綴る女 評伝・宮尾登美子  林真理子著.jpg「櫂」「一絃の琴」「序の舞」「陽暉楼」「寒椿」「鬼龍院花子の生涯」「天璋院篤姫」――。養母、女衒という家業と父、言葉にもしたくない満州、結婚、借金を抱えての上京・・・・・・。出世作といえる「櫂」で太宰賞を受けたのは47歳、しかし一気にベストセラーを次々に発表、直木賞も受賞する。しかも多くが映画化され大ブレークした宮尾登美子。謎も多かった人間宮尾を、親交の深かった林真理子さんが、関係者を訪ねて得た証言を加えて、くっきりと描き上げる。

「あなたはあんなに宮尾さんに可愛がってもらったのに、悪口を書いているって古い編集者たちが怒っていると聞いたわよ」「女の作家で、あの人と仲のいい人はいなかったと思うわ」と瀬戸内寂聴に言われたという。「あの人は少し被害妄想の気がありまして、なんでも『女流作家はみんな自分をいじめている』というようなことばかり言います(笑)」と杉本苑子は言う。「宮尾は大層気を遣っていたのだが、それがどうしても裏目に出てしまったようなのである」「宮尾は孤独であったろう。・・・・・・宮尾を囲む『おとみの会』など、親しい男性編集者や仕事相手に共通していることがある。それは高学歴で端整な紳士」と林さんはいう。宮尾の愚直なまでの作家の道への真っすぐさ、宮尾の侠気(おとこぎ)、少女のような天真爛漫さと父・猛吾(小説では岩伍)の生まれ変わりのような激しさ・強さの共存、食べるためのふてぶてしさと不思議なほどの透明感と明るさ・・・・・・。懸命に生き、綴り続けた宮尾登美子の波瀾の生涯が、不器用な人間関係や時には場違いな発言などからきわめて自然に浮き彫りにされる。林真理子さんの温かな眼差しが伝わってくるいい評伝。


小長啓一の「フロンティアに挑戦」.jpg通商産業省(現 経済産業省)で、大臣官房長、産業政策局長、事務次官を歴任し、アラビア石油・会長を務め、現在も活躍する小長啓一氏。「変化の時代をどう生き抜くか」「新しい時代の新しい産業政策とは何か」を、小長氏の時代の変化に挑み続けた人生・生き方を通して語る。入省が1953年、次官を退任するのが1986年、アラビア石油時代には湾岸戦争が勃発、身の危険があるなか、ペルシャ湾カフジ油田に赴き、サウジ政府とも交渉、現地で働く社員たちを無事帰還させた。その人格を「微風和暖」と村田氏はいうが、時代はまさに「疾風怒濤」の激動であった。

1960年代の高度成長期、70年代のニクソン・ショックや中東戦争・石油ショック、そして80年代へなだれ込む日米貿易摩擦、プラザ合意。日本の貿易・産業の攻防は日本そのものの興亡であった。昔話ではない。その激動にリーダーたちはどう挑んだかという姿勢が活写され、現在の我々に問いかけ、共鳴盤を激しく打つ。田中角栄通産大臣、総理大臣の秘書官。そして共戦ともいえる官僚、経済人、政治家との真摯な付き合いは生々しい。

「リーダーには人間力、構想力、決断力、実行力などの資質が求められる。田中はこうしたリーダーの資質を十二分に発揮していった」「田中は努力、努力、努力の人、気配りの人でしたね」「与えられた職務に誠心誠意取り組んでもらいたい。至誠天に通じる(玉置事務次官の訓示)」「シンプルなことが一番美しい。一番難しい。・・・・・・感動というものはお前自身のなかにあるものではない。その日、その時、お前と客席との間に起こったものを感動という(森繁久彌との対談)、挑戦し続ける人の姿は感動的で美しい」「イノベーション(技術革新)が新しい需要を生み出す」「内外の知恵を活用して日本の新しい針路を」「通産官僚にとって欠かせない資質は、企画構想力、交渉力、実行力の三つだ」「徳川夢声に『中小商工業問題といわれているが、口がもつれて言えない』といわれて豊田次官が『中小企業』にした」「小長の『梅型人生』のすすめ」「76歳で弁護士登録」・・・・・・。まさに「フロンティアに挑戦」の人生。


512XDHhSEmL__SX348_BO1,204,203,200_.jpg少年たちを主人公にした短編集。「逆ソクラテス」「スロウではない」「非オプティマス」「アンスポーツマンライク」「逆ワシントン」の5編。スポーツ、いじめ、家庭に秘められた親と子の情愛、コーチや教師や親の至高の一言。いずれも印象的な逆転のドラマが描かれる。人間の心理の本質を突いているだけに実に面白い。爽やかでスカッとする。心に沁み入る。

