自分のことは話すな.jpg人間を磨くということは、会話を磨くことともいえる。「仕事と人間関係を劇的によくする技術」が副題。「自分のことは話すな」「あなたの話はムダだらけ」といわれれば、誰しもそう思わざるを得ないが、気付いていないのが普通だろう。

まず「相手は自分の話に大して興味を持っていない」のだ。ムダな雑談には付き合いたくないし、自分のことばかり話されてもイヤな気持ちになるだけだ。「自分の話を聞いてほしい」という考え方ではなく、「相手が何を求めているか」「一歩踏み込んだ深みのある会話」にチャレンジしようという。

「余計な話」「いらない雑談」とは「相手から求められていない話」「確証のない噂や推測の『たぶん〇〇であろう話』」「"だから何?"といった類の『得のないムダ話』」の3種類。必要なのは「相手の側に立つこと」「相手の役に立てることを考え抜く習慣」だという。また就職など「採用のチャンスは普段にある」――。紹介されやすい人の言動の特徴は「礼儀正しく"わかりやすい"自己紹介ができる」「話のネタ選びが"健康的"である」「清潔感をキープする"余裕"がある人」が指摘される。納得だ。無意味な会話を「雑談」と厳しく言っているが、"浅い話"を引き延ばすのでなく、すぐに本題に入れる「フレーズ集」が示される。そしてダラダラ、次から次へ続けてしゃべる人がいるが、「話したいことの5割をカットせよ」「相手が求める『ズバリの答え』を一言で出す」等を示す。政治家はしゃべり続けがちだが、「"私も!"といって話題を奪わない」ことを戒めている。それに安易に"同意"されても落胆するものだ。「心に刺さる言葉だけ使う」ことが述べられているが、「聞き上手」というのが最もいい会話を引き出すのではないか。「人生は話し方が9割」と帯にあるが、会話は人生の最重要なものであることは間違いない。


すべての仕事はクリエイティブ・ディレクションである。.jpg「日本は課題先進国と言われる」「世界は、課題に満ちている。世界は、アイデアが足りない状態である」「アイデアを求めている人がいるところに、僕たちが出かけていかなければならない」――。「世界中すべての課題を、あらゆる手段を駆使して解決する技術とプロセス」がクリエイティブ・ディレクションだ。テレビCMや広告製作をイメージするのは過去のこと。それのみならず全ての課題について、ミッションを発見し、アイデアを考え、形にする。本書はきわめて意欲的、刺激的で重要。考えてみれば、「政治は結果」――政治家の本来やるべきことと同じだ。クリエイティブ・ディレクションの能力はAI時代も含めて、人間の最も重要な能力であり、人材が渇望されている。

クリエイティブ・ディレクションの仕事――。「課題→アイデア→エクゼキューション」を考え、決定し、実行すること。「ミッションの発見」「コア・アイデアの確定」「ゴールイメージの設定」「アウトプットのクオリティ管理」の4項目が示される。具体的で難題が言語化され、プロの仕事に納得する。

「要は、『困っていること』が課題だ」「課題とは状況、漠たる不満という状況である。この漠たる不満を、確たる不満に昇格させ、"明確で正しい困り方"に凝縮させる。アイデアを考える範囲に限定して、考えやすい状態にすること。それがミッションの発見」「ブランドの本質の本質の本質の本質は何か。ワンフレーズに凝縮するのだ」「ゴールイメージの設定とは、ターゲットとの接触面を設計することである。みんなが自分に関係あると感じさせること。ゴールイメージとは、抽象的では決してなく、具体的身体的なものだ。"こんな感じ"をみんなでシェアしようということなので・・・・・・」「クオリティはどこからくるのか。・・・・・・表現の点数を上げる原理は存在する。『びっくり×はたひざ(納得)』だ」「クリエイティブ・ディレクションの8割は論理的出来事。ロジックこそ最重要ツール。しかし、仕事の最終的な"くる・こない"を決定するのは、論理を超えた部分、直観的本能的感覚的肉体的右脳的なのである」「アイデアを出現するような状態を人為的につくることは可能。神が降りてくるのを待つだけでは勝率は上がらない。脳を一定の準備された状態まで的確に追い込んでいくことである」「アイデアに至る2つのルートは『ひらめき』と『直観』。1万時間のトレーニングが必要」「クリエイティブのリーダーシップには、カリスマ性が要求される。ディーセンシーと膨大な読書量に裏打ちされたインテリジェンスとの共存によってリスペクトされるCDになる」「JR九州と"牛乳に相談だ"の中央酪農会議の例」「人気は右脳的である。ヒトは人気のある人、存在感のある人の話しか聞かない。"主語"の力だ。ブランディングとは、主語の力を強くする運動にほかならない」「牛乳なら、その存在感を獲得する右脳的なことと、ベネフィットを伝える左脳的なことを同時に伝えるコミュニケーション・システムを構築することだ」「ターゲットとの接触面をつくり、"牛乳ってやつは思ったより楽しいじゃん"とする」「for Goodがブランドキャンペーンに不可欠なエレメントになってきた。社会意識の変化だ。リーマン・ショックまでは"Strong"に価値があったが、(日本の3.11以降を経て)"Good"に価値、世に役立った志向となってきた」・・・・・・。きわめて面白く、重要で刺激的な本(人)に出会った。


