小さな政府、規制緩和、市場原理の活用、官から民・・・・・・。フリードマン、レーガン、サッチャーから小泉政権・・・・・・。世界を席巻した新自由主義とはいったい何か、なぜ影響力をもったかを、この40年の歴史的事実を検証し、剔抉する。「経済的に自由になれば、必ず政治や市民の自由が生み出されるとまではフリードマンはいっていない」とか、「新自由主義とグローバリゼーションを僕たちは同じ意味のように使いがちだが、両者は同じではなく、むしろ所得の格差を拡大させた犯人は後者である可能性もある」など、分析はきわめて冷静で詳細。かつまた、80年代のレーガンの米国、サッチャーの英国の事情、日米の激しい貿易摩擦、米国からの厳しい内需拡大要求、行革や財政健全化への政官財と民意、ITの急進展・・・・・・。世界の全方位の動向のなかで、まとめてみると新自由主義と呼ばれるものの潮流が巻き起こっていたことが描き出される。新自由主義というイデオロギーが歴史を動かし、世界を染め上げたというのではないことがわかる。「レッテル貼りとしての新自由主義」「新自由主義へ舵を切れ!」「アメリカの圧力、日本の思惑」「新自由主義の何が問題なのか?」「『経済』を誤解した新自由主義の人びと」の各章で「新自由主義の抱え込んだ矛盾、再考」への思考が語られ、きわめて明解。しかも眼は、だからこそ「経済・財政・社会をどうするか」に注がれる。
「経済をつくりかえるためのポイントは、人びとが生きる、くらすための共通のニーズを満たしあう、『人間の顔をした財政改革』を『欲望の経済』に対峙させることである」と、「頼りあえる社会」への道筋を示す。「財政危機というおどし文句」「小さな政府が経済成長を生むという呪文」「社会的弱者は既得権者との怒り」「ムダ遣いへの犯人さがし、袋だたき政治」「所得制限が生む不公正さと社会の分断」を越えて、「みんなの必要をみんなで満たしあうという財政の保障原理に立つ」「財政とは、互酬や再分配を受け持つ社会の共同事業」「税という痛みの分かち合い」「国家は必要悪ではなく、必要である」とし、「税を財源として、すべての人びとに、教育、医療、介護、子育て、障がい者福祉といった『ベーシック・サービス』を提供する」ことを提案する。「くらしを保障しあう社会とは、じつは人間の尊厳を公正にする社会」「社会全体の幸福と個人の幸福の一致こそが、『頼り合う社会』のめざすゴール」という。「大きな政府」「消費税16%」は「財政」や「お金」の問題ではなく、「人間の尊厳」「"縮減の世紀"は人道の21世紀に」という哲学に立脚する。それゆえ「MMT」や「ベーシック・インカム」も切る。「BIではなく、ベーシック・サービス」だ。「経済への依存」「苦痛に満ちた労働」「かせぐ人とはたらく人(専業主婦も)の距離」「終わりの見えない就労」「奪われた自由」――そうした生きづらさに覆われた社会を変えよう、と主張している。
コロナについては語っていないが、「人間と自然」「人間とは何か」「人間の危機」「文明と人間の幸福」等について、根源から問いかける対談。重要で面白くて深い。「もとより虫屋とサル屋。人間を外から眺める視点が一致した」「暮らしを支えている自然を読み解く能力を鍛えるきわめて特殊な体験を積み重ねてきたことになる」「最近、人間のやっていることは、優劣をつけたがって競争ばかりしている。人と付き合えなくなって引きこもる。仲間と違うことを前提に共鳴しあうのが幸福だと思えるのに、争い合いながら均質化の道を歩んでいる。それは人類が歩んできた進化の道から逸脱し始めているのではないか」「人間以外の自然とも感動を分かち合う生き方を求めていけば、崩壊の危機にある地球も、ディストピアに陥りかけている人類も救うことができる」と山極氏はいう。
人間を外から眺める二人からすれば、どうも今の"人間は変だ""逸脱している"ということが見えている。「微生物も虫と人間も共鳴している。生命の世界は共鳴する世界だ」「私たちが失ったもの――道路の拡張、海岸線の破壊。サルもシカも身近に姿を現わす異変が急増している。東のサルと西のサルのように列島構造線で切れている。房総半島のサルは形態的にも遺伝的にも違う」「コミュニケーション――自然との会話ができなくなった(言葉を持つ以前の人間はもっと生物とコミュニケーションをしていた)」「情報化の起源――言葉、交換。言葉が『蓄積する文化』をつくった」「森の教室――危ない世界を身体で学ぶ、"論理vs感覚"の衝突、倫理というのは論理ではない」「生き物のかたち――オスは選ばれる性でメスは選ぶ性」「日本人の情緒――カルテのような情報化が進むが現物は違う、システムがあって現物がなくなる。理性的な社会をつくろうとして妙な社会ができちゃった」「微小な世界――ヒゲのなくなった人間、動物はいろんな音を聞いたり察知している」「価値観を変える――感じない人を大量生産している日本社会、受動的人間になっている。好奇心があってこそ人間の面白さ」・・・・・・。
そして「人間の身体が幸福に暮らせる環境というのは地球の環境だ。しかし人間は地球を使い捨てにしている」「こぼれ落ちていくものほど価値があり面白い(虫も)」「人間どうしのつながりには常に自然が介在していた(季節の移り変わりと生老病死、衣食住)」「人と人はヴァーチャルにはつながれない」「安全は科学技術でつくれるが、安心は人が与える。人への信頼、自然への信頼が大切」といい、自然と人間とも感動を分かち合う生き方を求めていこう、という。
