20110614-BOOK.png  現在に生きる不登校の小学生・村田理沙と昭和19年の戦時下に生きる中森雪子が、時代を超えてケイタイでつながる。不思議な2人の心温かな友情。わくわくするような奇想天外の夢と現実の世界を、林真理子が描いた児童文学。

  夢がある。希望がある。人との心温かなつながりがある――それは人間にとって最も大切なもの。とくに子どもに・・・・・・。媒介するのはケイタイと秘密のスイーツ。


20110610-book.png  本の表題自体がこの書の深さと丹念さを表わしている。「過ぎし時代の思い出」ではない。「過ぎ」ではなくて「逝きし」であり、「時代」ではなくて「生活や習慣や思考を含む世の中」であり、「思い出」ではなく、「滅びた、とはいえ残っている面影」だ。

「あ の素晴らしい昔の日本は、日本人はどこにいった」と最初からイデオロギッシュに決めつけた書ではない。文明の衝突のなかで外国の人はどう感じたのか。だか らこそ浮き彫りにされる日本と日本人について、渡辺さんは丹念さと謙虚さ、そして冷静さをもって淡々と述べている。それゆえに深さと迫力を感じた。
「幕 末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それは成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、 自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を讃嘆へと誘わずにはいない文明であった。しかしそれは滅びなければならぬ文明で あった」
すでに現世の物質的目的、実利主義的産業社会に突入していた欧米人が、近代以前の、しかも完成された文明をもつ日本をどう見たか。「陽気 な人びと」「簡素とゆたかさ」「親和と礼節」「雑多と充溢」「勤勉と忍耐と安易な生活」「専制主義と身分と自由」「混浴・行水、裸体と性」「子どもの楽 園」「女と家」「風景とコスモス(私の地元、王子の風景が出てくる)」「生類とコスモス」「心の垣根(休息と安寧と平和)」など、すさまじいほどの文献か ら、日本と日本人を根底から問いかけている。ただし、イデオロギーでもないし、復古でもない。渡辺さん自ら、関心は自分の「祖国」を誇ることにはないと 言っているが、だからこそ日本と日本人が照らし出されている。


20110607-book.png  災害時の人間心理に焦点をあて、避難行動の重要性・仕組み・影響を与えるヒューマン・ファクターなどを示す。そして、災害の衝撃から回復までを実例をあげ て分析し、生きのびるための条件を提示してくれる。今回の東日本大震災においても災害心理学・広瀬教授のテレビ等を通しての解説はきわめて明解。現場の実 情を踏まえてすごく納得した。

「予期せぬ異常や危険にも心は鈍感にできており(正常性バイアス)、慣性の法則に支配される」「災害や火事に巻きこ まれても、多くの人びとはかなり理性的に行動し、パニックにならない」「PTSD(心理外傷性ストレス障害)が長期にわたって被災者を苦しめる」「災害直 後には、生きのびた強烈な喜びがあり、運命共同体意識によって保持される短期間の規範がある(1?2週間)が、そのあとは日常の社会規範(弱肉強食や利己 などを含む)がとってかわる」「費用便益の考えでは防災はできない」「警報の信頼性は大切。しかし防災担当者の心すべき鉄則は、一般市民に恣意的に隠すこ となく正直であれということ」「パニック発生の頻度は多くない。むしろ"パニック神話"にとらわれるな」――。
「どんな人が生きのびるか」――洞 爺丸海難事故の押沢・渕上両先生や、被爆者の北山上葉さんの母としての生きる執念は、感動的だ。また大災害は行政だけでないマンパワー、ボランティアや NPOなしには乗り越えられないこと、災害復興といっても、災害は被災社会の効率化をもたらし、元には戻らないこと・・・・・・。示唆に富む書。


20110603-book.png 「私はよく、理屈は大嫌いだと言って、笑われることがある。......あるいは、この件についての御意見を、と訊かれて、たいていは言葉につまる。意 見というものを、もったことがないのである」――。理屈を言い、意見をもっていると思われた池田さんは、たしかにそうだったろう。哲学とは全てをそぎ落と した境地から始まると思う。

 東日本大震災は、生死の世界に人々を引き込んだ。「畏怖することを忘れた心を目覚ますように、異界の者たちは、折り にふれわれわれを襲うのではなかろうか」「能率的に考えることが、合理的に考えることだと思い違いをしているように思われる。......物を考えると は、物を掴んだら離さぬということだ」「言葉の意味、すなわちその内的実質というものについて、おそろしく鈍感になっている時代だと思う」「生きることは 考えること。......考えるとは、自分がまさにそれを生きているところの人為でもあり自然でもあるこの実在、この不可知の存在の何であるかを考えるこ と以外ないのだから......」「現在という価値に生きることをせず、それを解釈することに我を忘れている評論家的心情」――。
 小林秀雄と池田さんが一体となって如実知見、諸法実相の世界に迫っている。亡くなる3年前、2004年の著作。


20110531-book.png  岩見さんが、2009年から2011年2月まで、「毎日新聞(近聞遠見)」「サンデー毎日(サンデー時評)」「選択」などに書いたものをまとめている。 3・11以降は、まさに非常事態だが、それ以前もじつは深刻な非常事態の日本――。「国民も政治家も漠然と不安を覚えながら確たる非常時意識がない。じわ じわと忍び寄る、始末の悪い非常時である」、そしてそこには、「政治の鈍感と怠慢がある」。さらに政治家の「言葉の貧しさ、軽さや大安売り」が、政治の軽 さと政治不信を増幅させる。

  その時々の政治、政治家を、鋭く、幅広い視点から、豊富な知識と経験を駆使して率直に語るが、いつも思うのは岩見さんの文章にあふれ出る憂国の感情と人に対するあたたかさだ。
  3・11東日本大震災以前の文章だが、「いま政治に求められているのは、非常事態の本質を過不足なく厳密に国民に伝え、貧弱な危機意識と過剰な危機意識の両方を防ぐことだ」――。全くそう思う。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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