10cfa2b539b8478a43869b6834b2abd585bc674b.jpg宮部みゆきの新シリーズ始動! 「私がずっと書きたかった捕物帖です」という。主人公・北一(きたいち)は16歳。迷子だった北一を深川元町の岡っ引き、文庫屋の千吉親分が引き取って育ててくれた。ところが突然、千吉親分がふぐに中毒(あた)って死ぬ。時は江戸時代。小説の主役は武士ではない。江戸の町、長屋暮らし、商家の人々の日常に潜む事件や怪談話、呪いや噂、生老病死などが、知恵と情あふれる解決策で結着をみせる。

「ふぐと福笑い」――。福富屋の遠縁の材木屋に代々伝わっている「呪いの福笑い」。出して遊ぶと必ず祟るというが、知らずに子どもたちが遊んでしまう。どう収めるか。千吉親分に連れ添った「おかみさん(目が見えない)」の凄さ、賢さ、千里眼が発揮される。「双六神隠し」――。裏店暮らしの松吉、魚屋の倅の丸助、商家の跡目の仙太郎の3人は同じ手習所に通っていたが、松吉がある日"神隠し"にあう。3人が打った"閻魔の双六"の一芝居。北一の勘は冴えを見せる。「おかみさん」の鋭さや町の人々の情が滲み出る。

「だんまり用心棒」――。菓子屋「稲田屋」の道楽息子に、富勘が鮮やかな大芝居で鉄槌を下す。しかし、意趣返しなのか、その富勘が攫われた。釜焚きの喜多次の働きによって北一は富勘を助け出す。二人の「きたさん」の誕生、「きたきた捕物帖」が始動する。「冥土の花嫁」――。深川佐賀町の味噌問屋「いわい屋」の跡取り万太郎が嫁を迎えることになった。その祝言を挙げる日、突然、万太郎の先妻・菊と名乗る女が現われる。この大騙りを仕掛けてきた悪人たちをやっつける。

優しさと人情、それに「北一」の成長が加わる物語。


2433e6b737fb7f8838e8fe0a730de39795da6937.jpg「人生100年時代の『お金の長寿術』」が副題。「儲け」ようとする資産の運用術ではない。堅実に何が資産かを冷静に考え資産を長寿化させる「診断・把握・処方」の具体的な方法を示す。「健康寿命」と「資産寿命」が人生100年時代では大事なのだという。

フツーのサラリーマンは「延ばすも何も資産なんて持ってない」と思いがちだがそうではない。「最も大きな金融資産は『公的年金』」「老後生活のお金のやりくりの理想は、①日々の生活は公的年金で②趣味や楽しみのための費用は働いて得る収入やそれを貯めた資金で③退職金や自分の保有する金融資産はできるだけ取り崩さず将来に備える――の3つ」「投資で儲けようとしない。投資の前に①働いて収入を得る②年金の受け取り方を考える③支出をきちんと管理する――の3つが大切」「サラリーマンで資産家になった人に共通するのは、収入以上にお金を使わなかった人(支出の管理)」「過剰な保険とローンは人生の支出で最大のムダ」「支出管理で大事なのはサンカク(義理・見栄・恥の3つを欠くこと)」「年金は貯蓄ではなく保険だ(保険は不測に備えるもの――不測は①長生き②病気、ケガ③自分が死んだ時の家族)」「年金は破綻しない。積立金(H30年3月末、198兆円)やマクロ経済スライド、所得代替率の意味」「投資は楽をして儲かるわけではない」「投資で絶対正しいのは、①先のことは誰もわからない②世の中にうまい話はない――の2つ」「制度を活用した資産運用――iDeCo。つみたてNISA」・・・・・・。

「資産寿命を延ばすことは必ずしも投資することだけではない。投資に頼り過ぎるのは良くない」ということがよくわかる。資産運用ビジネスを仕事にしてきた大江さんのアドバイスは、冷静で常識的で賢くて手堅い。


41kAGO0ufXL__SX342_BO1,204,203,200_.jpg「お父さんは小さい頃、羊毛は雲みたいだと思った。・・・・・・そこに飛び込むと雲のなかにいるようで。うちの仕事は雲を紡ぐことだって思っていた」――。登校できなくなった高校生の山崎美緒。母・真紀も父・広志も悩みをかかえ、家族全体が心が通じ合わず、崩れかけていた。思い余って美緒は盛岡の祖父・紘治郎の所へ駆け込む。大正期の民藝運動の流れを汲み、ホームスパンを織っている山崎工藝社。工房に触れるなかで、美緒は自分を取り戻し、訪ねてきた父と久し振りに父娘の会話ができたのだ。

しかし、母娘の間はうまくいかない。美緒も自分自身に"信"がたち上がってこない。仕事でも追い詰められた母・真紀は「涙を売りにして。どうしてあなたはいつも女を売りにするの」と罵倒してしまう。分かりあえない母と娘、それぞれの思いが業のようにスレ違う。父・広志も会社が売却されようとし、「俺も本当に疲れた」と家庭崩壊の危機を迎える。

祖父・紘治郎もかつて同じ道に進んだ妻・香代と別れた。その妻が死に、苦悩を心にため込み、乗り越えてきた。この「おじいちゃん」の語る言葉は明らかに"境地"に達した者の言だ。壊れかけた家族が美緒を中心に、ホームスパンの糸が心の糸となって紡がれていく。


