脳科学者の母が、認知症になる.jpg脳科学者である恩蔵絢子さん。65歳になる母親がアルツハイマー型認知症になり、煩悶し、その日常に接し、観察し、さまざまな発見していく。「認知症とは何か」「記憶を失うと、その人は"その人"でなくなるのか?」をずっと問い続けた貴重な考察が書かれている。

母親の変化は「記憶の中枢である海馬の萎縮と後頭頂皮質の活動低下、またゆっくりとした大脳皮質全体の萎縮により、記憶力、注意力、判断力など、認知機能が衰えることで見られる人格変化」「仕事や料理をやらなくなったり、人前に出ることを嫌がったりするのも"認知能力の衰え"のせいだけではない。失敗するかもしれないことを減らし、自尊心が傷つけられる機会を減らして、確実にできることだけをやって自分なり満足感を得ようとする。必死で自己を保とうとしている証」「娘の誕生日を忘れたりするのは、母にはもう必要のない記憶になったかもしれない。そもそも脳は徹底的に効率化を図る」「アルツハイマー病の人は"自分は失敗してしまう""なにかがおかしい"ということに気付いている」「海馬は記憶の貯蔵庫ではなく、記憶は大脳皮質に蓄えられ、海馬は大脳皮質に蓄えられている記憶を呼び起こそうとする時にも使われる」――。

そして本書は核心の「『その人らしさ』とは何か(萎縮は海馬に、大脳皮質のさまざまな領域に広がっていってなお、残っている脳部位を使って、人間は、自分の置かれた状況に最後まで適応しようとする)」「感情こそ知性である」の章に進む。「海馬のすぐ隣に扁桃体と呼ばれる感情の中枢が位置している」「知性はIQや偏差値といった指標で決まるものだけではない。ガードナーは対人的知性という感情に関係しているものが1つの知性として認めた」「アルツハイマー病では"感情"が残る。たくさんの種類の感情を感じられる人ほど、挫折からの立ち直りが早い」「感情の刺激が、結局、感情のシステムと、大脳皮質の両方を発達させることになる」――。

「母には"誰かのために動きたい"という感情は、いまでも変わらず残っている。認知機能の作る"その人らしさ"の他に、感情を作る"その人らしさ"があるのである」という。記憶を失っても母は母として進んでいる。凄い世界が開示される。


ゆかいな認知症.png副題は「介護を『快護』に変える人」。奥野さんが、全国を歩いて、認知症になった人、若年認知症の人の「なった時の衝撃」「引きこもった時」「そして今、突き抜けて活躍していること」等、その思いや本音を聞いた生々しい本。たしかに「認知症」と聞くと、理解不能、困ってしまってどうしようもないと思いがちだが、間違い。誤解のうえに成り立った介護は、介護する方にも当事者にも苦痛を与える。

「認知症になったらおしまいではない。自分でできることと、できない事がある。できないことがあるのは不安だが、できないことのなかにも少しはできるものがある」「アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症は違うし、現われる障がいは人によってさまざま違う。当事者が何に困っているかを知ることが、介護する家族にとって大切」「怒られることが嫌。一寸した言い方の違いで不安を抱えた当事者は怒られていると感じてしまう。失敗しても家族に怒られない環境が絶対必要」「認知症をオープンにするまでの葛藤は大きいが、カミングアウト、打ち明けると助けてもらうようになる。そこで人のやさしさを知る。楽しくなる」「隠れないで同僚にオープンにすると、社内の雰囲気はがらりと変わる」「地域に出来つつある施設や支援の集まりに参加すると、変化が生ずる」「当事者も働けるユニークな事業所」・・・・・・。

認知症は、現時点では残念ながら進行を遅らせることしかできない。しかし告知されたら人生が遮断されるのではない。「病を受けとめ、共に歩むこと」「心の状態をハッピーに保ちながら、楽しいと感じることを行うこと」「活動できる場所を多くもち、忘れることを恐れずに」――そこを周りも家族も。


