ペインティング・ナイフをすべらせて描いた一枚の「エスキース」(下絵)が紡ぐ連作短編集。
メルボルンに留学した茜は、蒼と出会い恋に落ちる。レッドとブルー。レイとブー。日本に帰るレイを心に留めようとして、ブーは友人の画家・ジャック・ジャクソンに胸から上の人物画を書いて欲しいと頼む。「赤いブラウスと青い鳥のブローチ」「すっと流れるレイの長い髪の毛」――この絵はジャック・ジャクソンにとっても個性を見出し「画家志望ではなく画家のジャック・ジャクソンにしてくれた絵」となった。
メルボルンから帰国するまでの「期間限定の恋」に始まった2人の愛は、日本での展開となる。画廊、絵を飾る額縁工房の物語、漫画家2人の話、輸入雑貨店の店員、猫をめぐっての復縁・・・・・・。様々な困難が当然のように押し寄せるが、収まるところに収まるのは、最初の恋の熱源の大きさあってのことと言えようか。表紙に描かれた爽やかさと美しさが、伝わってくる。
コロナ、ウクライナ危機、円安、慢性デフレ・・・・・・。人口減少・少子高齢社会、AI ・ロボット・ DX などの急進展、レベルの変わった災害、地球環境やエネルギーなどの構造的問題・・・・・・。日本は大変な問題に直面している。腹を決めてこの勝負の10年に挑まなければ日本に未来はない。それを「貧しい国ニツポン」「一億総下流社会」として警鐘を鳴らす。
「安い日本」を、「ビッグマック指数」の価格比較で見れば、日本390円に対して、物価が高いことで知られるスイスの804円、ノルウェーの737円、アメリカの669円、そしてタイは443円、中国442円、韓国440円。しかもこれが今年年初の1ドル115円の換算というから恐ろしい。本書では、第3章の「金融とエネルギーの問題は表裏一体」、第4章の「世界金融戦争勃発〜知られざる経済制裁」が、ロシアへの経済制裁や経済制裁の最終兵器「 OFA C規制」などを通じて描かれ面白い。いずれにしても「米国の動きをよく見る」ことが重要・不可欠と解説する。日本を、「一億総下流社会」にしてはならないという思いは伝わってくる。
46億年前、地球が誕生し、38億年前からの生物の全歴史をエキサイティングに描き出し、はるか未来のサピエンスの終末、全生物の絶滅までを一気に示す凄まじい著作。「人類の遺産はどうだろう。地球上の生命の長さに照らし合わせると、ほとんど無に等しい。あらゆる戦争、文学、王侯貴族、独裁者、喜び、苦しみ、愛、夢、功績など、激しくも短い人類の歴史は、未来の堆積岩の中に数ミリメートル程度の層を残すだけで、それも侵食されて塵となり、海の底に沈むだけ」「人類の歴史は、わずか一段落を占めるに過ぎない」――宇宙のなかの地球、地球の上の生物、おびただしい生物の進化と絶滅。人間存在と生命ヘの畏敬の世界に引き込まれる。
地球は生きている。大陸は何度も大きく移動・分裂し、小惑星の衝突があり(約6,600万年前、恐竜の世界は突然終わる)、火山の壊滅的な噴火(7万4,000年前のスマトラ島のトバ山の噴火、南アフリカの海岸にまで瓦礫が注いだ)に見舞われた。その都度、寒い氷期に覆われ、生物は大量絶滅していく。「ビッグファイブ」と呼ばれる5度の大量絶滅を経て、奇跡的に生き残ったものが生命をつないできたのだ。
最古のヒト族は、およそ700万年前の中新世後期に出現した。その一つが西アフリカのチャド湖畔のサヘラントロプス・チャデンシス。直立歩行で木にも登り生活した。そして私たちとよく似ていて、ニ本脚、火を使い、美しい道具を制作する「ホモ・エレクトゥス」が誕生、200万年前までには大陸中に広まり、北ヨーロッパや島だった東南アジアに進出した。私たちに似ていたが、「捕食者の狡猾な眼差しだけで当惑するほど非人間的」だった。「死後の世界という概念がなかった」と言う。約43万年前、スペイン北部に登場したのがネアンデルタール人。「思いやりがあり、思慮深かった。そして彼らは死者を埋葬した」のだが、霊性を追い求めていたのだ。30万年前、最初のネアンデルタール人がヨーロッパの凍てつく寒さに適応していた頃、アフリカに新しいホモ族が出現、これがホモ・サピエンスだ。25万年ほど前には、ヨーロッパに入ろうとしたホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人に撃退されたが、4万年前までには、この氷河時代の覇者は、ほぼ絶滅した。しかし、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配していたのだ。2022年のノーベル生理学・医学賞でも示されたのは興味深い。
