レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年――。数多くあるレオナルド・ダ・ヴィンチの研究・評論等を踏まえつつ、遺された「記録魔ダ・ヴィンチ」の全7200枚の、しかも各ページがビッシリ埋め尽くされた自筆ノートを基にして、その生涯と数々の謎を更に究めようとした大変な力作。
画家として名高いレオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画のみならず建築、数学、解剖学、動植物学、光学、天文学、物理学、水力工学等々にとてつもない業績を残すとともに、軍事顧問であり、舞台演出家でもあった。超人的な万能の天才だが、神が降りてくる"ひらめき"の天才では全くなく、全方位にわたって論理的、実証的に「究め尽くさずにはいられない」人物であったことをウォルター・アイザックソンは描く。ゆえに「レオナルドは天才ではなかった」「安易に天才と呼ぶべきではない」と戒め、「天才の称号を獲得した人物」「自分の専門分野というサイロにとらわれず、失敗を恐れず、好奇心の赴くままに境界を越えていく(土方奈美)」という。
レオナルドの芸術と人生――。「旺盛な好奇心を原動力に、果てしない驚きと向き合い、全方位・全分野を探究する」「宇宙と人間の本質への探究」「モナリザにかけた16年。それは単なる個人の肖像画ではなくなった。我々の内なる営みの外面への現れについて、また我々と宇宙とのつながりについて、レオナルドが蓄積した英知が凝縮された普遍的存在となったのだ」「レオナルドの作品は未完成が多かった。・・・・・・完成したとみなすことを拒み、顧客に引き渡すのを拒んだ理由の一つは、世界を流動的なものとして見ていたからだ。・・・・・・流れる川の水滴が一つとして自己完結しないように、自己完結する瞬間はない。どの瞬間も、直前と直後の瞬間と結びついている。自らの芸術、技術、論文についても変化するプロセスの一部と見ており、新たな洞察に基づいて洗練されていく余地は常にあると考えていた。作品の完成を宣言し、手放すことは、その進化を止めることだと考え、レオナルドはしたくなかった(モナリザもレオナルドがあと10年長く生きていたら、その分手を加え続けていただろう)」「すばらしく優秀というだけの人との違いは、その創造力だ。想像力を知性に応用する能力だ。レオナルドには観察と空想を難なく結び付ける能力があった」「好奇心に突き動かされ、この世界を知りうることすべてを知り尽くそうとした人物は、歴史上数えるほどしかない。探究心をもった博識家はルネサンス期だけでも輩出された。しかし、モナリザという傑作を描くかたわら、比類なき解剖図を制作し、川の流れを変える方法を考案し、地球から月への光の反射を説明し、まだ動いている豚の心臓を切開して心室の仕組みを解明し、楽器をデザインし、ショーを演出し、化石を使って聖書の大洪水を否定し、大洪水を描いて見せた者はいない。レオナルドは万物を理解し、そこにおける人間の意義を確かめようとした普遍的知性の体現者である」・・・・・・。
森羅万象、宇宙と人間、生命へのあくなき求道の大哲学者・レオナルド・ダ・ヴィンチの瀑布に打たれる。
じつに味わい深い。日常に使われている言葉、死語となっている言葉、どこに由来するのかわからない不思議な言葉。「ことばの本というと名句や成句や名言が素材になるが、ここでは何でもない日常語を扱っている」「印象深く記憶にのこった一つの局面をたどってみた。何でもないことばが、ことのほか意味深くなる。石に刻んだ名言は摩減するが、日常語はみだらでワイザツな日常を生きて名言に一歩もひかない」と語る。
「のろま」について「人間にはのろま型と、はしっこいタイプがいるようだ・・・・・・はしっこいのは20代、30代の前半あたりまで活躍する。・・・・・・だが、そのうち音沙汰なくなって、どこにいるかもわからない。入れかわってのろま型はいい仕事をする」「現代はすばしっこいタイプの時代である。人はみなせわしなく動きまわって鉄砲のようにしゃべり立てる。・・・・・・はしっこいのがいらいらして息切れしてくるなかで、のろま型はのんびりとわが道をいけばいいわけだ」・・・・・・。