麒麟児  冲方丁著.jpg江戸城の無血開城を成し遂げた勝海舟と西郷隆盛、そして勝の下で働いた山岡鉄太郎(鉄舟)等々。大激動、大混乱のなかでいかに動いたのかを、勝海舟の側から描く。大仕事をしたが、二人とも傷を負い、去った。「生死は天が与えるものだ。・・・・・・何もかもが不条理であり、はるかに人智を越えていた」――。時に遭遇した者すべてが、歴史の激流に翻弄された。

尊王攘夷、公武合体、大政奉還、王政復古、そして江戸開城、明治維新、版籍奉還――。それぞれの思惑が交錯し、「王政復古は所詮、私利私欲に過ぎない」と勝は断定した。「何故、討幕になったのか」――。大政奉還で考えた国の形は、異なる方向へ押し流され、激派を抑え、民衆と徳川を含む藩士の生活保障を確保し、諸外国から日本を守り抜こうとした勝らの壮絶な戦いと孤独が迫ってくる。

「勝、西郷、山岡、益満といった、敵味方でありながら、ともに江戸城開城を成し遂げた者たちには、表立って口にはできないけれども、暗黙の、そして強固な絆が互いにあると山岡は信じているのだ」と書き、「西郷さんは、行き場のない士族たちのために命をくれてやったようなものだ。これほど無私の人を、おれは知らないよ」と勝は言う。


考える日本史  本郷和人著.jpg歴史上の事実や事件は何故起きたのか。史実の背景にある日本人の感覚がどのように形成され、沈潜したり表面化してきたか。日本の国家・貴族・武士、組織の変遷等々、史実の羅列ではなく、広く高い視線からズバッと語ってくれる。鮮やかで面白い。

10の角度から日本史を考える。「信(戦国時代の同盟、"信頼できる男"家康、銭の信用度)」「血(血が地位より重い日本史、才能よりも血統、血脈、世襲)」「恨(天皇の名と恨み、徹底的に幕府に拒否された後鳥羽天皇、切腹とは)」「法(律令国家日本の輝ける歴史・輝ける古代?、基づくものは法ではなく道理)」「貧(昔から貧しかった日本、大飢饉と貴族、日本史の東西格差問題、貧しかった関東・東北)」「戦(南朝軍は勝ったのか、戦術・戦略・兵站、楠木正成の千早城の籠城戦、長篠の戦の物量、戦争のリアル)」「拠(日本には城壁がない、信玄西上作戦は上洛ではない)」「三(中国の三極と日本人が苦手な"第三極"という視座、東北は中央と"5回戦って5回負けた"。東北の底上げがあって江戸の繁栄)」「知(知識人より趣味人になった平安貴族、貴族社会も宗教界も前例主義、江戸時代に起きた知の爆発、合理主義の明治と神話化する大正)」「異(異が生んだ天皇、海外と交わった平家と国内回帰する鎌倉政権、異と繋がる室町幕府、才能の抜擢や虐殺もないぬるい日本の歴史)」――。

日本という国家と日本人に流れるものを考える。


雑賀のいくさ姫.jpg時代は1570年代の戦国。織田信長が勢いを増して畿内を侵攻、さらに西への拡大をめざしていた。雑賀衆は、紀伊雑賀荘周辺の国人、土豪、地侍の集団。"雑賀のいくさ姫"といわれる勇ましい鶴は、有力領主・鈴木孫一重秀の娘。その浜に大きな南蛮船が漂着し、たった一人生き残ったイスパニア人のイダルゴ(騎士)のジョアンは鶴に拾われる。鶴はそれを修復した「戦姫丸」に乗って、商いのために南洋に向かって出航する。村上水軍・村上武吉との戦い、仲裁に入った島津義久や巴、追いかける父・雑賀孫一・・・・・・。彼らを待ち受けていたのは、"新しい国"のために九州を攻め奪おうとする明の大海賊・林鳳であった。結集した雑賀・村上・毛利・大友・島津ら西国大名・水軍と、巨大な明の大海賊との一大海戦が薩摩や奄美の海で繰り広げられる。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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