丹後の一色五郎と長岡忠興との激しい戦いの物語だが、この下巻は天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変から、一色五郎が謀殺される9月28日まで。実に短い期間だが、時代の動きは激しく、まさに驚くべき決死の攻防戦、武将の覚悟が描かれる。凄まじい力作。
一色五郎に潜む「一色の業報」――それは、「一色宗家に仇する者は必ず非業に死ぬ。これが一色家の業報だ」「長岡家と和睦し、国人が斬られたとて沈黙を守り、馬揃えや検地を受け入れた挙句、武田征伐への出兵に応じたのも、いずれ信長が非業に死に、あらゆることが振り出しに戻ると予見していたからだ」「光秀はほどなく討たれる」・・・・・・。五郎は雌伏し時を待ったのだ。「時は我らに味方した。これより宮津城へと攻め入り、長岡家の者どもを討ち滅ぼし、長岡藤孝、忠興が首級を挙げる」・・・・・・。
光秀に対し、長岡藤孝、忠興と玉、一色五郎と伊也、そして秀吉、柴田勝家、さらに丹後堂奥城の矢野藤一郎・・・・・・。それぞれの逡巡と決断が描かれる。
一色五郎もまた大返し。怒涛のごとく加悦城へ迫り、忠興を助けるが、銃弾を浴び倒れる。「今こそ一色家の息の根を止めるべし。翌朝をもってて弓木城を攻撃」の声を忠興一人が止める。
秀吉の意向に対し、「彼の者は光秀には与しておりません」と忠興は抗い、「信長が認めた一色家の所領を奪うは、このわし自身である」と固く心に決める。そして、命を取り留めた一色五郎は、直ちに宮津城に出兵。しかし軍勢を引き揚げる。「突然、五郎ははらはらと涙を流し始めたのだと言う」と描写する。
「どうか、我が家臣となってくれ」「ただ一色五郎という武将が欲しかった。――この男と共に乱世を生きてみたい」・・・・・・。一色五郎は受け入れるが・・・・・・。その結果は忠興の心とは全く違う謀殺計画と変ずる。
本能寺の変を挟んで、丹後において、一色家と長岡(細川)家の因縁の激烈な攻防戦があった。そこに一色五郎という怪物のような武将がいたことを衝撃的に描き出した力作、感動の物語だ。
