深夜のファミレスで突然、男の体が炎上、雑居ビルにも被害が及ぶ。さらに奇妙なことにオオカミ犬による連続殺傷事件が発生する。担当したのはベテラン刑事の滝沢とともに、若き女性の刑事・音道貴子。男性刑事からは今でいえばセクハラ・パワハラまがいの嫌味をいわれ、夫には浮気をされて離婚もする。しかし貴子は「女なんて」と言われながらも、それを乗り越えて真っすぐに進む。
1996年の直木賞。ポケベルが最大のツールであったひと昔前、昼も夜もない刑事という職業が及ぼす家族との葛藤、男性の職場ともいえるなかでの女性刑事の苦闘が、複雑かつ凄絶な事件のなか浮き彫りされる。
ハーバード大学のソーンバー教授が日本文学を教える教材として「凍える牙」を取り上げているという(「ハーバードの日本人論」佐藤智恵著)。「学生から高評価を受けている」「日本の刑事司法制度の課題だけではなく、職場における男女格差問題を浮き彫りにしている」「貴子の人間としての強さに共感する」と言っている。より根底には、その時の社会問題を抉るとともに、単なる善悪の二分法に立たない日本小説の魅力があるようだ。たしかにこの「凍える牙」は時代を映すとともに、「加害者」が「被害者」であり、「善悪」の基準を問いかける。それゆえに最も惹きつけられるのは、「オオカミ犬疾風」と「覚醒剤中毒にまでなった笑子」の寂寥だ。
人口減少・少子高齢化、AI・IoT・ロボットの急進展するこれからの社会。どう生きるか、人間の本性となっている「動物の血」を克服してどう賢く生きるか。豊富な人生経験から語る。
「人間は"動物の血"と"理性の血"が入り混じり善悪の二面性をもっているが、この"血"をいかにコントロールするのか。人生の核心はこの一点に凝縮される」「年を取ろうとも、好奇心を失わず、謙虚な姿勢でいれば、すべてのものは『師』になる」「知識を蓄えても心は強くならない。疑問や問題にぶつかった時、自分の頭で考え、解決して前に進む。幾度も幾度も考えたり体験して人は強くなっていく」「目先の損得にとらわれるな。楽しく、面白く、"気持ちのいい生き方"をして生きる人こそ"心豊かな人生"ではないか」「努力もしないで幸運に恵まれ、いい成果を上げることはない。それなりの目標を持ち、努力や工夫を一生懸命にする。勉強し、実現への情熱と行動力をもつことだ」「幹部役員だった瀬島龍三さんは『すべては現場に宿る』『飛行機に乗ってすぐ現場に行きなさい』といった。それで正確な予測ができた(米国での穀物相場)」「運・不運の本質は、ちゃんとした努力がそこにあるかないかということだ」「『禍福は糾える縄のごとし』という。一時不運に見えることはどこかで幸運につながっていったりするものだ」「日本人には笑いが足りない。ユーモアの精神があれば、もっと心豊かで和やかな雰囲気が生まれる」「夢の実現には時間がかかる。目標を小さく刻んで設定することだ」「楽な方を選ぶな。仕事でも勉強でも生活でも健康でも、楽な状態を長く続けると、いつか必ずしっぺ返しがくる」「日経の『私の履歴書』でも、どうしても脚色したり下駄を履く。『ありのままに生きる』ことは難しいが、背伸びして人によく見せている自分の姿はどこかみっともない」「自発的に仕事をすると疲れない」「悲しみにせよ、怒りにせよ、無理に抜け出そうと思わないで、ある程度時間の流れに身を任せ、自分のすべきことを日々の判断でこなしていくことだ」「"普通の人""ただの人"として懸命に生きる(ずっとカローラに乗っていた)」「好奇心を失うのは死ぬときでいい」「自分を正しく評価できる人はいない。自信があるときは、実際の2倍ぐらい自己評価が膨らんでいると思って、謙虚に構えた方がいい」「『きれいごと』はしかるべき行動と情熱を伴っていれば必ず通用する(3950億円の特別損失)」・・・・・・。人間の本性を踏まえた生き方の書。
