銀閣の人  門井慶喜著 .jpg室町幕府第8代将軍の足利義政――。1435年に生まれ、1490年に没す。応仁の乱(1467年~1478年)のさなか、「わび」「さび」の美を体現する建築を構想し、東山殿・慈照寺銀閣を建てた。在職24年、妻は日野富子。息子は第9代将軍・義尚で、富子が溺愛し、なんと将軍就任の9歳から酒におぼれ、義政に先立ち25歳で病死した。後継者争いに執念を燃やした富子にとって、義尚の孤独な死は大きな誤算だった。

すでに幕府の力は衰えていた。それを象徴するかのように義政の父・義教は義満の実子だが、なんと"くじ引き"で選ばれ第6代将軍となった。しかし傀儡に徹するどころか逆に「政治への野心は無限」であり、大名討伐を企て行動したが、最終的には赤松満祐によって殺害される。その"血の海"に6歳の三春(義政)は居合わせ恐怖した。乳母"おいま"に抱きしめられる。

"下剋上"の権力闘争が繰り広げられ、幕府の力は更に落ちる。その政治に関与したのは富子であり、義政は政治に背を向け、己の美意識を「わび」「さび」の文化の極致・慈照寺銀閣、その東求堂に今も残る部屋「同仁斎」に凝縮していく。お互い別の者を後継者にしようと応仁の乱まで起こした義政と富子の夫婦――二人の愛憎は激しく、義政は政治とも距離を置いて銭もない。孤独な将軍義政は、「"充足の美"ではなく"不足の美"」「政事より文事」「『わび』(侘び)どころか、その先の『さび』(錆び)へ」「四畳半における世界との交歓、世界と個人の対等な屹立」「孤独の空間における世界との対峙」「金をかけて地味をつくる」「閑静枯淡」への道を突き進んだ。義政の死後、下剋上の暴風は日本を覆い、将軍も"流れ公方"となり、大名同士の戦争に巻き込まれていく。

めまぐるしく動く、室町のど真ん中、義政と富子とその子・義尚の心の底を剔り出し、その後の日本文化に大きな影響を与えた源流「銀閣」をあわせて鮮やかに描いた作品。公明新聞に連載して好評を博した。


一人称単数.jpg8つの短篇小説集。団塊の世代でもある村上春樹の自伝的な要素を思わせ、同時代を生きた者として感ずるもの大である。たしかに人生を振り返ってみると、不思議な出来事も夢想も虚実一体となって立ち現われてくるものだ。この世界と異界との"あわいの世界"。有と無に偏しない諸法実相の世界。夢と現実との境界での交差。心の深層の無意識層から湧出する意識と感情。8つの短篇に流れるのは仏法でいう末那識・阿頼那識の哲学性と、いかにも団塊の世代らしい芸術・文化との絶妙なコラボレーションだ。

「ネコや犬がしゃべったら面白いだろうな」と思うことは多かったが、本書の「品川猿の告白」では日本語をしゃべる老猿が出て、ドーパミンが出て女性が欲しくなって、「名前を盗む」ことを行ったと聞く。猿に「人間は何をしてるんだ」と揶揄されているようで恐くなる。「一人称単数」で、見知らぬ女性から「3年前に、どこかの水辺で、どんなひどいことを、おぞましいことをなさったかと。恥を知りなさい」とからまれ罵倒される。すると街は三変土田、木という木には蛇が巻きつき蠢いていたと描く。

「石のまくらに」では、ふとした成り行きで一夜を共にした女性。詩を書く女性で詩集を送ってくる。生老病死を感ずる年代になってその詩は心に染み入る言葉となる。次に「クリーム」という小篇。ピアノを同じ先生に習っていた女の子から演奏会の招待状を受け取り、行ってみたがそんな演奏会はないという。出会った老人が口を開く。「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円を、きみは思い浮かべられるか?」「きみの頭はな、むずかしいことを考えるためにある。わからんことをわかるようにするためにある。それが人生のクリームになるんや。それ以外はな、みんなしょうもないつまらんことばっかりや」・・・・・・。結論を出して思考停止するのではなく、考え求める続けることだろう。1955年に死んだはずのチャーリー・パーカーが63年に「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」というアルバムを出したという文章を主人公は大学生の頃に書いていたが、その後ニューヨークのレコード店で同名のアルバムを見つけたという。この「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」や他の小篇「ウィズ・ザ・ビートルズ」「ヤクルト・スワローズ詩集」などは私たちの世代としてはよくわかるものだが、他世代も共有できるのだろうか。

「謝肉祭」――。容貌が著しく醜かった女性は人を引きつける特別な吸引力をもっていた。彼女と究極のピアノ音楽として一致したのがシューマンの「謝肉祭」。襲いかかる梅毒と分裂症によって、シューマンは幻聴と悪霊の「謝肉祭」を書いた。宇宙を感じたのだろうと思う。


