江戸時代の末期、九州の豊後・日田の豪商・広瀬家の8男として生まれた儒学者・漢詩人の広瀬旭荘。長兄が詩人として著名な広瀬淡窓、家業を継いだのが兄・広瀬久兵衛。淡窓は温和で平明な詩を作ったが、旭荘は才気横溢の詩を作ったといわれる。旭荘の詩を斉藤松堂は「構想は泉が湧き、潮が打ち上げる様、字句は、球が坂をころげ、馬が駆け降りる様。雲が踊り、風が木の葉を舞き上げる様だ」と評したという。しかし、旭荘には情があふれる一方で、胸の裡にいつの間にか憤懣が溜まり、炎が吹き荒れ、苛立ちのあまり妻を打擲。はじめの妻は、去ってしまう。悔恨と自己嫌悪をもつ旭荘の下に2度目の妻・松子が来る。松子は、激情にかられ暴力を振るうこともある旭荘の心の奥底に優しさのあることを感知し、支え続けた。葉室麟の描く、至高の夫婦愛は心に激しく迫る。
旭荘の生きた時代は、幕府の衰えに天変・大火・飢饉が加わる不安定な天保、そして激動の幕末。日田を拠点としつつも、上方へ、江戸へと旭荘の舞台は移る。そこで遭遇する大塩平八郎の乱(天保8年、1837)、蘭医・緒方洪庵の滴々斎塾、田原藩・渡辺華山や高野長英らの逮捕(蘭学者を弾圧した蛮社の獄)、禁令が頻発される水野忠邦の天保の改革とその挫折・・・・・・。それらは旭荘の人生に直接、影響した。
「ひとは才において尊いのではない。人は慈しむ心において尊い」「ひとはおのれが手にしているもののことは思わず、持っていないもののことばかり考えてしまうようだ。わたしは、そなたを娶れて幸せであったと思っている。ほかの女人のことを考えたことはない」「わたしは妻のことだけを案じて泣く小人なのだろうか」「ひとりを懸命に救おうとするひとが本当に多くのひとを救えるのではないかと思う。ひとりを救わずに多くのひとを救うことはできないのではないでしょうか」「旦那様、話を聞かせてくださいまし・・・・・・桃花多き処是れ君が家 晩来何者ぞ門を敲き至るは 雨と詩人と落花となり」・・・・・・。松子の思い出を書いた「追思録」を旭荘は晩年に至るまで手元に置き続けたという。追悼 葉室麟。
「財政(赤字)」「異次元の金融緩和」「デフレ脱却」、加えて「電子・暗号通貨の流通」「キャッシュレス化」「MMT」などが話題となる新時代――。本書はあらためて「貨幣とは何か」を問い直す。しかもそれを「歴史から経済学的な知見を導き、検証」する。「貨幣から見る歴史」にも「歴史から見る貨幣」にもなっている。経済から見て貨幣とは何か、国家から見て貨幣とは何かである。
663年の白村江の戦いでなぜ倭国軍は敗れたのか。めざすは中央集権国家の樹立。広範囲に及ぶ安定的な統治があるとき、政府発行の貨幣は、貨幣としての役割を十全に果たすことができる。白村江の敗戦はまさに中央集権国家「日本」のはじまりであり、日本における貨幣を生むことになった。無文銀銭からはじまり、初の政府鋳造貨幣としての富本銭、初の本格的流通となった和同開珎プロジェクト、そして皇朝十二銭の消滅で古代貨幣史はひとまず終焉する。「新貨が旧貨の10倍の価値」では貨幣にとって最も重要な信頼を失い、稲や布での取引を行うようになった。平安時代後期の銭不在の時代だ。宋、明からの渡来銭、不足する銭とデフレーションの時代を経て戦国時代へ移るが、常に問われるのは「政府負債の発行と、それに耐えるだけの信用」の問題だ。
江戸時代は支配力を持った政権が浸透し、金融価値と名目貨幣を分離させ、貨幣発行益を得ることになる。元禄の改鋳により、日本の貨幣制度は「政府が発行し(政府負債であり)」「原材料価値と額面価値が無関係で(名目貨幣であり)」「誰でも貨幣として受け取るから貨幣として流通する(循環論法に支えられる)」に踏み出す。元禄、正徳、享保、元文、家斉・忠成のそれぞれの改革(失敗も)を経て、幕末は通貨問題・国際為替問題・金流出に苦闘する。政府発行の貨幣の強みは「納税に使えること」であり、政府発行益を手にできるのだが、「政府負債、名目貨幣、循環論法」の3つは重要な要素だ。
「貨幣とは何か」を歴史の変遷を通じて掘り下げ、現在の「財政」「金融・財政政策」「仮想通貨」の本質を突く。きわめて面白く秀逸だ。
