fukuoka.jpg「動的平衡」の福岡伸一氏が、西田幾多郎研究の第一人者・池田善昭氏と「生命とは何か」について対談。「ロゴス」の西洋科学・哲学思想に、「ピュシス」の実在把握によって対峙し、乗り越えることを示す。実在の全的把握で根底から包み込むといえようか。「生命をめぐる思索の旅」が副題。対談が進むにつれ、どんどん思索が深まり、ピュシスという新しい世界観を獲得していく「思索の旅」は感動的だ。

福岡氏は、「生命とは要素が集合しできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのである」「生命とは動的平衡にある流れである」と言う。仏法哲学における「法」概念、鴨長明の方丈記に描かれる無常と、常住の十字路に瞬間を位置づけるということに通じる。福岡氏は、「西洋の科学や哲学においては、これまで、時間は点(の集まり)でしかなかった。・・・・・・まさに『不連続の連続』であり、ここにおいて初めて連続した時間が満たされることになる」「池田先生のご教示により、①ピュシス②包みつつ包まれる(逆限定) ③ 一と多(時間と空間)④先回り⑤時間ーーという五つのステップを乗り越えることができ、対話を通して西田哲学の重要性を改めて認識することができた」と言う。なお「ピュシスとは、切り分け、分節化し、分類される以前の、ありのままの、不合理で、重畳で、無駄が多く、混沌に満ち溢れ、危ういバランスの上にかろうじて成り立つ動的なものとしての自然である。自然とはロゴスではなく、結局はピュシスである」と言っている。

池田氏は、「彼は、生命のダイナミズムとしての全体性、すなわち『絶対的状態』を彼の内面に把握することとなり、世界で初めて生命の新たな定義をなし得ることに成功したのであった。福岡氏自身、彼の生命体の内面に『感得』するという全体的直観によって把握されていたがゆえにである」「生命における『実在』とは、存在と言う単にあるなしではなく、常にエントロピーに抗うがゆえに、『現在』がまさに『過去未来』に対して逆限定的に成立するからでこそあった。ここでこそ、有無の同時性が成立しているのである」「先回りという生命上の働きは・・・・・・福岡伸一氏は、西田の言うそうした『逆限定』を、特に、『動』と『静』との絶対矛盾的自己同一に習いつつ『動的平衡』として把握したのであった」と言っている。

量子力学において、ナーガールジュナの「空」の仏法哲学に論が及ぶことがあるが、私にとって「宇宙の法」「空」「諸法実相」「因果倶時」「依正不ニ」「無常と常住」の仏法哲学を思考する旅でもあった。


abeshinzou.jpg首相辞任直後の2020年10月から、1日2時間のインタビューが始まり、21年10月まで18回、計36時間の肉声を収録したもの。今もふっと安倍元総理が出てくる。表紙にあるあの笑顔が・・・・・・。優しい気配りの人、リアリストの政治家、話が行き交うとグッと身を乗り出してくる姿、外国首脳との会談でも戦略的に主張し当意即妙の鮮やかな切り返しをする姿・・・・・・。公明党のことも大変大事に思ってくれ、「全世代型社会保障」「教育」「中小企業支援」「防災・減災」「観光」など推進できた事はあまりに多い。私が安倍元総理に感じてきたのは、「国を背負う」という気概、戦略的思考だ。

本書で語られることは、1993年当選の同期、2006年第一次安倍政権では私は党代表、2012年第二次安倍政権では国土交通大臣でもあり、くっきりと目に浮かぶ。第一次安倍政権での教育基本法や国民投票法、参院選の敗北・・・・・・。地獄からはい上がった第二次安倍政権――日本再建、経済再生、デフレ脱却、その中での2度にわたる消費税上げ、平和安全法制、70年談話、憲法改正問題、3,000万人を超えたインバウンド観光、そして勝利し続けた国政選挙――。最後に襲いかかったコロナ。その緊迫する毎日の中で安倍元総理は何を考えたか。本書では、「財務省など役所への不信」などを始め、かなり率直に語っている。公にはできない戦略的部分もあろうが、紙面的制約の中でも安倍元総理らしく率直だ。

特に、本書のかなりの部分を占める「地球儀を俯瞰する外交」における世界の指導者とのやりとりは、安倍総理ならではの面目躍如、八面六臂だ。オバマ、トランプ、メルケル、習近平、プーチン、豪州のアボット、フィリピンのドゥテルテなどとの真剣勝負のやりとりは他の誰にもできないことだった。それらが肉声で語られている。面白いし貴重だ。そこには「自由で開かれたアジア太平洋」構想などの戦略性と意志が常にあった。その都度、面白いエピソードを聞かせていただいたが、「1時間にわたるトランプとの電話会談の中身」「大統領は反対党によって倒され、首相は与党から倒される」など本書にはそれが出ている。

