人がつくるこの人間社会は、その人間関係がなかなか難しい。組織と人間の難しさもある。これを「大人のいじめ」という角度でその実態を探っている。
実例が示される。「多忙すぎる教育現場・加速させる親からの要求、全てが生徒・保護者優先の学校現場での教員へのいじめ」「嫉妬がいじめの引き金になった職場、いじめの中心にはボスがいる」「仕事ができる人がいじめられるケースも」「ご近所付き合いは現在の村八分」「高校時代のスクールカーストは50歳を過ぎた同窓会でも」「子供にまで連鎖するママ友いじめの怖さ、いじめは誰もが知る大企業でも」「余裕のない社会、余裕のない職場で生まれるいじめ」などが示される。
目に見える暴力や、ただ働きをさせるというような労働問題等の違法行為とは異なる。法律では裁けない様々な肉体的・精神的な個人の尊厳に対する攻撃のことだ。したがってその解決は法的制裁や金銭の補償だけではだめだ。ハードではなく柔らかな解決の方法が大事となる。子供のいじめは、転校や卒業、クラス替えなので終えられるが、大人へのいじめは職場や地域を変えられないのが苦しい。また男性には自分がいじめられているという事実をなかなか受け入れられない人が多いようだ。いずれにしても、閉鎖的な空間や鬱屈した思いが蓄積し発散する場がないことから大人へのいじめが起きる。社会の歪みが立場の弱い人に集まり、顕在化するのだ。人間社会の嫉妬や社会におけるノルマ等、加害者側の不満が鬱積して、無視、陰口、暴言、連絡を伝えない、陰湿な嫌味が大人へのいじめとして当たり前に起きている。人間社会が続く限り、常にある問題だが、時代とともに深刻になってくる。
令和となった2019年の著書。昭和50年9月20日、「ニューズウィーク」東京支局長のバーナード・クリッシャーのインタビューに、昭和天皇は自らの役割について、「戦前も、戦後も基本的に変わっていない。自分は常に憲法を厳格に守るよう行動してきた」と言った。統帥権をもち「神聖ニシテ侵スへカラス」の天皇は、西園寺公望によれば、「天皇が自らの一存で一つの内閣を倒し、また、新たな内閣を立てるということになれば、もはや立憲君主ではなく、専制君主である。それでは、大日本帝国憲法を定めた明治天皇の聖旨に背くことにもなるし、失政があった場合、その責任は直接、天皇が負わなければならないことにもなる。天皇や皇室は本来、『悠久の日本』を体現し、時々の権力から超然としていなければならない」ということだ。現実にこの難問は、張作霖爆殺事件をめぐっての田中義一内閣総辞職における西園寺公望と牧野伸顕の見解の相違という形で現れた。本書は「昭和天皇の声」と題するが、「昭和天皇の政治的決定」という大日本帝国憲法下の天皇の難しい位置と決断に真正面から迫っている。
昭和天皇が自ら政治的決定を下したのは三度だという。「天皇はのちに『自分は2.26事件のときと終戦のときの2回だけは、立憲君主としての道を踏みまちがえた』などと回想している」「田中義一内閣の総辞職を加えると、3度だけは天皇は憲法の条規に従わず、余人の輔弼を待たずにみずから決定したと考えられる」と言う。「2.26事件のときには、総理官邸が叛乱軍に襲撃され、岡田啓介総理大臣の生死も不明となって、政府の機能は麻痺した。その中、天皇は断固として叛乱軍討伐の方針を打ち立て、事態を収拾させた」「終戦のときには、首脳たちの意見が対立し、方針を決められなくなったときに、天皇はみずからポツダム宣言受諾を決定した。ことの当否は別にして、立憲君主としての『常道』は踏み外したという思いを天皇は持っていたのだろう」と言う。
本書は5章に分けて、その生々しい現実場面を描く。「感激居士」――。昭和10年(1935)8月12日の陸軍中佐・相沢三郎による永田鉄山殺害事件。激情型の感激居士への北一輝の影響、皇道派と統制派の対立・・・・・・。「相沢さん一人を見殺しにすることはできない」と、相沢事件は2.26事件の導火線となっていく。
