世界史のミカタ.jpg歴史はどうしても勝者の歴史となる。西欧史が世界の主流として分析され、そして東洋史は東アジア全体というより、中国と韓半島、そして日本史を我々は学ぶことになる。これまでの世界史だ。本書ではこれまでにない世界史が「世界史のミカタ」として語られる。特徴的なのは、中央アジアに蟠踞した遊牧民への視座。「中国史でも、ヨーロッパ史でもない、中央アジアの勢力を公平に評価する世界史のミカタ(中国史の研究者は黄河より内側の勢力争いに興味を寄せやすく、ヨーロッパ史の研究者は民主的なギリシアが専制的なペルシアをどうあしらったかといった視点で研究してきた)」「遊牧民は季節に応じた牧草を求めて移動するので、土地を与えられて主従関係を結ぶという封建制の関係が成り立ちにくい。・・・・・・土地が欲しい農耕社会、つまりユーラシア大陸の両端に封建的な世界が成立し、真ん中の草原が封建制と関係ない世界になる(梅棹忠夫)」わけだ。もう一つ、「世界史から見た日露戦争」「第一次世界大戦のインパクト」に象徴されるように、世界が大航海時代と産業革命を経て、相互に影響を与えて共振し、それに各国の戦略が加わって大変動をもたらすダイナミズムを語っていることだ。世界史の"共振のダイナミズム"といえようか。たしかに国家の枠を超えて「世界を見る力」を刺激的に開示してくれる。

各章の対談は、大胆・率直だ。「神話の共通性(なぜ世界の神話は似ているか)(女装する英雄)」「世界史を変えた遊牧民(すべてはアレクサンドロスから始まった)(異民族に寛容だったローマ帝国)(遊牧民のインパクト)」「宗教誕生とイスラム世界の増殖(なぜ多神教から一神教が生まれたのか)(ローマ帝国にキリスト教が広まった理由)(貨幣経済と寄付社会)(教会がなければ統治できない王たち)」「中華帝国の本質(漢民族の王朝は漢、宋、明の三つしかない)(中国には内側で完結する強い内向性=中華意識)(中国の伝統にある文人の文化、人文的教養・文弱の中国)」「ヨーロッパの二段階拡大(大航海時代の"点の支配")(産業革命による"面の支配")」「明治維新とフランス革命の類似性(なぜ、ルイ16世は処刑されたか)(強烈な「日本」意識)」「システムとしての帝国主義(ビスマルクの深謀遠慮)(未熟なアメリカ外交)(世界史から見た日露戦争)」「第一次大戦のインパクト(帝国の解体)(日本にとっての第一次世界大戦)」「今も残るファシズムの亡霊(ムッソリーニが残した文化遺産)(ナポレオンとヒトラーの決定的違い)」「社会主義は敗北したか(社会主義はフランス革命から始まった)(平等の為に人は戦わない)(社会主義の闇)」「国民国家の次に来るもの(人間は何のために死ねるか)(日米英三国同盟)(すぐに降伏するイタリアは進んでいる)」・・・・・・。

世界の歴史を俯瞰する。自由自在に。


氷獄.jpg最新の心臓手術の最中に起きた前代未聞の殺人事件を描いた「チーム・バチスタの栄光」。それから13年ぶりに海堂尊が続編として出したのがこの「氷獄」。「バチスタ・スキャンダル」の裁判がいよいよ始まったという設定だ。

「バチスタ・スキャンダル」から2年。被疑者・氷室は黙秘を続け、弁護をも拒み続ける。しかも「保身の願望もない」と言うのだ。死刑に持ち込みたい検察もこれに手こずり、起訴の基本方針も決められないでいた。そこに国選弁護士として新人弁護士・日高正義が名乗りをあげる。しかし、意気込んで東京拘置所に行った日高に対して、氷室は「保身の願望もない」「ここは氷の牢獄。何をしても凍えるだけ」と虚無的態度に取り付く島がない。諦めない日高は、「チーム・バチスタの栄光」の田口医師やインテリ・ヤクザ、イヤミの白鳥技官らの話を聞き、ある提案を持ち掛ける。そして2人は、氷室の"死刑"と引き換えにしたそれぞれの闘いを始めるのだ。

