S__52232199.jpg 1132496.jpg

いよいよ参院選――。22日公示、7月10日投票、重要局面です。16日、神奈川県小田原市で行われた三浦のぶひろ参院議員(神奈川県選挙区予定候補)の時局講演会に出席、「頼れる男」だと訴えました。

三浦のぶひろ参院議員は今、外交・安全保障が重要課題となっていることを説明。防衛大学校の教官(元准教授)時代から教え子たちとともに、平和を願う不戦のために働いてきたことを紹介。また「給付型奨学金の拡充」「がん対策」に全力を尽くしてきたこと、「国民の命と暮らしを守る」決意を熱く語りました。

私は、三浦さんが防災や観光、テクノロジーで数多くの実績を上げたことを紹介。「三浦さんは本当に頼れる男」だと実感を表明。「日本は、経済においても安全保障においても重大な局面になっている。現象の本質を見抜き、揺るがぬ知力、国家的理性をもつ骨太の政治家が不可欠である。三浦のぶひろさんは、今の日本にとって最も大切な頼れる男だ」と訴えました。


katarin.jpgハンガリーに生まれ、RNA研究を続け、新型コロナ感染症を抑えるワクチンを開発したカタリン・カリコ。ロシアによるウクライナ侵攻という蛮行が続いているだけに、ハンガリー事件で大変苦労したカリコ氏の粘り強い戦いが、より鮮明に浮き彫りにされる。RNA研究を続けるために、30歳の時に娘のテディベアにお金を忍ばせて一家で渡米する。職場で見向きもされなかったり、大学で降格されたり、研究費が出ないなど、とにかく大変な状況が次々と襲ってきた。そのなかでも粘り強く一筋の道を歩み続ける彼女を応援する家族、恩師、同志ともいうべき研究仲間。40年間、あきらめず続けたワクチン開発の裏側にあるカリコ氏の真摯な姿勢を描く。「世紀の.発見は逆境から生まれた」とあるが、本当に感動的だ。

「生涯の師匠となる高校の教師アルベルト・トート博士」「多大な影響与えたハンス・ セリエ博士、ビタミンCを発見しノーベル賞を受賞したセント・ジュルジ・アルベルト博士」「一人娘のスーザン・フランシアさんはアメリカを代表するボートのオリンピック金メダリスト」「mRNAの研究で新しいタンパク質の生成に成功(mRNAに特定のタンパク質を作る指令を出させるという新しい発見)」「mRNAを使えばタンパク質を作らせることができるが、大きな欠点は体内に注入すると激しい炎症反応を引き起こすことだった。これをついにカリコ氏とワイズマン氏の共同研究で克服」・・・・・・。

本書の末尾で山中伸弥教授へのインタビューがあるが、最大の問題は日本でのワクチン開発でも明らかなように、それを薬品として提供できること、「死の谷」の克服だ。カリコ氏は、ドイツの製薬会社「ビオンテック」に2013年に移籍する。そして2020年の世界的な新型コロナウィルスの流行に際し、ファイザー・ビオンテックとモデルナがワクチンの治験・製造を行い、世界各国で使用される。わずか一年足らずという短い期間でワクチンが製造できたのは奇跡的。カリコ氏のような長い年月をかけてmRNAの研究に取り組んできた存在があったからだ。その研究姿勢について、山中伸弥教授は「私自身、人生のモットーを『VW』と言っている。ビジョンとワークハード。自分のぶれない研究テーマを持って、それを達成するために困難にも負けずに打ち勝っていく。まさにお手本です」と言っている。そして研究心を駆り立てるものは「ワクワクドキドキする好奇心です。特に基礎研究者は、朝起きて、今日は何が起こるか分からないという仕事なんですね」と言う。二人とも静かでありながら強い意志を貫く。凄さが伝わってくる。


80sai.jpg80歳、体力も気力も70代とは全く違う。80歳以上と70代までとは健康戦略を変える必要がある。「80歳の壁」は高く厚いが、壁を越える方法、それは「嫌なことを我慢せず、好きなことだけすること」という。