1年にわたってよくインタビューをしておいてくれたとの思いを深くする。「回顧録」というにはまだあまりに生々しく、こみ上げてくるものがありすぎる。


nihonnsiwoabaku.jpg「戦国の怪物から幕末の闇まで」が副題。「とかく、歴史には闇が多い。歴史には裏がある」と言う。歴史は表舞台の歴史であり、勝者の歴史である。民衆の喜怒哀楽の歴史や災害との関係などは、あまり表には出ない。磯田さんは、古文書を徹底して求め、表には出ていない意外な事実を探りだし、解読する。面白い。

今回の直木賞「しろがねの葉」では、石見銀山の厳しい現場の実態が胸が苦しくなるほど描かれるが、「日本最古のマスクは1855年頃、石見銀山の鉱山労働者の健康対策に宮太柱が開発した「福面』といわれる」と、本書の「疫病史に照らせば中盤か」「最古のマスク広告か」で書かれている。「江戸マスク開発者ニ人の末路」も面白い。災害について、磯田さんは、いくつもの著作で描いているが、「京都の震災復興、公家の苦闘」「西日本で地震連動の歴史(高槻の1596年の慶長伏見地震)」や、感染症についても、「身代潰した給付なき隔離」「感染症から藩主を守る(登城も出勤も自粛させたのは藩主を守るため)」など興味深い話が出てくる。「歴史は繰り返さないが、よく韻をふむ」という。

「光秀登場の黒幕(細川藤孝)」「比類なき戦国美少年・名古屋山三郎と淀殿」「家康の築城思想(二条城が小さいのは何故)」「三代・徳川家光の『女装』(家光に英才教育を施した三人)」「吉宗が将軍になる直前の尾張藩主の連続死」・・・・・・。「幻の忍術書・間林精要」「赤穂浪士が吉良の首を泉岳寺に運んだ後の「吉良の首切断式」「カブトムシの日本史」「殿様の警護マニュアル(刀を抜かないように刀のグリップにかぶせた柄袋。桜田門外の変で襲撃された時、お供の武士たちはこの柄袋のせいで刀を抜くのが遅れたという説。駕籠の中の井伊直弼はいきなり銃弾で腰を打ち抜かれた)」「鼠小僧は義賊にあらず(もっぱら弱い女子の部屋を覗き、彼女らの金をせしめていた)」「西郷隆盛は闇も抱えた男だった(西郷はもちのような男と言われ、すぐ気持ちが溶け合う男だったが、謀略を始めると暗殺、口封じ、欺瞞、何でもやった恐ろしく闇を抱えた男でもあった)」「コメ日本の圏外が育んだ発想(奄美群島、下北半島には牧畜社会があった)」「松平容保など『高須四兄弟』を生んだ高須藩の謎」「孝明天皇の病床記録の漏洩」「もみじ饅頭と伊藤博文」・・・・・・。

「織田信長の遺体の行方」などについても調べ上げて解説している。


nihonjinn.jpg「テレワークがさらした深層」が副題。コロナ禍でテレワークが進行し、残業や休暇の取り方、長時間労働の課題が急速に改善されたが、コロナの感染が下火になるや、多くの企業はテレワークから出社勤務への切り替えが進んでいる。そこには、「テレワーク」と「承認欲求」の日本的な特徴が交差しているという。

テレワークが長期化すると、新たな意識変化が生まれてきた。「新入社員は孤独感と不安に迫られるようになった」「管理職の存在感が薄れ、部下をコントロールできない不安が起きた」「会社に行けば世間話や情報交換もでき刺激が得られる。特に承認欲求が得られる」のだ。心理学者のマズローは、「承認欲求は生理的欲求や安全・安定の欲求等と並んで人間の基本的な欲求の1つに位置づけられる」「人間社会では、すべての人々は通常安定し、基礎の確立した、自己に対する高い評価や自己尊敬、自尊心、他者から尊重されることに対する欲求あるいは欲望を持っている」と言っている。リモートは、楽な点もあるが承認不足を招いているのだ。管理職にもたらされていた「自尊の欲求」と「尊敬の欲求」が欠けてきているのだ。欧米にある「働いて収入を得る場所が会社」とは日本は違う。会社で認められるという意味は大きい。「見せびらかし文化」が役職にしても残業にしてもあるというのだ。