「ちょい役」――「いかにも軽い役柄ながら、主役、中堅に加えて端役がいないと舞台が成り立たない。・・・・・・見る人に見てもらって、そのあとすぐに忘れられるのが、花も実もあるちょい役哲学というものである」。「ピンはね、ねこばば」「虫がいい」「ちゃぶ台返し」「おためごかし」「遊戯歌」・・・・・・。言葉の謂れ、昔の庶民の生活、幼い頃の思い出等が描かれ、なつかしくもあり、言語が消えるとともに現代社会が"失ってしまったもの"が浮き彫りにされる。
「『あの子がほしい、あの子じゃわからん、まけてくやしい花いちもんめ』――生々しい人間の世界で使われてきた『花いちもんめ』」だが、悲しい。「クダを巻く(糸を巻き取る管)」「ふくろ(人体=ふくろ)」「通」「関西弁のスピード」「ボケと認知とカント」「小市民のズルさ、小心ぶり、無責任」「われをほむるものハ あくまとおもうへし」「シラミとノミ」「"店じまい"が呼び起こす微妙な心の状態」・・・・・・。時代をくぐり抜けて体験を重ねて生み出された日本人の知恵の味わい深さに感じ入る。
人間を磨くということは、会話を磨くことともいえる。「仕事と人間関係を劇的によくする技術」が副題。「自分のことは話すな」「あなたの話はムダだらけ」といわれれば、誰しもそう思わざるを得ないが、気付いていないのが普通だろう。
まず「相手は自分の話に大して興味を持っていない」のだ。ムダな雑談には付き合いたくないし、自分のことばかり話されてもイヤな気持ちになるだけだ。「自分の話を聞いてほしい」という考え方ではなく、「相手が何を求めているか」「一歩踏み込んだ深みのある会話」にチャレンジしようという。
「余計な話」「いらない雑談」とは「相手から求められていない話」「確証のない噂や推測の『たぶん〇〇であろう話』」「"だから何?"といった類の『得のないムダ話』」の3種類。必要なのは「相手の側に立つこと」「相手の役に立てることを考え抜く習慣」だという。また就職など「採用のチャンスは普段にある」――。紹介されやすい人の言動の特徴は「礼儀正しく"わかりやすい"自己紹介ができる」「話のネタ選びが"健康的"である」「清潔感をキープする"余裕"がある人」が指摘される。納得だ。無意味な会話を「雑談」と厳しく言っているが、"浅い話"を引き延ばすのでなく、すぐに本題に入れる「フレーズ集」が示される。そしてダラダラ、次から次へ続けてしゃべる人がいるが、「話したいことの5割をカットせよ」「相手が求める『ズバリの答え』を一言で出す」等を示す。政治家はしゃべり続けがちだが、「"私も!"といって話題を奪わない」ことを戒めている。それに安易に"同意"されても落胆するものだ。「心に刺さる言葉だけ使う」ことが述べられているが、「聞き上手」というのが最もいい会話を引き出すのではないか。「人生は話し方が9割」と帯にあるが、会話は人生の最重要なものであることは間違いない。
「日本は課題先進国と言われる」「世界は、課題に満ちている。世界は、アイデアが足りない状態である」「アイデアを求めている人がいるところに、僕たちが出かけていかなければならない」――。「世界中すべての課題を、あらゆる手段を駆使して解決する技術とプロセス」がクリエイティブ・ディレクションだ。テレビCMや広告製作をイメージするのは過去のこと。それのみならず全ての課題について、ミッションを発見し、アイデアを考え、形にする。本書はきわめて意欲的、刺激的で重要。考えてみれば、「政治は結果」――政治家の本来やるべきことと同じだ。クリエイティブ・ディレクションの能力はAI時代も含めて、人間の最も重要な能力であり、人材が渇望されている。
クリエイティブ・ディレクションの仕事――。「課題→アイデア→エクゼキューション」を考え、決定し、実行すること。「ミッションの発見」「コア・アイデアの確定」「ゴールイメージの設定」「アウトプットのクオリティ管理」の4項目が示される。具体的で難題が言語化され、プロの仕事に納得する。
