大河ドラマ「篤姫」は大人気のようだ。なぜか。
「女性が主人公」「篤姫と和宮のからみをはじめ、橋田壽賀子の"渡る世間は鬼ばかり"的な家族的世界」「歴史ものにありがちな戦闘場面がない」「しかし、歴史の激しい動きを女性の生き方のなかでかいま見る」「俳優がキラ星で、二世も話題をつくっている」「宮崎あおいが親しみやすく好感度抜群」など。私の近くではテレビ関係者など、とにかく分析するだけでも盛り上がっている。
たしかに魅かれるものがある。
幕末に、政略のために徳川将軍家に嫁いだ二人の女性、篤姫と和宮。最初は立場の違いから対立するが、二人とも短い結婚生活で夫に先立たれる。似たような運命が二人の心を通わせたか、幕末の動乱の中、篤姫と和宮はともに徳川の人間として、命がけの行動で江戸城を無血開城に導く。封建時代の中で、二人はゆるぎない信念と行動力の持ち主だったようだ。こんな生き方が、多くの支持を得て、テレビの高視聴率をはじき出しているのかもしれない。
「日本もアメリカも、経済社会がバブルにまみれ、強欲と拝金主義に席捲されたときに、人の心から大事なものが失われてしまった。なんでもデジタル志向で、「0か1」しかない。その中間を配慮できない。この思考法が社会を大きく分裂させてしまった。最悪のものが、お金を基準とした『勝ち組・負け組』の分類だった」と神谷さんはいう。
司馬遼太郎が亡くなる前、最後の対談を思い出す。「日本はこれからどうなりますか」という質問に「未来はない。ダメだと思う」と答えていたという記憶がある。
たしか96年の2月位の話だ。理由は「バブルによって日本人がダメになった」だった。今のアメリカをはじめとする先進諸国、そして世界。借金と消費ならず浪費社会、浪費に頼った成長政策。「借りた金で今日を愉しむ」「借りた金で投機する」「ノンリコースで借りた金は、返せなくなったら担保物権の鍵を渡せば終わり」――金融が収益の4割を占めてしまった米国、そのなかで強欲資本主義の先頭を走り続けたウォール街の自爆。
社会を構成する人間社会自体の反省と再建というのがまさに今の課題。社会の劣化、人間の劣化をどう立て直すかを問いかけている今の金融危機だ。暴走を食い止めるためにルールをどうつくるか、それは限度を知り、節度を守るという哲学的な人間の総合力が底流になくして成しうるものではない。
大変お世話になった河合隼雄先生と興味深い話をいつもしてくれる茂木健一郎さんの対談。私自身、昔から同じ夢を何度もみることがある。空を平泳ぎで泳いだり、試験に間に合わないとか卒業できないで焦るとかいう学校ものとか。これは何か意味するところがあるのか、と気になっていた。「夢」について興味深い話があった。「心の盲点が夢に現れる」というのだ。
河合先生によると「人間は生きていること自体、大変、無理をしている。それを、無理をしているだけではもたないから、寝た時に調整する。
その調整する動きを脳の中で視覚的に把握したのが夢」という。その意味では、夢をみるということは、きわめて大事だ。問題はその夢のもつ意味だ。本書によると、こういう夢はこういう心のあらわれと定形化することはできないという。同じ夢でも、その人の今までの生き方、環境などによって違う意味をもつわけだ。「関係性」が大切らしい。面白い本だ。
リーマン・ブラザーズの破綻の時に、執筆中のもの。世界経済は激動、そして混沌。しかし、インフレ本格到来ではない。戦争のないところインフレなし、と長谷川さんはいう。しかも2009年は地球規模の公共事業は目白押し、重厚長大の産業部門では日本企業はその力を遺憾なく発揮しうる。
投機マネーは混乱をもたらすが、長く続くわけがない。サブプライム問題を総括し、米の対応力はしっかりしているという。
銀行は証券化と転売によってリスクをとらなくなっており、格付け機関は証券化商品があまりにも複雑化したために判断できず、いいかげんな評価が混乱と不安を招いたともいう。
円高時代に日本の企業は生産拠点を海外に移した。IMF体制は機能不安に陥り、資産も不足している。
中国の危うさを指摘しつつ、日本の未来を力強く語る。
アランの「悲観主義は感情のものであり、楽観主義は意思のものである」を想起した。