「能力・探求・ウェルビーイング」が副題。AI・デジタル化は社会を激変させている。デジタル、グローバル化などのなかで、世界各国とも教育改革を加速させている。AI ・デジタル化、少子化、教員不足、いじめ・不登校、過重なカリキュラム、激しい中学受験競争、外国人増加などのなか日本の教育の課題をどう克服していくのか。国連やOECD、ユネスコなどの国際機関に直接関わり、文科省の教育行政の真ん中にいる著者が、「これからの教育はどこへ向かうか」「あるべき教育、学校の未来を探る」を真正面から語る。きわめて有意義な著作。
「変わる世界の教育」――。なんといっても、デジタル化の影響だ。デジタル・スキルとコミュニケーション能力や協働性が求められる。注目されるのは「オンラインでできないのは結婚と離婚だけ」というエストニアだ。PIS A(読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーが対象)でも、エストニアは好成績。フィンランドは低迷、トップに踊り出るシンガポール(人材育成こそ国の存立の基盤を理念)、日本も2022年ではそれぞれ3位、5位、2位と良い。現在は20年前と大きく変化しているのだ。教師不足も世界共通。AIや半導体で国際的な人材の争奪戦が行われているが、教師の世界でも「国際的な人材獲得競争」が起きていると言う。教師の移民の加速、日本への英語教師も急増していると言う。逆に日本が想定してこなかった教師の国外流出のリスクが高まると指摘する。いちど辞めた教師の復職もこれから増える。
「教育は何を目指すか」――世界的に、経済成長モデルが限界になり、人間重視の世界観へ進む。SDGsはその象徴。OECDが提案したウェルビーイングが中心となる。個人の尊厳、人間尊重のよりよく生きる社会への立ち返りだ。学校生活と余暇のバランス、ワークライフバランスは子供たちにとっても大事だ。世界的に見ると「日本の子供たちは疲れている」ようだ。子供たちの立場に立っての学校教育の課題が見える。
「『主体性』を捉え直す」――。「重いランドセル問題」は子供たちの声(主体性)を聞いていないのではないか。「『やらされ感』のある学習から脱却し、学問の面白さや意義を自分ごととして理解していくようになること、それが『主体性』を育んでいくための正しいアプローチではないか」と言っている。
「子供たちに求められる『能力』とは」――。コンピテンシーの重要性が大事だ。単なる知識ではなく、対立を処理する柔軟性ある総合判断力のリーダーシップといえようか。世界はコンテンツ主義を脱し、コンピテンシー主義に舵を切る。「認知能力」偏重から「非認知能力」重視への方向だが、そこでの教育は「リスペクト、責任感、粘り強さ、正直、共感、誠実」などの価値観が重要だ。
「『探求』の再検討」――。大事なのは「題材やテーマがどのようなものかということではなく、探求のプロセスが回っているかどうか。子供たちが探求の方法論を身に付けているか」と言う。「シンガポールがカリキュラムの削減を進める上で、生徒だけでなく、教師に対しても『ゆとり』を作ることを徹底してきた」とシンガポールの成功の理由を述べている。「探求」におけるコーディネーターとしての教師の役割の重要性だ。
「何をどこまで学ぶべきか」――。「広さ」と「深さ」は、トレードオフにあり、科学の発達や社会の複雑化に伴って、カリキュラム・オーバーロードが避けられない。面白いのは「PISAにおいて、各国の生徒の金融リテラシーを分析したところ、金融リテラシーのスコアと金融リテラシー教育の実施状況と間には明確な関係性が見られなかった」「数学的思考方法に熟達していて、確率やリスクなどの概念を十分に理解していると、金融に関する問題であっても、既存の知識を応用することがある程度できる」ようだ。各学問分野の重要な概念や考え方、思考パターンなどに焦点を当てるアプローチが注目されると言う。改善には工夫がいるわけだ。
「これからの教育はどこへ向かうか」――。ニュー・ノーマルの教育像を示す。①教育システム②学習③教師、生徒の関係――それぞれ改革の動きは不断に進めなければならない。「未来の学校はどうなるか」――OECDはこれからの学校のシナリオとして、「現在の延長線上にある学校」「アウトソーシングが進んだ学校」「地域ごとの特色化が進んだ学校」「融解する学校」の4つを示している。地域ごとの特色化というが、スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグなど、有名企業の創業者たちは、いずれも大学を卒業していないというのは面白い。「融解」は、従来型の学校モデルではなく、AI、VR、IoTなどの進む段階で、そもそも学校という形が重要なのかどうかが問われてくる。
しかし、これらの変化の中で、変化を踏まえた「学校の普遍的な役割」はより大きいと指摘する。全く同感である。そして不断に検証、改革をし続けることだと思う。