じんかん.jpg松永弾正久秀(1508年~1577年)、大和国の戦国大名――。「将軍・足利義輝殺害」「仕えた主家殺し」「奈良東大寺の大仏殿焼き払い」という人がなせぬ大悪を三つもやってのけたといわれる戦国の梟雄。信長に二度従い、二度謀反した稀代の極悪人ともいわれる男だ。その松永弾正久秀とは何者だったのか。

天正5年(1577年)、天下統一に突き進む信長の下に「松永弾正謀叛」の報せが入る。二度目の謀叛という信じ難い報せに、信長は少しも慌てず怒りも見せず、笑みまで浮かべたという。そして信長は小姓・狩野又九郎に、久秀本人から聞いた九兵衛と呼ばれた幼き頃よりの壮絶な人生を語り始めたのだ。

この世に放り出された孤児。幼き子ども同士の結合。主君・三好元長との出会い。そこで聞いた高邁な志「あるべき者の手に政を戻し、二度と修羅が現われぬ世を創るのだ。民が政治を執る」「堺の自治。人間の国を取り戻す」「戦が無くなり、武士を悉く消し去る」――。噂話の軽薄さで動かされていく世間。神や仏のエセ権威に逃げ込む人間の浅はかさ。「永禄の変の将軍義輝殺害の後に信長がもらった弾正からの初の書状――。信長はいう『思わず笑ってしまった。嬉しくてな。』『世に神はいない。当然仏もいない。それらは人が己の弱さを隠すため生み出したまやかしである。神仏がいないのに、どうして人に過ぎぬ将軍如きに阿らねばならない。将軍の権威なるものもまた、人が生み出した紛い物だと存ずる・・・・・・』という書状だった」・・・・・・。

悪名の噂が支配する理不尽な世間。それが人と人とが織りなす「人間(じんかん)」のこの世だ。久秀は弁明する道も迎合する道もとらなかった。"夢を追う道""己に正直である道"を選んだのだ。「人は己の一生に正直になればよい」「俺はつくづく人の縁に恵まれた男よ」と思ったのだ。自分を悪者にしても、恩を受けた三好家を守り、助けてくれた良縁の人々を助け、民を思い民を信じ、その正義を貫こうと思ったのだ。戦国の確執の二次元平面ではなく、時代を超えた異次元たる出世間の境地から戦国の黎明期を疾駆した。信長との共鳴盤が鳴らないわけがない。そんな松永弾正久秀が活写される。面白い。


51HGa8doBGL__SX304_BO1,204,203,200_.jpg小さな政府、規制緩和、市場原理の活用、官から民・・・・・・。フリードマン、レーガン、サッチャーから小泉政権・・・・・・。世界を席巻した新自由主義とはいったい何か、なぜ影響力をもったかを、この40年の歴史的事実を検証し、剔抉する。「経済的に自由になれば、必ず政治や市民の自由が生み出されるとまではフリードマンはいっていない」とか、「新自由主義とグローバリゼーションを僕たちは同じ意味のように使いがちだが、両者は同じではなく、むしろ所得の格差を拡大させた犯人は後者である可能性もある」など、分析はきわめて冷静で詳細。かつまた、80年代のレーガンの米国、サッチャーの英国の事情、日米の激しい貿易摩擦、米国からの厳しい内需拡大要求、行革や財政健全化への政官財と民意、ITの急進展・・・・・・。世界の全方位の動向のなかで、まとめてみると新自由主義と呼ばれるものの潮流が巻き起こっていたことが描き出される。新自由主義というイデオロギーが歴史を動かし、世界を染め上げたというのではないことがわかる。「レッテル貼りとしての新自由主義」「新自由主義へ舵を切れ!」「アメリカの圧力、日本の思惑」「新自由主義の何が問題なのか?」「『経済』を誤解した新自由主義の人びと」の各章で「新自由主義の抱え込んだ矛盾、再考」への思考が語られ、きわめて明解。しかも眼は、だからこそ「経済・財政・社会をどうするか」に注がれる。

「経済をつくりかえるためのポイントは、人びとが生きる、くらすための共通のニーズを満たしあう、『人間の顔をした財政改革』を『欲望の経済』に対峙させることである」と、「頼りあえる社会」への道筋を示す。「財政危機というおどし文句」「小さな政府が経済成長を生むという呪文」「社会的弱者は既得権者との怒り」「ムダ遣いへの犯人さがし、袋だたき政治」「所得制限が生む不公正さと社会の分断」を越えて、「みんなの必要をみんなで満たしあうという財政の保障原理に立つ」「財政とは、互酬や再分配を受け持つ社会の共同事業」「税という痛みの分かち合い」「国家は必要悪ではなく、必要である」とし、「税を財源として、すべての人びとに、教育、医療、介護、子育て、障がい者福祉といった『ベーシック・サービス』を提供する」ことを提案する。「くらしを保障しあう社会とは、じつは人間の尊厳を公正にする社会」「社会全体の幸福と個人の幸福の一致こそが、『頼り合う社会』のめざすゴール」という。「大きな政府」「消費税16%」は「財政」や「お金」の問題ではなく、「人間の尊厳」「"縮減の世紀"は人道の21世紀に」という哲学に立脚する。それゆえ「MMT」や「ベーシック・インカム」も切る。「BIではなく、ベーシック・サービス」だ。「経済への依存」「苦痛に満ちた労働」「かせぐ人とはたらく人(専業主婦も)の距離」「終わりの見えない就労」「奪われた自由」――そうした生きづらさに覆われた社会を変えよう、と主張している。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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