dousuruzaigen.jpg少子化対策、子育て支援、全世代型社会保障、防衛費増、防災・減災強化、DX ・ GX社会・・・・・・。いずれも財源がいる。あらゆる経済政策には財源の裏付けが必要となる。増税についての議論が喧しいが、そのなかでの「どうする財源」(財源について考えると、貨幣と資本主義の本質が見えてくる)の著作。「貨幣論で読み解く税と財政の仕組み」が副題となっている。

「『財源』とは、『貨幣』のことである。そして貨幣とは、負債の特殊な形式のことである」「資本主義においては、民間銀行が、企業の需要に対する貸し出しを通じて、貨幣(預金通貨)を『無から』創造する。貨幣は、民間銀行の貸出しによって創造され、返済によって破壊される」「資本主義における政府の場合、中央銀行が、政府の需要に対する貸出しを介して、貨幣を『無から』創造する。政府が財政支出を行うと、民間経済に貨幣が供給される。政府が徴税によって貨幣を回収し、債務を返済すると、貨幣は破壊される。税は、財源(貨幣)を確保するための手段ではなく、その破壊の手段である。政府が債務を負うことで、財源(貨幣)が生み出されるのである」と言う。増税をする必要はなく、それをすれば逆効果を生むという貨幣論だ。「将来世代にツケを残してはならない」とよく言われるが、インフレが起きる可能性があり、この「高インフレ」こそが今の世代の負担になる。「財源を税によって確保(あるいは倹約)しなければならないと言う考えは、資本主義以前の、貨幣を創造する能力を持たない封建領主の考え方なのだ」と言う。

コロナ禍の緊急事態に際して「思い切った財政出動。高橋是清のように」と私は言った。井上準之助の緊縮財政の時、満州事変が起き、国内では不満が充満し昭和恐慌となる。高橋財政が軍備増強、戦争への道を加速させたといわれるが、高橋は財政赤字の拡大をもたらしたが増税を認めなかった。軍部からの軍事費の要求を拒否し、それが暗殺の引き金ともなった。また、戦後のインフレは戦争による供給力の破壊、まさにコストプッシュ・インフレだ。下村治は、「実際の生活水準を落とすのではなく、生産力を高めて生活水準に適合させていくというのが現実的な方策である」と考えた。石橋湛山も同じ考えだった。「積極財政によって供給力を増強し、実体経済の需給不均衡を解消するのが、正しいコストプッシュ・インフレ対策だ」と考えたのだ。

日本は、極めて長い緩やかなデフレに苦しんできている。「財政支出の伸び率は、名目GDPのみならず実質GDPの成長率と強い相関関係を示している」「主要31カ国の財政支出株の伸び率とGDP成長率の相関関係(1997~2017)を見ると、日本がほとんど財政支出を増やさなかった緊縮財政国家だったということがわかる」と言う。貨幣論の根源から体当たりで切り込んでいる。


edoissinn.jpg明暦3(1657) 1月の明暦の大火、振袖火災――。徳川家光が1651年に没し、牢人が溢れて政情不安のなか、由井正雪の乱(慶安の変)が起きる。そして明暦3年、118日から20日にかけて、2度にわたる火災によって江戸市内の大半は灰燼と帰す。第4代将軍家綱の下、老中は武蔵国川越城主・松平伊豆守信綱、阿部忠秋56歳、34歳とまだ若い酒井忠清の3人。62歳の信綱は知恵伊豆と言われ、頭脳の鋭敏さ、些事を捉えて大事を伺う想像力、説得力は抜きん出ていた。

復興に乗り出すが、米や材木が高騰する。牢人も騒ぐ。大老・保科正之によって天守は再建せず、本丸御殿のみ再建することが決まる。信綱は、何かと横ヤリを入れる吹上にある紀伊、尾張、水戸の御三家の屋敷を郊外へ移転させること、吉原を移転させること、他の大名や旗本、御家人も郊外に移転させることなどを次々に決め、江戸そのものの一新、大規模区画整理事業に乗り出す。それはまた、牢人たちに仕事、食い扶持を与え、喧嘩や強盗、詐欺や恐喝の頻発する江戸の治安を回復することでもあった。隅田川に橋をかけることによって、東岸地域の向島、本所、深川などは一気に江戸となり、西の地域も大きく広がった。それら具体的展開には、花川戸の長兵衛を「斥候」として使ったりもした。

表の顔は決して「豪胆」ではなかったという。「姉の声がまた頭蓋の内部に満ちた。『臆病者はそれゆえに、たくさんものを考える。あらかじめ精一杯思索する。長四郎、そなたは日本一の臆病者になりなされ』」・・・・・・。家光の小姓から立身出世した老中・松平伊豆守信綱の切れ者ぶりを描く。


kakutikara.jpg「加藤周一の名文に学ぶ」が副題。加藤周一の名文は素晴らしいが、何よりもその洞察力、観察力、揺らぐことのない信念・哲学、その境地がケタ外れに凄い。著者はそれを分析し、「それから加藤の書いた文章を注意深く読むようになった。すると加藤の文章には、さまざまな工夫が凝らされ、技巧が施されていることに気づいた」と言う。解読する著者の力に感動する。