今年1月、コロナ禍の直前に出されたスティグリッツの警世の書。「万人に仕事やチャンスを提供する力強い経済を回復する」「万人にまともな生活、中流階級の生活を提供する進歩的資本主義」を熱く訴える。現在の「一部の勢力の豊かさ」ではない。「万人の豊かさ」であり、「分断なき世界」。そのためには政治を変えなければならない。「政治と経済を再建する」「ますます必要とされる政府」を志向せよ、という。その背景には、スティグリッツの「クリントン政権に参加してから25年がたったいま、私はこんなことを考えている。どうしてこうなってしまったのか? これからどうなるのか? この進路を変えるにはどうすればいいのか?・・・・・・少なくともその原因の一端は経済の失敗にある。製造業中心の経済からサービス業中心の経済への移行がうまくいかなかった。金融産業を制御できなかった。グローバル化やその影響を適切に管理できなかった。そして何よりも、格差の拡大に対応できなかった。その結果アメリカは『1パーセントの、1パーセントによる、1パーセントのための経済や民主主義』へと変わりつつある」という憂いと格闘がある。
アメリカを始めとする先進国が陥っている病弊――。成長の鈍化、チャンスの減少、不安の高まり、格差の拡大、社会の分断・・・・・・。その脱出のために必要な肝心の政治が麻痺している。分断と差別、保護主義に走るトランプ政権には、"誤った減税政策""医療の弱体化"を含めてとりわけ厳しく否という。「トランポノミクスでは、富裕層への減税、金融の自由化、環境規制の撤廃が、移民排斥や保護貿易といった厳しく規制されたグローバル体制と、特異な形で結びついている」「格差が拡大した国では、経済が悪化する。成長を鈍化させる」「経済だけではなく、アメリカは人種、民族、性に基づく格差にも引き裂かれている。これらは容赦のない差別から生まれている」・・・・・・。「経済、医療、資産、チャンスの格差を見れば、"市場に任せる"というスローガンはもはや意味を成さない」というのだ。
「市場支配力は価格を上昇させ、賃金を低下させるなど、消費者や労働者を搾取する。イノベーションが市場支配力を生み出し、合併、買収などで支配力を増す。抑制が不可欠だ」「グローバル化によって国家は自らの首を絞めている。保護主義は問題の解決にならない。広い範囲で実り豊かな通商ができるグローバル化に修正する。これまでの強者に有利なものでない労働者や消費者、環境、経済を犠牲にしないルールだ」「市場の力だけでは対処できないことがある。環境保護、教育や研究やインフラへの投資、重大な社会的リスクに対する保険の提供などだ」「イノベーションは適切に管理されなければ、万人を豊かにするどころか、全く逆の効果をもたらす。最も重要なのは完全雇用の維持。金融政策でそれが実現できなければ、財政政策(減税や支出の増加、公共投資を増やす)を利用。どちらの政策も総需要を刺激し、完全雇用に戻る」「財政政策の効果が大きい分野が、インフラである。インフラへの投資はここ数年にわたり不足している」「新たなテクノロジーは、プライバシーやサイバーセキュリティの問題など、新たな課題も生み出す。市場に任せておけないことだけははっきりしている」・・・・・・。まさに一致して行動する共同行動が必要だ。競争が活発で、公正で活力のある経済実現のために、民主主義の再建、政府の役割が重要な手段となるというのだ。
20世紀の工業中心の経済から、21世紀の環境に配慮したサービスやイノベーション中心の経済へどう移行したらいいのか――。環境に優しい経済、高齢者・医療・介護など社会保障の向上、教育、住宅、インフラ、社会的公正を推進していく政策だ。成長と生産性の鈍化に対しては、「労働力の増加(女性・高齢者・移民)」「生産性の向上(市場支配力=独占は経済をゆがめ、インフラへの投資不足がある。学習する社会が大切。科学やテクノロジーに投資)」「社会的公正(機会均等、差別をなくす、世代間平等=政府赤字はまずい)」・・・・・・。そして「私が提案した政策を採用すれば、アメリカ国民全員が、選択、自己責任、自由、平等、道徳的価値観というアメリカの価値観と一致する望ましい生活を実現できる」「ぜひとも成し遂げる必要がある」と強く提言する。
データの争奪戦、データ・テクノロジーの活用いかんで企業も国も浮沈が決まる。GAFA対BATは今、米国の「FAANG+M(フェイスブック、アマゾン、アップル、ネットフリックス、グーグル、マイクロソフト)」と中国の「BATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)」の戦いとなっている。2020年代のテクノロジーの構図は「データの高速化・大容量を実現する5G、データの保存・処理能力を飛躍的に伸ばすクラウド、それらのデータを使って高度な判断を行うAI。この3つのメガテクノロジーを組み合わせることで形成される三角形=トライアングルの力が、次代の産業・社会・国家を大きく変える原動力となる」ということだ。その中心はAIであり、このトライアングルを基軸に、自動運転やスマートホーム、ヘルスケア、ロボティクスをはじめ全方位で新たな世界が開かれる。加えて4つめの軸としてブロックチェーンが登場し、データや情報がより効率化・民主化されていく。
「AIのインパクトは、良質のアルゴリズムとデータ量の掛け算で決まる。東京圏のデータ量は世界でも最高水準にある。本気でAIのアルゴリズム開発に取り組めば、世界のAIテクノロジーをリードする存在になり、日本のAIビジネスが再生する可能性は十二分にある」という。AIを中軸とし、5G・クラウド・ブロックチェーンの基礎的考え方と世界の現状、志向している激流の未来を解説する。そして、「貪欲に海外から学び、取り込み、行動しよう」と強く言う。