本書で面白いのは「見せびらかし」から「チラ見せ」へという指摘だ。昨今は、企業でも自治体でも管理職になりたくないという「管理職離れ」が起きており、もらう給料も別に高くはなく尊敬もされない、役職の魅力が低下しているという。現実にそうなっている。そこで起きている承認欲求が、さりげなくちょっとできることを見せる「チラ見せ」であり、なんとZ世代はそれに長けているという。人にどう見せるかという処世術に長けているというわけだ。目立つことや嫉妬につながることを避けて生きていくのだが、わかるが生命力のなさが情けない。

本書は、それらのことも踏まえて、テレワークの普及が始まった以上、パンドラの箱を開けてしまったのだから、「テレワークの制度化が転機に」「テレワークと出社を組み合わせるハイブリッド型の働き方」を提起し、「消える承認の『床』と『天井』と『壁』」を述べる。そして「副業解禁のインパクト」「起業の原動力は強い承認欲求」「テレワークが切り拓くシームレスなキャリアチェンジ」を提起する。そして「偉い」から「すごい」「さすが」ヘと言う。


jinrui.jpg「ソクラテス、孔子、ブッダ、イエスの生涯と思想」が副題。90歳を超える希代の碩学である著者が、壮大な人類史の史的展開と、その中で同時並行的に起きた精神革命が、何ゆえに生じたかを解明する。まさに壮大、古典世界の学問と実証を踏まえ、現代にも続く宗教・思想の根源を探り抉り出す。「筆者の考えでは」「筆者は」という言葉が頻繁に出てくるように、未知の領域に踏み込もうとする挑戦姿勢にも驚嘆する。感動的な著作。

これまでの人類の歴史には5つの大転換期があるとする。「人類革命」「農業革命」「都市革命」「精神革命」「科学革命」だ。本書が焦点とする「精神革命」は、第4の転換期で、前5世紀頃を中心として、ギリシア、中国、インド、イスラエルの4地域にわたって、並行して人間の精神上の大変革が起こり、哲学や普遍宗教の源点が定められた時代である。ソクラテスらのギリシア哲学、孔子に代表される中国古典的儒教、インドのブッダを主役とする仏教、イスラエルにおけるユダヤ教とキリスト教の形成におけるイエスの存在だ。第5の転換期は、17世紀に始まった「科学革命」、そして現代は人間だけではない宇宙・自然・人間を含んだ「環境革命」の転換期が始まると言う。宗教・思想を含めた人類史の中での「環境革命」という意味である。

人類革命、農業革命、都市革命が、それぞれ身体的、技術的、社会的変革を中心としていたのに対し、「人類はここに初めて精神内部の根本的変換を経験する。人間は個我に目覚め、それまでの神話的世界を超え、生身の目で捉えられる『超越者』『普遍者』を求め、そこから世界全体を統一的に捉え直し、その中での人間のあり方を自覚しようとする」「ギリシャ思想はロゴス的理論的、中国思想は直感的実践的、インド思想は瞑想的思弁的、イスラエル思想は超越的啓示的だと言う。農業革命以来の神話的、呪術的世界から脱し、都市革命後の抑圧的権力構造とも対決し、宇宙とも連関する新たな世界観の中での人間の内実に関わる「精神革命」が、ヤスパースの枢軸とは違い、4人の始祖を中心にして、前6世紀から後1世紀に東西で同時並行的に起きたのである。

本書は「精神革命とは何か」に始まり、「哲人ソクラテス――ギリシアにおける精神革命(ソクラテスによる「プシューケー()の発見に始まり、その魂の対象となる『イデア』の認識を経て、その最高のものとしての『善』の把握に至る)」「聖人孔子――中国における精神革命(周時代の『天』が地上に引き下されて人倫化されて『道』となり、それは当初『礼』であったが『仁』となる)」「覚者ブッダ――インドにおける精神革命(『苦』のもととなる『執着』の対象が変化して止まない『縁起』、つまり『空』に他ならないことが自覚され、そこから『慈悲』出現する)」「ユダヤの誕生――イスラエルにおける精神革命I」「預言者イエス――イスラエルにおける精神革命II(イエスによりユダヤ教における『律法」の概念とその形式化が徹底的に批判され、それを超えた直接的な神の『愛』が強調され、人々の真の救済へと向かう)」を詳述する。

また宗教と科学の関係について、宗教は「この世界でいかに生きるべきか」を問題とし、科学は「世界がいかにあるか」を研究するものとし、両者は決して無関係ではないことを念を押す。最後に「精神革命と現代の課題」について述べる。考察しつくされた壮大な人類史、人間の内実に迫る「精神革命」史観に感動する。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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