「信長か。珍しゅうもない。ざらにいる男よ――」。天下布武を掲げる織田信長が勢いを増す戦国時代。怪物のような武将が丹後にいた。桁はずれの勇猛、意表をつく判断、本心を明かさぬ深淵は常に周りを翻弄する。
天正6年9月、信長は丹後の守護大名、一色義員の討伐に着手する。討手に選ばれたのは長岡藤孝。足利家の家臣から、信長の家臣へと、鞍替えするのに伴い、苗字を細川から長岡に改めていた。天正7年1月、攻められた一色義員は切腹。後を継いだのは17歳の嫡男・五郎。丹後を舞台に、長岡藤孝、忠興親子と一色五郎との激しい知略の攻防戦が繰り広げられる。特に同年の激しい気性の忠興の悔しい歯ぎしりが聞こえてくる。
大雲川の戦闘。「丹後国をほしくばこの俺が相手じゃ」「五郎は討取りたる四十九人の首を槍の穂にさし貫き、討れし敵の雑兵百人の骸を川ヘ沈め、浅みを計りて馬にて渡し」・・・・・・。
「一色五郎弓木城に楯籠り」――味方にも、本心をあかさない。「一色五郎は何ゆえ、いともあっさりと丹後ニ郡を譲ったのだ」「あ奴は負けたゆえニ郡を譲ったのではない。勝たんが故にそうしたのだ」・・・・・・。一色家と長岡家の死闘は続く。「一色家の業報を、戦に使わんとしているのか」――五郎は黙している。
天正9年2月23日、信長は京でお馬揃えを催し、一色五郎にも声をかける。五郎は、ただ一人武装、陣羽織の背中にはなんと隆々たる陰形。信長に会う。目に浮かぶような活写だ。そして信長は、長岡家の伊也姫を一色五郎に嫁がせるという驚くべき手を打つ。五郎を使おうとする信長、対する長岡藤孝、特に忠興の怒りと焦り・・・・・・。
そして天正10年6月2日、本能寺の変勃発。下巻ヘ。丹後一色氏最後の傑物の物語。面白い力作。