玄宗皇帝.jpg玄宗皇帝(李隆基)は685年に生まれ、712年に皇帝に、そして安史の乱(755年)を経て762年に没する。盛唐といわれ、遣唐使が遣わされて唐文化の華やかななかでの生涯と思われるが、波瀾万丈、栄枯盛衰の波浪に揉まれ続けた。幼き頃は祖母・則天武后の権勢の下にあり、その後も、内には賢臣、姦臣が跋扈し、突厥、契丹、回鶻等の北からの侵攻にも苦しむ。そして寵愛した楊貴妃(玄宗の35歳下)が安史の乱の渦中で縊死するが、玄宗はもう認知症の状態であったようだ。

唐の皇族として生まれた李隆基の幼少期。武氏を引き立たせようとした空前絶後の女帝・則天武后は政敵を次々に排除、張兄弟などの愛妾までが横暴のきわみを尽くす。次に権力を握るのが義理の伯母の韋后と叔母の太平公主。女性に翻弄された時代だ。青年期の李隆基はこの則天武后と韋后の騒動(武韋の禍)を経て、皇帝旦の重祚の後、帝位につく。28歳だ。その後も内紛や外敵の侵入は尽きない。宦官や科挙が何故に行われたか。人材登用においても恩蔭系、科挙系、寵愛系があること。群蝗に悩まされたこと。日本から命がけでやってきた遣唐使が活躍したこと。居残りの留学生として吉備真備、阿倍仲麻呂、玄昉ら、とくに阿倍仲麻呂が重用されたこと。寿王(李瑁)の妃であった楊玉環を李隆基が最愛の武恵妃の死後に寵愛し貴妃(楊貴妃)としたこと。年上の安禄山が楊貴妃の養子におさまったこと。そして安史の乱・・・・・・。

すさまじい唐の膨大な歴史が、玄宗皇帝とその取り巻きの栄枯盛衰とともに活写される。


タテ社会と現代日本  中根千枝著.jpg名著「タテ社会の人間関係」が著されて52年。現代日本の長時間労働、非正規雇用、天下り、いじめ、女性活躍社会・・・・・・。「タテ」の現場からそれらをどう見るか、何が必要か、を解き明かす。「長時間労働やいじめの問題などが報じられるたびに、私は『タテ』の強固さを感じていました。『タテ』には良いところがあります。しかし一方で、タテのもつ封鎖性が現実に問題を引き起こしています」「一つの場に個人が所属する。できることなら一つの場にずっと属しつづけたい。それが日本の特徴だが、場は一つとは限らない。・・・・・・日本のタテ社会は、どうしてもネットワークの弱さを抱えている。その弱さをいかに補完していくか、複数の居場所をいかに見つけていくか、高齢化が進む現在、そうしたことを考える時期にきていると思います」と語る。

「どの社会においても、資格による社会集団と場による社会集団がある。日本人は極端なほど場を優先し、インド人は資格を優先する」「場に来た順番、先輩・後輩の関係を重んじるのが日本人」「場を共有するタテの関係で核心といえるのが小集団。日本の社会構造は、小集団が数珠つなぎになっていることと、その小集団が封鎖的になっているということ。小集団とは集団の成員が毎日顔を合わせるぐらいのフェイスツーフェイスの集団だ」「個人は小集団を通して、大集団に属することになる。その小集団の機能がきわめて強く、逆に大集団としての機能は強くない」「小集団への帰属意識がきわめて強く、その小集団の封鎖性と大きく関わるのが"感情"で、エモーショナルな結び付きだ(個人の優秀さより成員の"体感"、論理よりも感情を優先する社会)(ウチとソトの意識がはっきりしてくる)」「タテのシステムから出てくる年功序列。天下りもタテの先輩・後輩から発生する(資格でつながるイギリスのような社会は階層でつながるネットワークシステム)」「正規・非正規雇用も、日本人の場を重んじる、先行して得たステータスを維持したいことに関係する」「宴席の席順も家の格も。長時間労働も法よりも小集団の感情優先」「新入りはヒエラルキーの最下層、新しい者は低く見られる。いじめも」「小集団を前提とした日本の弊害をなくすためには、閉鎖的、封鎖的という部分を意識的に変える、大きな集団を志向する必要性がある(会社でもいくつかの業種を包含する)」・・・・・・。

附録として「日本的社会構造の発見―単一社会の理論」(中央公論1964年5月号)が掲載されている。


Iの悲劇.jpg6年前に住民がいなくなった南はかま市の簑石という集落。この無人となった簑石に新しい定住者を募る市長肝いりの南はかま市Iターン支援推進プロジェクトが始まった。その「甦り課」を担うのは、さばけた新人・観山遊香、出世志向の真面目な公務員・万願寺邦和、やる気の全く見えない課長・西野秀嗣の3人。

募集するやまず2世帯が移住する。しかし隣同士のトラブルで去っていく。次に10世帯が移住してくる。ところが、事業を起こそうとした稚鯉が突然消えたり、未就学児が迷子となり、防空壕に入って重い本の下敷きになったり、毒キノコの食中毒事件があったりと、次々と不可解な事件やトラブルが発生。ついに全員が去って再び無人となってしまう。話題を呼んだ「満願」を想起するミステリー連作短篇集だ。

しかし、この背景には村が消えていくという過疎化の深刻な現実がある。都市に住む者の地方への郷愁。自然への回帰。土地への愛着とは何か。一方で、人口急減の限界集落の深刻さ。夢だけでは田舎に住めない。仕事の問題もある。隣人とのトラブルもある。全ての生活インフラ整備にまで予算をかけられない地方行政の現実・・・・・・。本書は個々のトラブルが「Iの喜劇」であったことを終章で謎解きをするが、全体を覆うのは間違いなく「Iの悲劇」だ。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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