この社会、とくに親や教師や特別に何でもできる"優秀"といわれる傲慢な生徒に対して、普通の少年仲間は弱者だ。「決めつけ」「先入観」「レッテル貼り」で身動きがとれず、固定化され、少年たちに重くのしかかる。いつも「だめな奴」「褒められず」に委縮する。ソクラテスは自分は何も知らないことを知っているという「無知の知」だが、少年たちに何でも知っているという「逆ソクラテス」の教師たちがのしかかる。5つの短編はそれを引っくり返す逆転劇が、それもじつに人間心理を見透かし、逆手をとっての知恵の戦いによって演じられるのだ。

「敵は、先入観だ。先生の先入観を崩してやろうよ」「未来のおまえは笑っている。それは間違いない」「潤、大事なことを忘れている。親だって人間だ」「先生はみんなに、相手を見て態度を変えるような人になってほしくない。イメージで決めつけていると痛い目に遭う」「授業を邪魔するのが好きな奴、迷惑かけても平気な奴、そのイメージは定着しちゃうよ。口には出さなくても心の中では可哀想にとみんな思っているかもしれない」「バスケの世界では、残り一分を何というか知っているか? 永遠だよ、永遠」「わたしがいじめられたら、いじめてきた相手のことは絶対に忘れないからね・・・・・・自分が誰かをいじめたらほかのみんなが覚えているぞ」・・・・・・。とてもいい小説。


41ZeODWsagL__SX305_BO1,204,203,200_.jpg「大人の男」がぐいぐいと、小気味よく、真っすぐに迫ってくる。「本当の自分と出会うことを、幸せと呼ぶ」――。自分と出会い、「ひとりで生きる」ときに、「人は一人では生きていけない。"依るべきもの"が見えてくる」ということだろう。

「出会い」がとても鮮烈で持続して深い。「この社会で生きて行くには、他人の十倍、いや百倍働け! 35歳までは土、日曜、祝日はないと思って働いて、ようやく人と並ぶんだぞ。30人足らずの会社の誰よりも働いていた。お洒落で、海が好きで、出張に同行すると駅弁を美味しそうに食べていた(〈もしあの出逢いがなかったら〉 島崎保彦さん)」「威勢を張るようなところが微塵もなく、それでいて、仕事にかかると見事なまでに演出家、脚本家が全力でかかるようになってしまう能力を持っていた。・・・・・・三浦寛二は最後まで、"男の中の男だった"からだ(〈言いだせなかった〉)」「本田(靖春)ほど編集者に愛された物書きは珍しい。・・・・・・若者よ。『拗ね者たらん』を読みなさい。そうすれば、君も少し大人の男に近づくだろう」・・・・・・。そして飼っている犬にも、常宿のホテルの部屋に現れる小さなクモにも、観察眼に情がある。

「大人の男」「大人の流儀」シリーズの第9弾。


刀と傘.jpg幕末から明治初頭の激動の日本。政治の謀略、激震の京都を背景にして起きる殺害事件の謎に挑む時代本格ミステリー短編集。佐賀、そして近代日本の司法制度の礎を築く江藤新平と尾張藩士であった鹿野師光が、それぞれの個性を生かして事件を解決する。いずれも動乱の時代状況を描くことと、ミステリー事件の謎解きが絶妙に組み合わされ面白い。

「佐賀から来た男」――攘夷思想が蔓延する京都で、開国交易論を声高に主張し薩長から睨まれ、越前藩主で賢候として名高い・松平春嶽の相談役を務めた五丁森了介が怪死する。大事な書簡を盗まれた責任を取って、五丁森は腹を切ったのだろうか。「弾正台切腹事件」――弾正台京都支店で大巡察・渋川広元が腹を切り喉を突いて密室で死亡する。自殺か他殺か。明治3年、横井小楠と大村益次郎暗殺に関する資料を探していた江藤新平の打った手は・・・・・・。そして土佐の脱藩浪士・大曽根一衛の心中に渦巻く「攘夷を旗印に維新回天を誓った者が、天下を獲るやその旗印を捨て欧米列強に媚び諂う。それが許されてよいのか」という鬱憤。「監獄舎の殺人」――明治5年、京都の府立監獄舎に収監されていた国家転覆を企てた平針六五が、死刑執行の日に毒殺される。なぜ・・・・・・。

「桜」――明治6年、京都室町下ルの妾宅で、市政局次官・五百木辺典膳と女中が刺殺され、妾がその賊を殺したという事件の真実は・・・・・・。一枚岩だった江藤と師光の間に亀裂が生じていく。「そして、佐賀の乱」――明治6年秋、征韓派と内治派の争いのなか西郷や江藤は政府を去る。佐賀の暴発の恐れがあるなか、江藤を佐賀に行かせず京都に留め置こうと考えた者がいた。明治7年2月、佐賀の乱、3月に土佐で江藤新平は捕縛される。

時代のなかで引き起こされた5つの事件。江藤と師光は真相を究明するが、事件関係者にはいずれも宿業のような物悲しさがある。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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