「『基本の基』は、一文を短くし、読点などの記号に注意を払うことである。このふたつだけでも実行できれば、少なくとも分かりやすい文章に近づく」と言う。そして、「文を短くすること」「むつかしい言葉を使わない」「文章がしっかりとした構造を持っていること」「起承転結、序破急を踏まえて書けば、文章の展開が明瞭になる」ことを、加藤周一の文章を示しつつ解説する。読点の打ち方ひとつに心配りがされていることに驚く。観察力は、鳥の目で見、虫の目で見ることが基本の基とするが、見る主体の哲学が重要となる。「『上野毛雑文』あとがき」を取り上げているが、「街に暮らす意義を、名所旧跡や建物、記念碑などに求めず、町内に暮らす身近な人との交わりに見出していたからに違いない」と解説するが、加藤の思想・哲学が現れていると思う。「小さな花」を解説するなかで、「思えば、加藤は身近な人に対する愛を、人生の生きる糧とした」と言っている。加藤の「私は私の選択が、強大な権力の側にではなく、小さな花の側にあることを、望む。・・・・・・みずからを合理化するのに巧みな権力に対して、ただ人間の愛する能力を証言するためにのみ差し出された無名の花の命を、私は常に、かぎりなく美しく感じるのである」との加藤の文に触れてである。

「実践編」として、「むつかしいことをやさしく」「論点は三点に絞る」「強調で論点が明確に」「大局観と細部への眼」など様々な視点が提起されるが、「具体と抽象の往復」では、まさに「演説」が全く同じであることを感じる。また、「比喩が持つ説得力」として、加藤の「三匹の蛙の話」を取り上げている。「加藤が引くこの三匹の蛙の例え話は、悲観主義、楽観主義、現実主義をわかりやすく表現して、かつ面白い。悲観主義者は、何をすることもなく溺れ死ぬ。楽観主義者も、何をすることもなく溺れ死ぬ。悲観主義も楽観主義も同じ結果を生み、現状は打開できない。現実主義だけが現状打開する」と言う。

「応用編」で、「紹介文」「追悼文」「書評文」「鑑賞文」として、加藤の名文が取り上げられている。簡にして明とは、このようなものかと感嘆する。しかも、「丸山眞男」にしても「福永武彦」にしても、「そこにその人の本質が現れるように書く」ことそのままだ。人間っていうのは面白いし、凄いものだと思えてくる。「見ていてくれる人がいるのは幸せだよ」と言われたことがあるが、それが文章に現れている。「文は人なり」だ。バートランド・ラッセルの「ラッセル自伝」の書評で、加藤は「一個の人間の生きるに値するかどうかは、必ずしもその達成した事業の大きさによらない。ラッセルの場合に、それは大きかった。凡人の場合に、それは大きくない。しかし私は、みずからの情熱を裏切らない人生は、たとえ達成したところがどれほど小さくても、生きるに値すると考えるのである」と言っている。

著者は、「しかし、『書く力』とは、文章作成技術のことだけではない。知識を増やし、経験を積み、観察を重ね、感性を磨くことも『書く力』を養う」と言っている。まさにそこだと思う。


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「生きるとは何か、今、平家物語に問う」――今村翔吾の「平家物語」だ。保元の乱、平治の乱を経て、平家が権勢を振るう。しかし、平清盛の死、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いと、平家は滅亡する。平宗盛(三男)を棟梁とし、「相国最愛の息子」と言われる四男・平知盛が知略を尽くす姿を描く。妻の希子、平知盛を「兄者」と慕う"王城一の強弓精兵"平教経が一心同体で毅然と戦う。武士がいよいよ時代の主役に躍り出ようとする時、朝廷の権力を掌握する後白河法皇の策謀、それに抗した平清盛全盛時代とその死、木曽義仲、源頼朝、源義経らを活写する。特に、後白河法皇と源頼朝の権力への意志と陰湿な策謀は、際立っている。それに比して、平家は家族愛があり、美しく、哀しい。