「総理の弔い」は、昭和11年(1936)2月26日未明の2.26事件。岡田啓介総理、齋藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監が即死、鈴木貫太郎侍従長が瀕死の重体と伝えられた。しかし岡田総理は生きていた。小坂曹長らが救出、天皇は「よかった」と繰り返し言った。「陸軍が躊躇するならば、私がみずから近衛師団を率いて鎮圧にあたる」とまで言った。
「澄みきった瞳」――。2.26事件で瀕死の重傷を負った鈴木貫太郎。妻・たかは、「とどめだけは、やめてください。どうか、やめてください」と叫ぶ。「とどめは残酷だからやめろ」と安藤輝三大尉が言う。その青年の瞳は恐ろしいほど澄み切っていた。「傷つけられた『股肱』として、天皇が真っ先に思い浮かべたのは、鈴木とその妻のたかではなかったか。蹶起軍を叛乱軍とみなし、徹底的に討伐しなければならないとする天皇の方針は、侍従長遭難の報告がもたらされた時点で、ほぼ決まっていたといえそうだ」・・・・・・。
「転向者の昭和20年」――。田中清玄が昭和20年12月21日、天皇に会い、「龍沢寺で山本玄峰老師のもとで修行いたしております。天皇陛下なしに、社会的、政治的融合体としての日本はあり得ません」と述べた話。
「地下鉄の切符」――。昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾の決断。「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。・・・・・・少しでも種子が残りさえすれば、さらにまた復興という光明も考えられる」・・・・・・。皇太子時代の渡欧のときの思い出の品「パリで乗った地下鉄の切符」。いずれも日本を背負った天皇の生身の姿が描かれる。
現在の世界インフレは、景気の過熱に伴う「デマンドプル・インフレ」ではなく、景気後退・政情不安を招く「コストプッシュ・インフレ」だ。パンデミックの収束による需要の急回復やサプライチェーンのボトルネックが原因であり、それに2022年2月のロシアのウクライナ侵略が加わり、供給制約に起因するコストプッシュ・インフレなのだ。そしてその背景には、グローバリズムの終焉という歴史的な大変化があると言う。中心のアメリカは、このインフレに対して、利上げという主流派経済学の手法で臨んでいるが、それはデマンドプル・インフレに対する手法で、直面しているコストプッシュ・インフレには逆効果で誤りだ。ニつのインフレは、原因も結果も対策も大きく異なることを銘記しなくてはいけない。デマンドプル・インフレは「需要過剰で物価が上昇」「賃金の上昇や国民所得の倍増を伴い経済を成長させる」のに対し、コストプッシュ・インフレは「供給減少で物価が上昇」「経済を縮小させ格差も生む(食料やエネルギーと言った基礎的な生活物資の価格が高騰するので低所得者に大きな打撃)」「コストプッシュ・インフレ下の利上げはインフレ自体は抑制できるのかもしれないが、その結果として、家計や企業が犠牲になるという誤った政策」「供給制約を緩和することが重要」なのだ。
まずグローバリゼーション――。「グローバリゼーションとは、貿易、投資、人、情報、技術、思想の国境を越えた移動が活発になることを意味している」「終わりの始まりは2008年の金融危機。ロシアのウクライナ侵略をもって、グローバリゼーションが終わった(アメリカのリベラル覇権戦略の破綻)」「70年代のインフレが新自由主義の台頭をもたらした」・・・・・・。