上池袋のアパートで、若い女性・上田朱美が同居人の男に殺害される。そして男は、「同棲を始めたころ、朱美が使い古しの絵の具のチューブを一つ見せて、何年か前に武蔵野の野川公園で殺された人が持っていたものだ、その場所に落ちていたから拾った、などと言いだしたことがある」という。12年前の2005年12月25日、クリスマスの朝、元中学校美術教師であった栂野節子が日課としている公園での写生中に殺害された"野川事件"。少女A(朱美)が何らかで関係しているのではないかと捜査に当たった合田雄一郎は感じていたが、迷宮入りとなっていた。再び刑事たちが動き出し、孫の栂野真弓(結婚して佐倉)、その母・雪子、朱美の母・亜沙子や友人の小野雄太、浅井忍などが聴取される。しかし、解明には程遠いものばかりだった。そのなかで当時、忍が撮った写真が明らかになる。その写真を見ながら関係者の記憶の断片が想い起こされるとともに、当時の家庭内や友人関係の昏い日々が溶け出してくる。
その揺れ動く心象風景を描き続けるキメ細やかで力ある筆致には感嘆する。人それぞれの心の闇の深さはわからない。友人といっても、家族といっても、その外側には必ず自分の知らない世界が広がっている。自分の知っていると思っていた世界は、実際には事実のほんの一部でしかない。だからこそ「我らが少女A」ということだ。この「外側の自分の知らない世界」を探るのに、12年経った今、ネットやフェイスブック、SNS、インスタグラムが大きな役割を果たす。関係者間の連絡はスピーディで情報は共有されていく。捜査対象がどんどん情報を交換してしまう社会が今だ。加えて、家庭内には他者にはうかがい知れない亀裂と闇とイライラ、「大人の人生の何という薄昏さ」が描き出される。「祖母の存在は家のなかに気難しい教師が一人同居しているようなものだったが、最近は自分のほうに後ろめたいこと(喫煙など)がいくつもあるせいで、苦手意識に拍車がかかっている」と孫の真弓は語る・・・・・・。
「まほろ駅前多田便利軒」も「舟を編む」も「ののはな通信」も、ずいぶん作風が違うと思っていたが、本書を読んで納得した。発想も行動も言葉づかいも、きわめて生命力豊かで自由自在。まさに「ありふれているのに"奇想天外"な日常が綴られるエッセイ集」だ。面白い。生きている。生命力豊かで、日常を自由自在に翻弄している。
単調のような日常でも驚きも新発見も笑いも喜びも怒りもある。本書に出てくる「緑のインコ」「歯痛」「愛する自転車」「読書」「酷暑」「花粉症」「宝塚」「梅ヶ枝餅」「映画やアニメ」「すれちがい」「ぎっくり腰」「積雪」――。私自身も体験してきた日常だが、とらえる感性、ユーモアには凄みがある。自分でも「今頃になって咲き誇るベランダの朝顔」「どうしてタピオカブーム」「クーラーが壊れた」とかの出来事に「豊かな日常」があるように思えてくる。ちなみに私は本書に出てくる「下唇の下に紙を挟めるひと(しゃべれないが)」です。
「『戦争』と『地形』で解きほぐす」が副題。明治5年9月12日(太陽暦では10月14日=この日が鉄道の日となった)、新橋・横浜間の開業、明治7年5月11日に大阪・神戸間の鉄道開業。東京から東海道線が走り、やがて山陽本線が続いたと思っていたがとんでもない。明治初期、東京と西京(京都)を結ぶ「両京線」として構想されていたルートは東海道ではなく中山道であった。そして新橋・横浜間も、東海道線の一部として開業したのではなく、中山道幹線の荷揚用支線という性格をもっていたという。とくに軍部は艦砲射撃を恐れて、海寄りの鉄道敷設に反対、内陸を選択しようとした。しかし内陸部には急峻な山があり、難工事が予想され、建設費も多額を要する。本書では、路線の選択に激しい攻防があり、まさに「戦争」と「地形」で「なぜこんな鉄道路線がとられるに至ったか」を解明する。抜群に面白い。
「西南戦争と両京幹線――なぜ中山道ではなく東海道ルートの運転となったか」「海岸線問題と奥羽の鉄道――なぜ奥羽本線は福島から分かれているか(児玉源太郎の大演説と渋沢栄一の反撃)」「軍港と短距離路線――なぜ横須賀線はトンネルが多いか」「陸軍用地と都心延伸――なぜ中央線は御料地を通ることができたか(北線と南線)」「日清戦争と山陽鉄道――なぜ山陽本線に急勾配の難所があるのか」「日露戦争と仮線路――なぜ九州の巨大駅は幻と消えたか(8日間だけの軍用停車場)」「鉄道聯隊と演習線――なぜ新京成線は曲がりくねっているか」「総力戦と鉄道構想――なぜ弾丸列車は新幹線として蘇ったか」――。
日本の近代史と鉄道路線がこれほど関係していることに驚嘆する。同時に、明治の後半、なんと激しく全国の鉄道路線が建設されたか、感心するばかりだ。