「美しい」――これが本書全体から迫ってくる。「美しく戦う」「美しく生きる」「美しく死ぬ」、そして「美しくも哀しい人々の物語、琵琶で奏でる茜唄」。「美しく戦う」――義経が知盛と邂逅して「逢いたかった」「貴殿がおらねば、あのような美しい戦いはできなかった」と言う。戦のみ突出した義経ならではの印象的言葉だ。また、戦い方自体に「美しく戦い、美しく死ぬ」という戦争の様式美の転換が描かれる。「やあやあ我こそは」という戦い方を知盛は打ち破る。戦略を駆使し、奇襲もいとわない。それが、知盛と義経に共通して、これによって日本の戦場での戦いが大きく変化する。「卑怯」の感覚を覆す。「美しく死ぬ」であれば、屋島における平敦盛と熊谷次郎直実の場面が出てくるが、むしろ知盛の志を守ろうとして散っていく2人の息子、知章、知忠らの姿は胸に迫る。何のために生きるのか――。「人は飯を食い、糞をして、眠るだけではない。人は元来、唄う生き物なのだ。それは生きていることを誰かと共に喜び、この世に生きたことを留めんがためではないか」と描いている。

歴史はともすれば勝者の歴史となる。敗者の歴史でもある平家物語はなぜ描かれたのか――本書はそこを描いている。「何か、この時代をかけぬけた者の真を残す術はないか。情なくともよい。無様でも良い。悲しくも美しい人々の物語を」「散っていった平家一門、中には我が子知章もいる。木曽義仲も、やがては義経もそうなるかもしれない」と知盛は託すのだった。

「なぜ清盛は源氏を根絶やしにせず、頼朝を生かしたのか」は、歴史の提起する重要なテーマだ。清盛の考えを知盛は知ろうとする。敵は後白河法皇。天下三分の計。「朝廷から独立した互いに拮抗した三つの勢力(平家、鎌倉、平泉)があればいよいよ状況は膠着する(民は安寧を得る)」に到達した知盛は、屋島でも壇ノ浦でも常に大戦略を指向したのだ。

躍動感がある独自の歴史観に挑戦する力作。 


sibarareru.jpg「人口減少をもたらす『規範』を打ち破れるか」が副題。日本、アメリカ、スウェーデンの子育て世代へのインタビュー調査と、国際比較データを分析し、日本に根強い古い規範を打ち破ることこそ少子化対策の直道であることを示す。大事なのは「男性稼ぎ手モデル」を脱却し、「共働き・共育てモデル」にすること。スウェーデンはそれをやった。「日本の政界と経済界のリーダーたち、そして日本の多くの男性と女性が本気で取り組むこと」「女性が男性の5倍以上も無償の家事労働を担わなければならないような働き方と家庭内での役割分担を変えること」だと言う。

育児休業制度はある。しかし育児休業を取る男性が少ない。理由は育児は女性の役割であって男性の役割ではない思考同僚に迷惑をかけ、会社にも迷惑をかける。周囲にも育児休業反対派が多いと言う思い込み、多元的無知夫が育児休業を取得すると家庭が失う収入が大きい将来の役職に影響するーーなどに縛られているのだ。また、日本の男性は家庭で家事と育児の15%しか分担していない(女性が85%を担う)。ノルウェー、スウェーデン、デンマークなどは男性が40%以上になっている。アメリカも40%弱だ。ところが、男性が家事や育児に費やす時間の多い国ほど出生率が高いというデータが出ている。日本では、妻が有償の労働市場で働いている時間とは無関係に、家事と育児は未だに概ね女性の役割と位置づけられている。「多元的無知」とは、ほとんどの人がある考え方を持っているにもかかわらず、自分たちが少数派だと思い込んでいる状況だ。一人ひとりの男性は育児休業に肯定的だが、多元的無知があるために育児休業を取らない、自制してしまう。だが、上司や同僚がとれば、「雪だるま効果」が生じていくはずと言う。男性は育児休業を取るべきでないという強力な社会規範を打ち破り、「男性のあるべき姿」の定義を広げて、家庭生活に積極的に参加し、その時間を楽しむように変える。少子化対策はアメリカより制度的には進んでいるようだが、その背景にある「家族観」「会社と仕事」の意識変革が何よりも大事であることを示している。

アメリカでは家族の定義も広く考え、友人、近所の人も含めた支援ネットワークを築いている。日本が子育てが、「孤育て」となっていることを考えなければならない。それにアメリカは、「男性の役割は主として稼ぎ手」という考え方が弱く、「共働き・共育ちモデル」をしやすいこと、「労働市場の流動性が高い」ことも出生率の高さになっているという。日本の両立支援政策は、「女性に仕事と家庭を両立する方法を教えることに終始してきたが、男性稼ぎ手モデルを改めていない」と指摘する。

最後に、4つの政策提案をしている。「子どもを保育園に入れづらい状況を出来る限り解消する」「既婚者の税制を変更する(130万や150万円の壁)」「さらなる法改正により男性の家庭生活への参加を促す(出生時育児休業や給料の100%保証)」「ジェンダー中立的な平等を目指す」だ。

まさに今こそ古い規範を打ち破り、少子化対策に総力を上げる時だ。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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