「その仕事、命より大切ですか」が副題。「死ぬくらいなら会社辞めれば」と思いがちだが、「仕事がつらければ休んでもいい。辞めてもいい。働きはじめの元気なうちはそんな選択肢が見えている。しかし、決断はそう簡単ではない。お金が続かない。親に心配をかけたくない。次の仕事のアテがない。いろいろな理由でがまんして働くうちに、過労でどんどん視野が狭まり、いつしか働き続ける以外の選択肢があることを忘れていく。・・・・・・"死んだら楽になれる"との思いにとらわれてしまう。"死ぬくらいなら辞めればいいのに"と思う人は多いでしょうが、その程度の判断力すら失ってしまう」という。「早めに逃げる」「まず休職して自らの安全を確保する」ことだという。過労死の現場を7年にわたって追った報告。
過労死の11の遺族を訪れ、その後の苦悩と遺族の戦いも含めて取材している。過労死した人、遺族の声から「寄り添う」ことがいかに大切で困難なものか。「最後に救いを求める叫びを発する相手を必死に選んでいる」「多くの自死者が実際に命を絶つ前に心の内を誰かに明かしている」「生と死の間で激しく揺れ動いている」という。
国が定める過労死ラインは「死亡前2~6か月間で、月平均80時間超の残業」だが、過労のピークの時期から死亡までの時間は人によってかなり違う。「残業時間」もノルマが課せられると「残業するな」といわれて苦しみが増す。職場の異動や"心の病"をかかえた人の職場復帰をどう支えるか。長時間労働のなかでも中身の過酷さの度合いや上司の姿勢をどうする。身体の悲鳴と心の悲鳴をどう感知するか。過労死や自死だけではない、車やバイクで事故を起こす「過労事故死」。就職氷河期にあたった世代の再就職に苦戦している状況・・・・・・。
今も、どの職場でも、苦しみもがいて働いている人がいる。
霊長類学者、京大総長の山極寿一氏と「博士の愛した数式」の小説家・小川洋子さんのかみ合った対談。「小川洋子さんは人の心の底に降りていく不思議な能力をもっている。僕は小川さんに問われるままに、アフリカの熱帯雨林を歩く時の感覚を取り戻し、ゴリラになり、これまで自分が体験したことを述べた。会話が進むうちに、言葉の森と自然の森は似ていることに気がついた。どちらも多様性に富み、それぞれの構成要素がいくらか見えているのに、そのつながりがわからない。・・・・・・どちらの森でも、僕たちはストーリーを求めて彷徨っていることに変わりはないような気がしてきた(山極寿一)」「言葉など意味をなさず、言葉では名付けえない秩序によって守られた世界。その懐かしい場所へ戻ろうとして、自分は小説を書いているのかもしれない(小川洋子)」と語る。
動物は究極するところ「食」と「生殖」――。「人に飼われている動物を野生に戻すことは本当に難しい。生きることは食べることですから。・・・・・・僕は野生のサルやゴリラの調査をしているから、向こう側からこっちの世界を見られるんです。そうすると、動物園の動物とか、ペットだとか、あるいは人間そのものが、非常に特殊な世界に住んでいることが分かります」「人間は本当にいびつで奇妙な生き物に進化しちゃったんだなと」・・・・・・。たしかに、「言葉を使う」「書き言葉を出現させ、さえずり、つぶやきを固定する」「家族をつくり、社会をつくる(チンパンジーは家族がなくて群れだけをつくる。ゴリラは家族のような小さな群れを作っているけどあくまで単体)(血縁関係にない他人同士でも食べ物を分け与える種が出現した。これが人間です)」「愛という不思議な心をもつ人間。見返りは求めず、自ら望んで、進んで、与える(自分の時間を相手に与える)(他の動物はたとえ血縁者であっても、お乳を吸わなくなったらすぐに他人になる)」というのが人間・・・・・・。
しかしその奥底には、「人間というのは進化の過程で森から出て行きましたが、森の中で通用した特徴を今も多く保有している。森にいたころに何が一番重要かというと、突然現れたものにすぐに対処するという身体感覚」――。まさに身体感覚が、刻まれていること、文明の破壊性に遭遇してもそのコアの感覚があることを呼び起こしてくれる対談。だからこそ心持良いのだろう。