「フリードマンらのマネタリズムによれば、インフレの原因は貨幣供給量の過剰なので、貨幣供給量を制御すればインフレが制御できると考える。しかしマネタリズムの理論に反して、貨幣供給量の増加とインフレとが相関しなかった」「主流派経済学にとってインフレはデマンドプル・インフレであり、また金融政策を中心に考えた。しかし金融政策に限界を感じ、財政政策の有効性を唱えるようにはなってきているが・・・・・・」「問題の根源は貨幣に対する致命的な誤解にある――主流派経済学の貨幣・金融理論は貸付資金説に立脚している。これは事実に反している。銀行は集めてきた預金を借り手に貸し出しているのではない。借り手に貸し出すことによって預金を創造している。いわゆる『信用創造』だ」「注目すべき貨幣循環理論と現代貨幣理論」「財政支出に税による財源確保は必要ない。政府の支出が徴税より先にされなければならない。政府の支出によって民間部門に貨幣が供給され(貨幣を『創造』)、それが課税によって徴収される」「ポスト・ケインズ派は『需要が供給を生む』と考える」・・・・・・。
アメリカのバイデン政権は財政出動をしたが、コストプッシュ・インフレで格差が拡大し不満が充満する。アメリカの利上げが世界の各地域の通貨安をもたらし、債務危機のリスクが高まってEU等はナショナリズムが先鋭化する。
そして日本――。「軍事、食料、エネルギーさらには経済全般に及ぶ安全保障の抜本的な強化、サプライチェーンの再構築、ミッション志向の産業政策、内需の拡大、学者の是正と社会的弱者の保護などは巨額の財政支出を要請する。積極財政によってディマンドプル・インフレを引き起こしかねないほどに需要を拡大することが必要である」と言い、「大規模な積極財政による資源動員、産業政策による資源配分、資本規制、価格統制。まるで戦時経済体制のような『恒久戦時経済』の構築以外に生き残る道はない」と過激な提唱をする。
「あんたらは、パラオ人だけじゃなく、世界中の有色人種に希望を与えたんだ。非欧米圏の人々にエレアルを示したんだ。そのことを忘れるな。誇りを取り戻せ」「日本人は貧乏だったかもしれないけれど、精神は立派だったと僕は思っている。誇り高く生きることを僕らに教えてくれた。僕は日本人に謝罪なんて全く求めない」「日本人は一般に、自分たちの植民地経営が欧米のそれとは違うと自負してきた。欧米人はただ自国の利益のために植民地を利用しようとし、現地の人々の幸福など顧みないが、自分たちは植民地の人々も『天皇の赤子』と考えて統治を行うのだ、と。実際、台湾や朝鮮でも、教育水準や衛生水準の向上、食糧増産、産業発展等のために多額の投資を行ってきた。・・・・・・島民たちは日本国籍を持たないけれども、学校や病院を作り、発電所を立て、あるいは産業指導を行うなどして、あらゆる面での生活の向上が目指された」「パラオに来たスペイン人も、ドイツ人も、島民を家に入れませんでした。ご飯を一緒に食べるなんてことは、あるわけもないです。彼らにとって、島民は動物と同じ・・・・・・でも日本人は」「おばあさんこそ、日本人です。日本人の中の日本人です。人種や民族の違いにかかわらず分け隔てなく家族として受け入れ、がんばりなさい、胸を張りなさい、あきらめてはいけません、一生懸命やりなさい、と励ます人です。君のお母さんは、僕らニ人が協力して、よき南洋のエレアル(明日)をつくることを期待していた」・・・・・・。太平洋戦争の最中、パラオ諸島には多くの日本人が家族共々住んでいた。そこで育ったニ人の少年が、残酷な戦争を経て、約40年後再び出会う感動と涙の物語。