日高正義の名前にもあるとおり、テーマは「医療と司法の正義を問う」だ。難しい生死の境に立つ医療現場、有罪率99.9%の検察司法の難しさと歪み――そうしたなかでの正義とは何か、医療過誤に苦しむ患者と医師の双方を助けるにはどうしたらいいのか。「『正義』とはできるだけ小さく使う方がよい。大きく使おうとすればするほど、か弱き人々を傷つける」「私が医師のミスを徹底的に叩くシステムを作った結果、誠実な医師のミスを糾弾し、潰してしまうことになった。だが今回、そんな医師を救えて、酷いシステムを手直しすることもできた」「『小さき正義』とは、悪の中にも棲息しているかもしれない。・・・・・・正しいものばかり集めたら、世界は息苦しくなり、潰れちゃう。だからバランスを取るためにわたしは極悪人でも誰も弁護を引き受けたがらないような人を引き受けることにしたの。世の中にはへそ曲がりが必要なのよ」・・・・・・。そういう意味では登場人物がいずれもキャラの立つ"へそ曲がり"だ。

本書は他に東城大学医学部付属病院を舞台とし、田口や白鳥らも登場する「双生」「星宿」「黎明」の3編がある。


結婚不要社会.jpg「欧米は日本に先んじて結婚不可欠社会から脱しているが、日本も事実婚や同棲カップルが増え、結婚しなくても子どもを産み育てる制度が整い、結婚不要社会の方向に進んでいる」「1990年国立社人研は"1.57ショック"の警鐘を鳴らした」「1995年の30代前半の未婚率は、男性37.3%、女性19.7%。それが2015年には男性47.1%、女性34.6%」「少子化の原因は"保育所の不足"だけではなく"結婚の減少"と初めて認めたのが麻生政権の時」「少子化は晩婚化によるといわれていたが違う。晩婚化ではなく未婚化だ」「いい男がいないから結婚しない。収入が低い男性とあえて結婚することはしない」「結婚困難社会だが、独身でも生活できる仕組みが整った」「1997年のアジア金融危機、その後の人件費の安い非正規雇用の増大が未婚化を深刻にした」「加えて生じた想定外の社会現象が、"恋愛の衰退"。これは生活の責任をもって愛情で結婚する欧米とは全く違う」・・・・・・。

近代社会における結婚は「親密性」と「経済生活」の2つの要素が前提で組み立てられている。「恋愛」と「生活」、「自分の存在を肯定してくれる相手」と「結婚後の経済生活を期待できる相手」だ。かつての「イエの跡を継ぐ」時代から高度成長によってサラリーマン化し、「イエ」からの自立が進み、都会の企業で給料も上がり「皆婚社会」が成立した。しかし、それが90年代から「フリーター」「非正規雇用」など経済的困難さに遭遇する。ニューエコノミーの進展、サービス化やグローバル化や情報化は男性の雇用の不安定化、収入の格差を生み、女性も職場労働で自立する社会が始まった。「いまや男女にとって、親密な関係性と経済目的を満たすため、結婚が不要になった」という。大別すると「結婚の困難性が顕著な日本や東アジア諸国」「結婚の不要性が顕著になってパートナーを求める欧米」となり、「日本では経済的な満足度を重視し、それが低下すると離婚」「欧米では親密性の満足度を重視し、それが低下すると離婚」という傾向の違いがあるとする。欧米では、経済生活はそれぞれ自立し、親密性では恋愛感情志向でパートナー化する。「日本が欧米のような結婚不要社会にならない最大の理由は、日本社会が従来型の近代的結婚に固執しているからだ」という。その理由として「社会システムが近代的結婚を必要としている」「永続性の保証」「世間体社会」「子どものために」の4点を指摘する。そして世界が結婚困難社会となるなか「欧米では"同棲"といったパートナーとの新しい形の結び付きが広まり結婚が不要になるという道を辿り、日本では"バーチャル関係"が広まるという形で結婚どころか、リアルなパートナーとの結びつきも不要になり始めている」と総括し、危惧する。


レオナルド・ダヴィンチ上.jpgレオナルド・ダヴィンチ下.jpgレオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年――。数多くあるレオナルド・ダ・ヴィンチの研究・評論等を踏まえつつ、遺された「記録魔ダ・ヴィンチ」の全7200枚の、しかも各ページがビッシリ埋め尽くされた自筆ノートを基にして、その生涯と数々の謎を更に究めようとした大変な力作。

画家として名高いレオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画のみならず建築、数学、解剖学、動植物学、光学、天文学、物理学、水力工学等々にとてつもない業績を残すとともに、軍事顧問であり、舞台演出家でもあった。超人的な万能の天才だが、神が降りてくる"ひらめき"の天才では全くなく、全方位にわたって論理的、実証的に「究め尽くさずにはいられない」人物であったことをウォルター・アイザックソンは描く。ゆえに「レオナルドは天才ではなかった」「安易に天才と呼ぶべきではない」と戒め、「天才の称号を獲得した人物」「自分の専門分野というサイロにとらわれず、失敗を恐れず、好奇心の赴くままに境界を越えていく(土方奈美)」という。