「要は、『困っていること』が課題だ」「課題とは状況、漠たる不満という状況である。この漠たる不満を、確たる不満に昇格させ、"明確で正しい困り方"に凝縮させる。アイデアを考える範囲に限定して、考えやすい状態にすること。それがミッションの発見」「ブランドの本質の本質の本質の本質は何か。ワンフレーズに凝縮するのだ」「ゴールイメージの設定とは、ターゲットとの接触面を設計することである。みんなが自分に関係あると感じさせること。ゴールイメージとは、抽象的では決してなく、具体的身体的なものだ。"こんな感じ"をみんなでシェアしようということなので・・・・・・」「クオリティはどこからくるのか。・・・・・・表現の点数を上げる原理は存在する。『びっくり×はたひざ(納得)』だ」「クリエイティブ・ディレクションの8割は論理的出来事。ロジックこそ最重要ツール。しかし、仕事の最終的な"くる・こない"を決定するのは、論理を超えた部分、直観的本能的感覚的肉体的右脳的なのである」「アイデアを出現するような状態を人為的につくることは可能。神が降りてくるのを待つだけでは勝率は上がらない。脳を一定の準備された状態まで的確に追い込んでいくことである」「アイデアに至る2つのルートは『ひらめき』と『直観』。1万時間のトレーニングが必要」「クリエイティブのリーダーシップには、カリスマ性が要求される。ディーセンシーと膨大な読書量に裏打ちされたインテリジェンスとの共存によってリスペクトされるCDになる」「JR九州と"牛乳に相談だ"の中央酪農会議の例」「人気は右脳的である。ヒトは人気のある人、存在感のある人の話しか聞かない。"主語"の力だ。ブランディングとは、主語の力を強くする運動にほかならない」「牛乳なら、その存在感を獲得する右脳的なことと、ベネフィットを伝える左脳的なことを同時に伝えるコミュニケーション・システムを構築することだ」「ターゲットとの接触面をつくり、"牛乳ってやつは思ったより楽しいじゃん"とする」「for Goodがブランドキャンペーンに不可欠なエレメントになってきた。社会意識の変化だ。リーマン・ショックまでは"Strong"に価値があったが、(日本の3.11以降を経て)"Good"に価値、世に役立った志向となってきた」・・・・・・。きわめて面白く、重要で刺激的な本(人)に出会った。
玄宗皇帝(李隆基)は685年に生まれ、712年に皇帝に、そして安史の乱(755年)を経て762年に没する。盛唐といわれ、遣唐使が遣わされて唐文化の華やかななかでの生涯と思われるが、波瀾万丈、栄枯盛衰の波浪に揉まれ続けた。幼き頃は祖母・則天武后の権勢の下にあり、その後も、内には賢臣、姦臣が跋扈し、突厥、契丹、回鶻等の北からの侵攻にも苦しむ。そして寵愛した楊貴妃(玄宗の35歳下)が安史の乱の渦中で縊死するが、玄宗はもう認知症の状態であったようだ。
唐の皇族として生まれた李隆基の幼少期。武氏を引き立たせようとした空前絶後の女帝・則天武后は政敵を次々に排除、張兄弟などの愛妾までが横暴のきわみを尽くす。次に権力を握るのが義理の伯母の韋后と叔母の太平公主。女性に翻弄された時代だ。青年期の李隆基はこの則天武后と韋后の騒動(武韋の禍)を経て、皇帝旦の重祚の後、帝位につく。28歳だ。その後も内紛や外敵の侵入は尽きない。宦官や科挙が何故に行われたか。人材登用においても恩蔭系、科挙系、寵愛系があること。群蝗に悩まされたこと。日本から命がけでやってきた遣唐使が活躍したこと。居残りの留学生として吉備真備、阿倍仲麻呂、玄昉ら、とくに阿倍仲麻呂が重用されたこと。寿王(李瑁)の妃であった楊玉環を李隆基が最愛の武恵妃の死後に寵愛し貴妃(楊貴妃)としたこと。年上の安禄山が楊貴妃の養子におさまったこと。そして安史の乱・・・・・・。
すさまじい唐の膨大な歴史が、玄宗皇帝とその取り巻きの栄枯盛衰とともに活写される。