本書はこれからの未来についても語っている。ホモ・サピエンスは絶滅を免れない。それは地球の変動によるものではあるが、まだ「第6の大量絶滅」の時ではない。「ホモ・サピエンスが特別な理由は何か。それは、物事の仕組みの中での自分の位置を意識するようになった、唯一の種だと思われるから。自分たちが世界に与えているダメージを自覚し、それ故、ダメージを軽減するための手段を講じることにしたのだ」「絶望してはいけない。地球は存在し、生命はまだ生きている」と言い、「一族の運命を少しでも明るくしようとする、ちっちゃな動物の儚い努力に、あきらめず、協力しなくてはいけないという衝動にかられる」と言うのだ。訳がリズミカルでとても良い。また絶滅した生物のイラストも挿入されていて楽しい。
面白い。文章全体がラップのようで心地よい。展開もリズミカルで乗せられる。梅農家を営むおかんと、ダメ息子が、ラップバトルで対決することになる。母親の愛が溢れている。実際、先日、テレビでラップをする高齢女性の話題を見た。
和歌山の田舎で梅農園を営む深見明子、64歳。夫の五郎は膵臓癌でこの世を去った。たった5年8ヶ月の結婚生活、梅農園を切り盛りする忙しい毎日。息子の雄大は、借金はいつものことで結婚・離婚を繰り返すダメ息子で、3年前に失踪して行方知れず。妻の沙羅は大変気の利く女性で明子の手伝いをしている。沙羅は高校を中退した頃からヒップホップミュージシャンになりたいと思っていた。「バトルに出たい」と紗羅が言う。ラッパー同士が、即興のラップで相手を「ディス」りあうラップバトル(MCバトル)。明子にとって全く知らない世界だが、大会に付き添って人生が急カーブ。ひょんなことでラップバトルに出て大ブレイクしてしまった64歳のおかん。なんと行方不明の息子がラップバトルで勝ち抜いてきており、ついに親子対決となる。この展開がなんとも面白いのだ。
そのラップのやり取りで、明子はそれまで行違っていた息子の気持ちを探ろうとする。「格闘技でも将棋でも、名勝負って言われるものには、絶対に相手へのリスペクトがあるし、もっと深いレベルで交差してる感じがある」「本当の勝負は、相手を理解することなんじゃないか」「もしかして自分は、雄大に憎まれていたのかもしれない。果たして自分は、息子を本気で理解しようとしたことが、あったのだろうか」「ずっと面倒かけ続けてきたのは、ひそかな復讐だったのではないだろうか。見落としてきたものとは、一体何なのだろう」「車の中で見つけたときの4歳の雄大の顔。・・・・・・あの時は見ていたのに、見えていなかった」「雄大にしてみたら、彼女の前で面目を潰されて屈辱的だったに違いない。明子の方が無神経だったのだ。見えていなかった。見ていなかった。見ようとしていなかった。――なんでやろ。私は何を見てたんや」・・・・・・。
親の深い愛情、深すぎる愛情、忙しい日常・・・・・・。考えさせられる。
老舗の陶磁器店を営む久野貞彦・暁美夫婦。その後継の息子・康平が刺殺される。犯人は息子の妻・想代子の元恋人・隈本だった。ところが裁判の判決後、隈本は「想代子から『夫殺し』を依頼された」と衝撃的な発言をする。想代子は否定、警察もまったく取り合わないが、暁美は疑う。そういえば夫が死んだというのにのに「嘘泣き(クロコダイル・ティアーズ)」をして、悲しんでいないようにも思えた。暁美の夫の貞彦が、想代子を信頼してるようにも見えて苛立つ。疑念が次々に浮かび膨らんでくる。想代子の冷静な振る舞いが、男に媚びているように感じ怒りすら感じる。
「泥沼に落とした足が.もがくごとに深く嵌まっていく感覚にも似ていた」「一つの疑念に目を向けただけで、そのことに何の確証がないにもかかわらず、那由多に対して今まで通り接することができなくなってしまった」と、暁美に言われて貞彦は、孫の那由多のDNA鑑定までしてしまう。そうしたなか、店の宝ともいうべき「黄瀬戸」が割られたり、駅前再開発の目玉として大型商業ビルの計画が持ち上がり、貞彦が営んでいる陶磁器店「土岐屋吉平」の決断が迫られることになる。
噂の中の社会、ましてや家族の中に起きる違和感、それが増幅して疑念となっていく姿をじわりと描く。ありえることだけに怖さを感じるミステリー。