安部龍太郎・佐藤優対談「対決!日本史」シリーズの第6弾。満州事変(1931年<昭和6>9月)から日米開戦(1941年<昭和16>12月)まで10年間にわたるアジア・太平洋戦争の歴史について語る。
「満州事変以降、日本は国の道筋を誤った」――。その満州事変、リットン調査団来日、満州国建国、5.15事件、国際連盟脱退、2.26事件、盧溝橋で日中両軍衝突・日中戦争、南京事件、ノモンハン事件、南進政策、日独伊三国同盟、日本軍のマレー半島上陸・ハワイ真珠湾攻撃・・・・・・。
帯には「破滅への分水嶺を見極めろ」「この対論における重要なテーマは、民衆から遊離した愚かな指導者たちが、この時代にどのようなことをしたかについて考察することだった。それは単に過去を断罪するためではない」「戦争は人間を破壊するーーその現実を歴史から学ぶことは平和を築く礎となる」とある。
「なぜ愚かな戦争の泥沼に入っていったのか」――この80年、数多くの歴史研究があるが、共に父親が南京攻撃の場におり、共に歴史・思想的作家であり、共に博覧強記、共に「もう、あげんなったら普通じゃおられん(南京についての安部氏の父親の証言)」という民衆の現場から見ているだけに、現場の生々しい息遣いが伝わってくる歴史対談となっている。「愚かさを克服して、二度と戦争という悲惨で、残酷な事態を引き起こさないようにしなくてはならない」「ここで不可欠になるのが平和の価値観だ」として、佐藤氏は「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争は、まだつづいていた。愚かな指導者たちに率いられた国民もまた、まことに哀れである」(池田大作著「人間革命」第1巻)をひいている
「どうしたら日本は、アメリカとの戦争を避けることができたのか」――。いくつもチャンスはあったと言う。「ドイツがソ連を攻撃した1941年6月22日が歴史の転換点だった」「あの時、日本が日独伊三国軍事同盟を破棄し、日米首脳会談を行えば、安部が言うように、日米戦争を回避することが可能だったと私も思う」と言う。また「近衛文麿・蒋介石トップ会談で回避できた日中戦争(1937年7月の盧溝橋事件直後)」「1932年10月、リットン調査団の報告書では、『満州における日本の権益を維持していい』となっている。しかし、不拡大方針はことごとく失われた」・・・・・・。軍部の暴走、5.15事件、2.26事件、ABCD包囲網などについても現場背景のリアルから鋭角的に論じている。
その現場のリアルとして五味川純平の「戦争と人間」(山本薩夫監督)の映画、高倉健が主演した「動乱」、原節子主演の日独合作映画「新しき土」、加山雄三が記者として主演する「激動の昭和史 軍閥」、高倉健主演の映画「2・ 26事件 脱出」、1942年に公開された国策映画「間諜未だ死せず」などの映画が紹介される。このようにリアルを重視する珍しい対談でもある。極めて面白い意義ある対談。