋に迫る。その脅威をひたひたと感ずる鎌倉の北条時頼は権力を掌握。日本各地から情報を収集し、駿馬を集め、船を造り、水軍を訓練し、戦いに備えようと動く。蒙古襲来へ向けて、その激突前夜の静かな緊張感が迫ってくる森羅記第ニ巻。
お岩木山の北麓の台地から平野にかけて支配し、十三湊を抱える安東一族の木作繁安は馬群を引き連れ鎌倉に駆け付け得宗被官となる。松浦党の佐志タケルらも鎌倉と連携、造船を生業とする神田灯、海上輸送を行う松野青児、秀麗な水師・ 安房小太郎らも得宗被官として集う。劣勢の高麗で、懸命に珍島を守る波瀬一族(琵琶湖から日本海の舟運)も鎌倉と連携が深まっていく。北条時頼は、大モンゴル国の脅威を察知し、大型船の造船をはじめ態勢強化を急ぐ。執権を辞し最明寺入道となるが、きたるべき時のために嫡男の時宗(正寿)を厳しく鍛え上げる。
「大モンゴル国の内情を探ってみると大事な戦をニつ抱えているのがはっきり見えてくる。想像の及ばない遠い西の国の戦争、こちらからよく見える南宋攻略戦。大モンゴル国の視野にこの国が入っているのは間違いないことだ」「朝廷のありよう、寺と関係」「おまえは、いずれ執権になる。もしかすると、ひとりきりで立ち続けなければならないかもしれん。どうにもならないほどの、圧倒的な敵と向かいあったら、男が逃げることなどできないぞ」・・・・・・。父と子の「厳父の愛」「将軍学」は、この巻の白眉だ。
一方、大モンゴル国----。クビライの兄で第4代皇帝のモンケは「急ぎ過ぎる」性向を持つ。南宋攻略を任せられたクビライは、北部の燕京から西部の吐蕃、南西部の大理を陥し包囲網を成功させるが、南宋の防衛線は淮水と長江の間の平野で「壁」と呼ばれてきた。その防御の要は、2つの城郭、襄陽と樊城。「ニつの城郭を眼に入れた時に全身の毛が立つような感じがあった。陥せるわけがない。漢水の流れが本当の城壁だった。攻められない」とクビライは撤収する。
皇帝モンケは、「襄陽、樊城は自分で抜いてみせる」とはやり親征。クビライから軍権を召し上げる。西進していた兄貴のようなバトゥが死ぬ。モンケはテムゲ家のタガチャルを呼び出し総指揮とし親征を開始する。「クビライは戦わずして無理だと言った。そうなのかな。戦わなければ見えてこないものがある、と俺は思う」と広大な防衛地帯、襄陽と樊城に向かう。しかし、タガチャルは包囲したものの撤退。「あそこは、戦をするところではありません。地も、水上も空も支配されています」・・・・・・。
再び・・・・・・「兄弟に戻れ。モンケはそう言っていた。欲していた。願っていた。頼んでいた」「痩せたか、兄者」「うれしそうでしたね、陛下は。皇帝になられて、寂しいのですね」・・・・・・。二人の心情が伝わってくるなかなかの場面だ。
モンケ、クビライの軍勢30万。主力のクビライ軍----クビライ以下、副官のバアトル、麾下隊長のラケイラ、赤影隊の阿咒、そしてパクパ、竜夏以。いよいよ壁を破りに・・・・・・。そこに一報が・・・・・・。「陛下、御崩御です」と。
蒙古襲来ヘ緊迫感がひたひたと増す。