平均寿命は、男性が81.64歳、女性が87.74歳。健康寿命は男性が72.68歳、女性が75.38歳。「死亡数」を見ると、最も多くの人が亡くなった年齢は、男性が85歳、女性が90歳だ。80歳からの人生で大事な事は「老いを受け入れ、できることを大事にする」といい、80歳を超えた人は「幸齢者」と呼ぼうという。「80歳を過ぎたらほとんどの人の体にがんが見つかる。認知症も必ずやって来る。歳をとると誰にでも起こる症状であるが故に、我慢をしないことが大事である。我慢や無理はしなくてもいいし、してはいけないことだ」「三つの我慢や無理を止めること。薬の我慢(薬は必要最小限に、飲み過ぎは毒) (薬が不調があるときに飲む) 食事の我慢(食べたいものは食べる。体が求めているかも)興味あることへの我慢(どんどん歳と思わずやりなさい。男性ホルモンも元気の源。したいことをして脳も体も元気に。脳の前頭葉を刺激する、したいことをすると脳は喜び若返る)」――。

「血圧、血糖値、コレステロール値は下げなくて良い」「過度の運動は体内で活性酸素を作りすぎ、体を酸化させる。散歩ぐらいがいい」「高齢者に多いうつ症状、心と体を動かすことが予防になる」「生きがいは求めない。楽しんで気楽に過ごしていくのが80歳の壁の乗り越え方」「孤独も誰にも気兼ねせず楽しめるからいい」「ボケたら何もわからなくなる、と思いがちだが記憶は苦手でも判断はできる(だから詐欺にあいやすい)。認知症になっても生きる力と知恵は最後まで残る」「認知症は脳の老化。記憶を司る海馬も縮むが、感情や行動の司令塔である前頭葉も萎縮する。だから脳を使って刺激すればいい」・・・・・・。

最後に「高い壁を低くするヒント・50音カルタ」がある。


mayuzumike.jpg「高瀬庄左衛門御留書」に続く神山藩シリーズ第二弾。神山藩の筆頭家老・黛清左衛門を父にもつ三兄弟。長兄・栄之丞、次兄・壮十郎、そして三男・新三郎。兄弟の仲も良く、17歳の新三郎は恵まれた平穏の日々を送り、道場仲間の由利圭蔵という無二の「友垣」もいた。父・清左衛門と大目付の黒沢織部正は極めて親しい間柄で、家族ぐるみの付き合いを続けており、やがて織部正の美しい一人娘・りくとの婚儀がまとまり、新三郎は黒澤家の家に婿入りすることになる。元禄時代以降、借財には喘いでいたが、藩内は目立った嵐もなくまとまっていた。しかし「冬の湖面に石が投じられたごとく」に亀裂がしだいに広がっていたのだ。次席家老を代々務める漆原内記の野望がむくむくと立ち上がってきたのだ。娘のおりうが藩主の側室になり、又次郎という庶子をあげ、主導権を握るとともに藩主擁立への動きだ。そして黛と漆原はぶつかり死傷事件を起こす。「喧嘩両成敗」――次兄・壮十郎を落涙するなか「切腹」の断を新三郎は下すのだった。「わしがにくいか」「つぶした虫の怨みなど、気にかけるものはおらぬ」「未熟は悪でござる」「同じことなら強い虫になられるがよい」――。漆原内記の睥睨する言だ。

そして13年――。黒沢織部正となった新三郎は、筆頭家老になった漆原内記に仕え精励するが、陰では「漆原の走狗」「いつも抜き身を下げているような鞘なし織部」と嘲られる。「兄殺し」の自分にだ。再びの政争の嵐のなか、異なった立場の「黛家の兄弟」はどう立ち向かうのか。

静かに流れる風景と時間――。そのなかで、登場する人物それぞれが貫く自らの一筋の心の道が、静謐さのなかで描かれる。砂原浩太朗の世界。その静謐さとゆったりした時間、江戸時代の時空を形づくる精神性が心に迫ってくる。


1654236133164.jpg学生時代から大変お世話になった土岐憲三先生の「随想集」。「あてのない旅」どころか、強固な一本の人生の軸が貫かれており、その都度遭遇した地震工学の研究者だけでない各界の人物との交差は、きわめて豊富で面白くドラマチックだ。人生とはこうして、それぞれの人生の「線」が交わり、また離れ、それが豊かさを生み出すのだという感慨に包まれた。

 私自身、学生時代の研究室で土岐先生にお世話になった。本書にもある松代群発地震、阪神淡路大震災後の公述人、東日本大震災後の国交省での講演のお願い・・・・・・。小野紘一さんの研究室に伺ったこと、地震火災から文化財を護る粘り強い戦い・・・・・・。

 「音楽」「オーディオ」「自動車」「映画」「裁判」「イタリア」「ユダヤ人への判官贔屓」「桂キャンパス」「人融知湧」「明智光秀と土岐」――意欲ある知識人・教養人とはこんなにも豊かな人生を歩むのか――。感動した。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