「昭和人間である自分自身をどう取り扱うか。そして周囲の昭和人間をどう取り扱うか」のトリセツ。大阪万博が開催されるなど高度経済成長の絶頂期だった昭和45年を境にして、前期昭和人間と後期昭和人間が分かれると言う。確かにモーレツからビューティフル、高度成長から安定成長など時代は変わり、時代の空気も変わった。
そして今――。「おじさんLINEに潜む、昭和男性の寂しさと姑息」――若い女性に相手にされるわけがないのに、自分本位な勘違いだし、おばさんLINEの「絵文字のチカチカは昭和女性の秘めた心のきらめきか(昔のぶりっこの呪縛か)」と言う。今やLINEの文章の最後にマルをつけると「怒っているように感じる」と「マルハラ」が話題となる。著者は「無理に若者にすり寄って、自分の流儀を変えるのはリスクが大きい」と言う。
「草食男子などと言われたのは15年前、もはや草食であることが当然」「下心に満ちていた昭和人間のデートの時代ではない」と言い、一方では、古過ぎて面白いから(貫禄や知性らしきものを示すことができるから)、「お先にドロンします」「許してちょんまげ」「恐れ入谷の鬼子母神」「そんなバナナ」「当たり前だのクラッカー」などを使うのも良いとそそのかす。著者はしたたかだ。
「自分たちにとっての昭和は『ついこのあいだ』だけど、若者にとっての昭和は想像以上に『はるか遠い昔』である」ことを知るべきだ。「日本はすごい国」というのは過去の栄光で、そんな刷り込まれた感覚で話をするのは「過去のモテ自慢」と同じと切り捨てる。また昭和人間は「お酒との『腐れ縁』をなかなか切れない」「一緒に飲んだ方が距離が縮まると思い込んでいる」と指摘する。
「昭和人間の仕事観と若者の仕事観の違い」「時代によって大きく変わる『マナーの常識』」に触れつつ、著者は「『無難な正論』しか口にできない世の中にしてはいけない」とも言う。
「昭和人間とジェンダー ――男らしさ・女らしさという呪縛」――。この変化は、大事なことだとと思う。「共働き共育て」「人権を大切に」の時代が進み、「『女はこうあるべき』と昭和の刷り込みが顰蹙を買うのは当然だ。「男はこうあるべき」への呪縛も、様々な悲喜劇を巻き起こすことを紹介する。
最後に「『老害』にならないために」――。「自分が若くないことを認めるべき。まだまだ若いという勘違いが『老害』につながる」と言う。そして急速なネット社会。「ネットが生み出す『正義過敏症』『批判恐怖症』」「誹謗中傷に熱心なのは中高年というデータも」「『自分たちは賢いけどあいつらは馬鹿』の罠」「ネットは『楽しいけど信用できない友だち』みたいなもの」「昭和人間は、若い頃より確実に『自分の非を素直に認める』という行為が苦手になっている」「歳をとると仕事や子供など『自慢したい欲』が膨らむ」と自制を促す。
昭和の文化や価値観をたっぷりインストールされている昭和人間が、これからの大人ライフを楽しく実り多いものにするため、終わりのない「良い大人」への旅を続けましょうと語る。