レオナルドの芸術と人生――。「旺盛な好奇心を原動力に、果てしない驚きと向き合い、全方位・全分野を探究する」「宇宙と人間の本質への探究」「モナリザにかけた16年。それは単なる個人の肖像画ではなくなった。我々の内なる営みの外面への現れについて、また我々と宇宙とのつながりについて、レオナルドが蓄積した英知が凝縮された普遍的存在となったのだ」「レオナルドの作品は未完成が多かった。・・・・・・完成したとみなすことを拒み、顧客に引き渡すのを拒んだ理由の一つは、世界を流動的なものとして見ていたからだ。・・・・・・流れる川の水滴が一つとして自己完結しないように、自己完結する瞬間はない。どの瞬間も、直前と直後の瞬間と結びついている。自らの芸術、技術、論文についても変化するプロセスの一部と見ており、新たな洞察に基づいて洗練されていく余地は常にあると考えていた。作品の完成を宣言し、手放すことは、その進化を止めることだと考え、レオナルドはしたくなかった(モナリザもレオナルドがあと10年長く生きていたら、その分手を加え続けていただろう)」「すばらしく優秀というだけの人との違いは、その創造力だ。想像力を知性に応用する能力だ。レオナルドには観察と空想を難なく結び付ける能力があった」「好奇心に突き動かされ、この世界を知りうることすべてを知り尽くそうとした人物は、歴史上数えるほどしかない。探究心をもった博識家はルネサンス期だけでも輩出された。しかし、モナリザという傑作を描くかたわら、比類なき解剖図を制作し、川の流れを変える方法を考案し、地球から月への光の反射を説明し、まだ動いている豚の心臓を切開して心室の仕組みを解明し、楽器をデザインし、ショーを演出し、化石を使って聖書の大洪水を否定し、大洪水を描いて見せた者はいない。レオナルドは万物を理解し、そこにおける人間の意義を確かめようとした普遍的知性の体現者である」・・・・・・。

森羅万象、宇宙と人間、生命へのあくなき求道の大哲学者・レオナルド・ダ・ヴィンチの瀑布に打たれる。


ことば事始め.jpgじつに味わい深い。日常に使われている言葉、死語となっている言葉、どこに由来するのかわからない不思議な言葉。「ことばの本というと名句や成句や名言が素材になるが、ここでは何でもない日常語を扱っている」「印象深く記憶にのこった一つの局面をたどってみた。何でもないことばが、ことのほか意味深くなる。石に刻んだ名言は摩減するが、日常語はみだらでワイザツな日常を生きて名言に一歩もひかない」と語る。

「のろま」について「人間にはのろま型と、はしっこいタイプがいるようだ・・・・・・はしっこいのは20代、30代の前半あたりまで活躍する。・・・・・・だが、そのうち音沙汰なくなって、どこにいるかもわからない。入れかわってのろま型はいい仕事をする」「現代はすばしっこいタイプの時代である。人はみなせわしなく動きまわって鉄砲のようにしゃべり立てる。・・・・・・はしっこいのがいらいらして息切れしてくるなかで、のろま型はのんびりとわが道をいけばいいわけだ」・・・・・・。

「ちょい役」――「いかにも軽い役柄ながら、主役、中堅に加えて端役がいないと舞台が成り立たない。・・・・・・見る人に見てもらって、そのあとすぐに忘れられるのが、花も実もあるちょい役哲学というものである」。「ピンはね、ねこばば」「虫がいい」「ちゃぶ台返し」「おためごかし」「遊戯歌」・・・・・・。言葉の謂れ、昔の庶民の生活、幼い頃の思い出等が描かれ、なつかしくもあり、言語が消えるとともに現代社会が"失ってしまったもの"が浮き彫りにされる。

「『あの子がほしい、あの子じゃわからん、まけてくやしい花いちもんめ』――生々しい人間の世界で使われてきた『花いちもんめ』」だが、悲しい。「クダを巻く(糸を巻き取る管)」「ふくろ(人体=ふくろ)」「通」「関西弁のスピード」「ボケと認知とカント」「小市民のズルさ、小心ぶり、無責任」「われをほむるものハ あくまとおもうへし」「シラミとノミ」「"店じまい"が呼び起こす微妙な心の状態」・・・・・・。時代をくぐり抜けて体験を重ねて生み出された日本人の知恵の味わい深さに感じ入る。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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