カインの傲慢.jpg練馬区の公園で少年の死体が発見され、しかも臓器が取り去られていた。捜査に当たった捜査一課の敏腕刑事・犬養隼人と後輩の高千穂明日香、そして地元・石神井署の長束。少年は中国人で、明日香は中国に向かうが、そこには息をのむような貧しさがあった。そして、都内で臓器が取り出された少年の死体が次々と発見される。それら日本の少年も、貧しい家庭で育ったという共通項があった。

捜査を進めるなか、この国で静かに潜行している臓器売買ビジネス、暗躍する臓器ブローカーの実態、そして今回は貧困家庭の子どもが狙われ犠牲になるというおぞましい姿が明らかになる。さらに「日本には臓器移植を待ち望んでいる人が多くいる。時間との闘いのなかで」「米中とも臓器移植のハードルが低い。社会的コンセンサスもできている。日本は脳死基準が厳格で、従来からの死生観もあり、ハードルが高い」との実態が明らかになる。生命倫理と現実との苦悩と葛藤のなか、臓器売買の闇、医療と社会の闇に切り込む警察ミステリー。


日本中世への招待.jpg中世は平安末期から戦国時代まで。それ以前は古代、江戸時代は近世という。源平合戦や鎌倉幕府、南北朝内乱、室町時代から戦国時代へ。武将や合戦が語られるが、中世人の日常生活や習慣や価値観等を紹介したのが本書。家、結婚から葬送、遊びや旅や贈答文化、教育など、現代の形が「中世」でつくられてきたことがわかる。根源を知って面白い。

中世の家族――「氏という同族集団から家へ」「中世的『家』は男系継承」「古代の結婚形態は妻問婚で夫婦は必ずしも同居しないが、徐々に一夫一妻制に移行」「平安時代は婿取婚だが、しだいに嫁取婚へ」「北条政子の"後妻町(うわなりうち)"」「前近代を通じて夫婦は別の氏を名乗り、名字は現住所でどんどん変わった」・・・・・・。中世の教育――「武士の文武両道の勧め」「鎌倉・南北朝の武士はあまり字が書けない。識字能力が高まるのは室町期以降」「顕密寺院での高等教育」「禅院では儒学が盛んで禅僧が朱子学を教えた」「唐代の儒学(解釈学)から宋学、朱子学への大転換」「足利学校の教育」・・・・・・。中世の生老病死――「出産のケガレ」「中世の鍼・漢方治療(本道でないので切開は外科という)」「仏教由来の火葬と一般民衆の風葬とケガレ」・・・・・・。

交流の歴史学――「寄ると触ると酒宴、それが室町文化を生んだ」「寺社参詣の旅の娯楽化」「中世の寺院社会の集団生活」「接待は古代からあったが、中世の接待は大変だった」「日本人の贈答好きは筋金入り」「島津家久の旅行『家久君上京日記』」「中世のおもてなし(信長が命じた家康への明智光秀の接待)」・・・・・・。

学説は多々あろうが、率直で大変面白い。


51Zx9ifVyqL__SX341_BO1,204,203,200_.jpg動物虐待、危険運転、引きこもりビジネス、留学生ブラック労働――。街にはこうした卑劣な事件、弱者につけ込むやつらがいる。マコトとタカシ率いるGボーイズが痛快に、人情味あふれた解決をする。

「目白キャットキラー」――。池袋周辺でこの2か月で4件、ネコが残酷に虐待され、映像がネットに投稿される。頼まれたマコトたちは捜し当て、こらしめる。「西池袋ドリンクドライバー」――。通学路を制限速度40kmをはるかに超えるスピードでぶっ飛ばす危険なドライバーがいるとマコトたちは耳にする。またある交差点で学童擁護員として毎朝立ってくれる夫婦がいた。7年前、その夫婦の小学3年生の息子が白いワンボックスカーにはねられ死亡したからだという。二つの事件が解決に向かって動き出す。

「要町ホームベース」――。引きこもり第一世代は還暦をすぎているというが、高校から十年間も外界を断っているという若者の話。引きこもり自立支援センターをビジネスとして立ち上げ、どんな子どもも必ず親離れと自立へ導くという。それがひどい内容と暴利をむさぼっていることを知る。「絶望スクール」――。新宿区や豊島区は外国人の若者も多く、留学生として夢を抱いて来日し、アルバイトもしている。「わたし、日本は天国だと思っていた。・・・・・・でも違っていた」・・・・・・。「日本人だって、留学生を食いものにする強欲なやつばかりじゃないところを見せてやろうじゃないか」とマコトとタカシは立ち上がる。

世の中には、表と裏とグレーゾーンがあるが、ここで描かれているのは卑劣な犯罪だ。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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