「よく聞け、匿名性で武装した卑怯者ども」――。現代のテロ――「枯葉」なる人物が、ネットによる誹謗中傷、週刊誌の虚偽報道によって「大好きだった」ニ人の芸能人の人生が狂わされたとして、仮面の加害者たちを断罪。83人の個人情報を一斉にバラまくという前代未聞の事件が起きる。言葉が異次元の暴力になるネット社会。時事ネタの漫談で笑いの渦に引き込んだ人気のピン芸人・天童ジョージは不倫を拡散され絶望の果て自殺。30年以上前、一世を風靡した歌手・奥田美月は、妻子ある俳優との"密会"をでっち上げられ追い込まれた果てに、仕組まれた「暴言テープ」を流出され、もう20数年姿を消していた。
「俺が心の底から愛した芸能人は、奥田美月と天道ショージだけ。ニ人とも週刊誌とおまえらに抹殺されてしまった」「自由には必ず責任が伴うんだよ。無関係なところに首を突っ込んで、さんざん楽しんだお前たちのことだ。だから、悔いなんてないはずだ」「これから重罪認定した83人の氏名、年齢、住所、会社、学校、判明した個人情報の全てを公開していく」・・・・・・。この激しい報復にさらされた者は、同じネットで反撃され炎上。一気に奈落に突き落とされる。
この「枯葉」なる人物は、音楽プロデューサーとして周りから信頼されていた瀬尾政夫。かつては奥田美月を、このところは天童ショージを支えていた人物。なんと瀬尾は、今回暴露された83人の中の一人で、ひときわ叩かれ職場にもいられなくなった藤島一幸に訴えられ逮捕されていた。藤島は天童の中学時代の同級生だった。
判例の少ない刑事の「名誉毀損罪」――瀬尾が弁護を依頼したのは山城法律事務所の久代奏。彼女は、天童の中学からの同級生だった。「名もなき人々の個人情報を一斉にバラまいたとき、この人の中では一体、何が起こっていたのだろうか」「どうやって83人の個人情報を調べあげたのか」「その執念はどこから来るのか」・・・・・・。久代奏は、瀬尾と奥田美月、瀬尾と天童ショージの関係を徹底的に調べていく。そこには壮絶な美月の生い立ち、1980年代の音楽業界とテレビ番組制作、SNS時代の笑いや負のエネルギー、安全圏のスナイパー・・・・・・。まさに社会の闇に絡みとられる人間、重層的な人間関係とその中で変わらず注がれる愛の持続性が緊迫感のなかで描かれていく。加害者が被害者に、被害者が加害者に転ずる、現代社会の恐ろしさも見事に剔抉される。
「不名誉な情報をばらまいた男は、『匿名の壁の崩壊』で、ネット私刑の刑場へ引きずり出された」「情報社会の人間の思考は、『確証バイアス』『アルゴリズム』『フィルターバブル』『エコーチェンバー』『集団極性化』に偏っていく」「コスパやタイパ、アシスト機能の重視が、人々から思考時間を奪い、見栄えや承認欲求という浅瀬を延々移動し続ける漂流状態、短小文化をもたらす」「後ろめたさを知らない人間は、その無邪気さが刃になることを知らない。後ろめたさから逃れられない人間は、自らを正当化する過程で、正義を失うことに気づかない」「現代社会が息苦しいのは、社会的な"正しさ"と個人的な"邪悪さ"という両極端な振り子がネットによって可視化され、それぞれが発する負のエネルギーに翻弄されているからではないか」「承認欲求が抑えられずに倫理観のタガが外れていき、いつしか『何を言っても構わない』と勘違いする『安全圏のスナイパー』が生まれる」「義憤には、必ず己満足がふくまれていて、ユーモアのセンスがある人間なら誰でもきまり悪さを感じるものだ(サマセット・モーム「月と六ペンス」)」「現状は『個人で発信できるようになった』だけ。それが『醜い言葉の刃で誰かを追い詰めること』『感情に任せて私刑を誘発すること』『嘘の情報をタレ流すこと』『正確さよりも面白さを優先すること』が、いつ認められるようになったのか」・・・・・・。
危うい社会が進行中だが、末尾の「生きてこそ――」の言葉が残る。現代社会を抉るとてつもない傑作。「存在のすべてを」も素晴らしかったが、それ以上。