文化庁が9月発表したデータによると、「月に1冊も読書しない人が62.9%。5年前より15.3ポイントも上昇した」という。スマホやタブレット等によって読書時間が奪われているという。本書は、「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「スマホを見て、時間をつぶしてしまう」というなか、「本を読む余裕のない社会っておかしくないか」「どうすれば労働と読書が両立する社会をつくることができるのか」を問いかけ、「働きながら本を読める社会」を提唱する。
明治以来の労働と読書の歴史をひもとく。「明治時代――労働を煽る自己啓発書の誕生(日本初の男性向け自己啓発書『西国立志編』)」。「大正時代――『教養』が、隔てたサラリーマン階級と労働者階級」。「昭和戦前・戦中――『円本(全集)』ブームと教養アンチテーゼ・大衆小説」。「1950〜60年代――『ビジネスマン』に読まれたベストセラー(源氏鶏太のサラリーマン小説、教養より娯楽) (長時間労働時代で、サラリーマン小説やハウツー本の興隆)」。「1970年代――司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン(テレビによって売れる本の誕生と週休1日制のサラリーマン) (社会不安の時代に読む懐メロの『竜馬が行く』『坂の上の雲』)」。「1980年代――女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー(コミュ力時代の到来、70年代の教養と80年代のコミュ力)」。
「1990年代――行動と経済の時代への転換点(さくらももこと心理テスト)(『脳内革命』と<行動>重視の自己啓発書、<内面>の時代から<行動>の時代へ)(読書離れと自己啓発書、読書とはノイズであり自己啓発書はノイズを除去する)」。この1990年代が新自由主義の萌芽と、労働環境の変化するなか、「読書をノイズ」として、自分の自己啓発に直接役立つものに傾斜し「読書離れ」の変化をもたらすことが実感としてもよくわかる。そして「2000年代――仕事がアイデンティティになる社会(労働で『自己実現』を果たす時代) (IT革命と読書時間の減少)(インターネットの情報の『転覆性』、情報も自己啓発書も階級を無効化する)」・・・・・・。
そして2010年代から今だ。焦点とするのは、「IT革命と読書時間の減少」「『情報』の台頭、『情報強者』による従来のヒエラルキーを転倒させる力・ポピュリズム」「読書はノイズなのか」の問いかけだ。三宅さんは、「『読書的人文知』には、自己や社会の複雑さに目を向けつつ、歴史性の文脈性を重んじようとする知的な誠実さがある。一方、その複雑さを考えず、歴史や文脈を信じないところ、つまり人々の知りたい情報以外が出てこないところ、そのノイズのなさこそに『インターネット的情報』(ひろゆき的ポピュリズムの強さ)がある」「求めている情報だけを、ノイズが除去された状態で読むことができる。それがインターネット的情報なのである」と言う。読書には読者が予想していなかった展開や知識や教養との出会いがある。ネット情報にはノイズがなく、知りたいことだけを知る。ネットは自分の欲しい情報を得るための場であるのだ。
三宅さんは「問題は、読書という偶然性に満ちたノイズありきの趣味を、私たちはどうやって楽しむことができるのか」と問題提起する。そして、「大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないこと。仕事のノイズになるような知識をあえて受け入れること。仕事以外の文脈を思い出すこと」等を挙げ、それが「働きながら本を読む一歩ではないか」「自分から遠く離れた文脈に触れること――それが読書なのである」と言う。そしてその余裕がない社会であるならば、「働いていても、働く以外の文脈というノイズが聴こえるえる社会」を目指し、「『全身全霊』を褒めるのをやめませんか」「半身社会そが新時代、働きながら本を読める社会をつくるために半身で働こう。それが可能な社会にしよう」と呼びかける。
身の回りの直接的情報ばかり知ろうとし、スマホにますます依存して情報に翻弄されている現在に、「読書」から一石を投じている。本書がベストセラーになっていること自体、望みがあるということだろうか。