昭和17年のパラオ・コロール島。小学校教員である宮口恒昭の長男・智也は、パラオ人の少年・シゲルと親友になる。「男に七人の敵あり」「やむにやまれぬ大和魂」でシゲルを守ろうとした「南洋神社の決闘」からだ。しかし戦争は悪化し、南の島々は次々に陥落。「太平洋の防波堤」としたパラオ諸島も、大空襲に見舞われる。太平洋戦争のなかでも、ペリリュー島とアンガウル島の戦いは、小島におけるものであり、かつ、日本軍守備隊の圧倒的劣勢にもかかわらず、特筆すべき激戦となった。「陽がのぼるたびに、死体の数は増えていく。焼け焦げ、腐った屍の上に、また焼け焦げ、腐った死体が重なる。そしてしまいには、この島は屍と、それに群がる南風蠅で埋め尽くされることだろう。そのようなことを思いながら、恒昭は昏睡した」――。軍人はもとよりすべての民が悲惨な死を遂げた。必死に抗戦、助けようとする住民。智也の母が亡くなり、戦争に召集された恒昭も重傷を負い生死不明。戦争の悲惨さに心が潰される思いだ。これがあの戦争だったのだ。そのなかでの智也とシゲルのひたむきさがつらい。
そして時は流れ、昭和63年末、パラオ共和国独立準備のため、シゲルは訪日する。「自分の知る日本人は今とは違っていたように思う。もう少しゆったりと構え、弱い人を助けることを励まし、我欲のために粗暴な振る舞いをすることを恥じ、戒める日本人はどこに行ったのか」「どうして日本人は謝ってばかりなのか。どうして、日本人は自分たちの文化や歴史を誇らしく思わないのか。どうして言うべきことを、堂々と言わないのか」と思いながら、宮口家の人々を探すのだった。そして智也と会う。
戦争の悲惨さと残酷さ、日本人とパラオ人の歴史と心の交流を、ニ人の少年の純粋な心を通じて描く感動作。
愛、どこまでも続く愛、誰人も寄せ付けないあまりにも切ない愛・・・・・・。「けっして揺らがない大きな理の中にわたしたちは在り、それぞれの懐かしい人影と確かな約束を交わしている。群青と薔薇色に染まった空に、いつの間にか光る星がひとつ瞬いていた。同じ星がわたしの手の中にもある」・・・・・・。「流浪の月」は月だが、今回は宇宙に輝く星とのつながり。読んでいる途中、今年のノーベル物理学賞の「量子もつれ」を思った。
風光明媚な瀬戸内の島、それはまた一日で噂が広がってしまう小さな世界だ。高校生の井上暁海と青埜櫂。暁海は、父親が他の女のもとに行ってしまい、怒りと憂鬱に塞ぎ込む母親と2人で住む。櫂は男なしでは生きられない自由奔放な母の恋愛に振り回され、京都から男を求めて島に来た母と暮らす。心に孤独と欠落を抱えたニ人は互いに惹かれあっていく。櫂は、漫画や小説を投稿するサイトで久住尚人と知り合い、櫂が小説を、尚人はイラストを描き、その投稿作品が青年誌の優秀賞を獲ったりした。そして二人は卒業、櫂は東京へ、暁海は島に残る。遠距離恋愛だ。そのうちに櫂は大成功して有頂天になるが、尚人の私生活があらぬことで週刊誌に上げられ、一気に凋落する。どんな状況にあっても、二人が思うのは暁海のこと、櫂のことだった。
「ぼくの過去は石を投げられる類のものです。でもぼくは後悔していない。・・・・・・ぼくたちは生きる権利がある。だからきみももう捨ててしまいなさい。もしくは選びなさい」「わたしはなにを捨てて、なにを選べばいいのだろう。親、子供、配偶者、恋人、友人、ペット、仕事、あるいは形のない尊厳、価値観、誰かの正義。すべて捨ててもいいし、すべて抱えてもいい。自由」「わたしは愛する男のために人生を誤りたい。わたしはきっと愚かなのだろう。なのにこの清々しさはなんだろう」「わたしは世界を救えるスーパーマンではない。けれどこのつらさはわたしが選んだものだ。櫂とわたしの小さな世界を、わたし自身が守ろうと決めたのだ。自分がなにに属するかを決める自由」・・・・・・。この世界には、生きることの不自由さが充満している。その不自由さを突き抜け、自らの人生を自ら決め、自ら選ぶ。自らの人生は自らが、自らを生きるしかないのだ。凄まじく清々しいいいやつ同士の恋愛小説だが、今の社会を抉っている。