思索頭脳というものがあるように私は思う。本を読み、哲学・思想にふれていると頭脳に幅と奥行きとうるおいが生まれてくる、そうした頭脳の状態だ。
木田元さんの「現象学」を読んだのは、これが1970年に出版されたわけだからもう30数年前のことになる。大学在学中か就職したばかりの頃だ。
ランボオ、ドストエフスキー、キルケゴール、そして、木田元さんの迫ったハイデガー、メルロ・ポンティ。近代理性主義の限界を見て、それらを読み、解き、思索する人々が世界に一気に出た。日本も。
木田さんは、読書の師匠は小林秀雄に限られなかったと「あのころは、文学のいい師匠さんが大勢いた」と淡々と語っているが、再びまた「その総元締のような感じだったのが小林秀雄であった」と語っている。小林秀雄の思索の強靭さ、深さは、私自身感じ入り、著作だけではわからないと、肉声のテープを手に入れて何度も聞いてきた。何ともいえない落ち着いた心を得たものだ。「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる」という言葉などは思索における華麗で切れ味ある匠の技だ。
しかし、それにしても木田元さんの哲学への踏み込みにもすごみがある。
山本寛斎さんが、身体をこわして、残しておきたいと思った言葉、考え方、生き方。熱血語10ヵ条だ。
思いを、夢を、やりたい事を、ピュアにストレートに、言語、身体、行動を全部使ってぶつける「熱血語」10ヵ条だ。「外見こそが最も重要な自己表現だ」「夢を叶えるコツは、狂ったように欲しがること」「未来に前例などない。迷ったら新しいほうを選ぼう」「最後まであきらめない人に未来は開かれる」「好きなことに没頭しよう!そうすれば辛いことも苦にならない」「戦いの前に"勝つべき理由"を明確にせよ」――など。
朝5時に起床して、木々にふれ、青空にふれ、大地にふれて、細胞が目ざめて、一気に1日をスパートする。日本人が世界の舞台でド肝を抜く。今日本で最も必要なエネルギーあふれる、元気になる書。
グリーンスパンの存在感が、司令塔の役割を担って世界経済の安定に寄与してきたことはまぎれもない事実だ。グリーンスパンがここで今回の金融危機が「100年に1度か50年に1度の事態」と言い、「危機が解決したときにあらわれてくる世界は、経済という面でみて、私たちが慣れ親しむようになってきた世界とは大きく違っているのではないか」といっていることは、今、世界の識者の枕詞のようになっている。また一方で、彼が政策金利を下げすぎたことが、今回の一因となったとする批判もある。
本書を読むと、現在を予想しながらも、より悪いシナリオとなっていることを感ずる。そのなかで、「陶酔感と恐怖心」というキーワードが出てくる。「信用と景気の拡大局面には陶酔感がゆっくり積み上がっていく」「信用と景気の循環の収縮局面は、恐怖心に動かされる」「市場は事実上、一夜にして陶酔感から恐怖心に振れ、恐怖心は陶酔感よりはるかに強い力をもち、暴落は突然に起こる」という。
だからこそ、途中の制御は難しく、まただからこそ、制御装置を市場の制度のなかに慎重に埋め込むことが必要となる。「市場の規制に反対」という基本に立つグリーンスパンは、今、どう考えているのか。