mori-.jpg2004年刊行、今なお読まれる感動の著作。スポーツコラムニストとして活躍するミッチ・アルボムは、テレビで大学時代の恩師モリー先生が難病ALS (筋萎縮性側索硬化症)に侵されていることを知る。16年ぶりの再会。「憐れむより、君が抱えている問題を話してくれないか」――。毎週火曜日、2人の人生対話が始まる。テーマは「人生の意味」。日一日と身体の筋肉が衰え、死が迫っていくなかでのモリー先生の言葉は、経験のもとに語られる講義。毎回、「何を語るか」――。深さに満ちている。

「死ぬっていうのはね、悲しいことの一つに過ぎないんだよ。不幸な生き方をするのはまた別のことだ」「もうじき死ぬとはいっても、私のまわりには愛してくれる人、心配してくれる人がたくさんいる。世の中にそういえる人がどれだけいるか?」「人生は、前に引っ張られたり、後ろに引っ張られたりの連続なんだよ。・・・・・・どっちが勝つって? そりゃ愛さ。愛はいつも勝つ」「多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。あれこれ忙しげに立ち働いているけれども、半分寝ているようなものだ。人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものも創り出すこと」・・・・・・

「教師は未来永劫にまで力を及ぼす。貧乏を救う薬は教育だけだ」「他人を搾取するような仕事には絶対につかない、そして他人の汗でかねを稼ぐような真似はしない。それが将来守り続ける誓い」・・・・・・。こんなに物質的なものに取り囲まれているけれども、満たされることがない。愛する人たちとのつながり、自分を取り巻く世界、こういうものを、われわれは当たり前と思って改めて意識しない」――。究極は、妻、子供、愛する人々とのつながりだけが残る。「悲しむことには、癒しの力がある。その力を見つけることだ。愛を発生させるのは、人間の悲しさを知ることだ」「愛がなければ、我々は羽をもがれた鳥も同然。愛する人、見守っている人がいるかいないか。それらがいない時は、この病気ははるかに厳しいものになるだろうな」・・・・・・

「今、私がやっているのは、『経験から自分を引き離すこと』。女性への愛でも、愛する者を失った悲しみでも、私が今味わっているような死に至る病による恐怖、苦痛でもよい。経験を自分の中に十分に染み込ませる。そうしてこそ、そこから離れることができる」・・・・・・。凄い世界、境地を語っている。

「老人が若者を恨まないなんて、そんなことありえないよ。ただ、問題は、ありのままの自分を受け入れ、それを大いに楽しむことだ。年齢は勝ち負けの問題じゃないんだ」「本当に満足を与えてくれるものは何だと思う? 自分が人にあげられるものを提供することだ。かねのことじゃない。時間、心づかい、話をすること。人を愛することに自らを捧げよ、周囲の社会に自らを捧げよ、目的と意味を与えてくれるものを創り出すことに、自らを捧げよ」・・・・・・

「人間の持っている最大の欠点は、目先にとらわれること。先行き自分がどうなるかまで目が届かない。潜在的な可能性に目を注がなければいけない」「死が間近になれば、人間は始まりも誕生も同じ、死も同じ。違いようがないじゃないか。人類という家族に投資しよう。人に投資しよう。愛する人、愛してくれる人の小さな共同社会をつくろう」・・・・・・

「許さなければいけないのは、人のことだけじゃない。自分もだ。自分を許せ。人を許せ」――。モリーが最後に口にしたセンテンスは、「死で人生は終わる、つながりは終わらない」・・・・・・

そして、毎週の火曜講義を受けた著者は言う。「あなた方は、本当の先生を持ったことがあるだろうか? あなた方のことを、荒削りだが貴重なもの、英知を持って磨けば、見事に輝く宝石になると見てくれた人を。さいわいそういう先生のもとへたどり着けた人は、きっとそこへもどる道を見つけられる」と言う。私も「見ていてくれる人がいるのは幸せだよ」と言われた師の言葉が心に響く。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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