美しい日本の心.jpg 王敏さんの「<意>の文化と<情の文化>」「ほんとうは日本に憧れる中国人――『反日感情』の深層分析」など、日中の比較文化研究はきわめて良い。日中とも人々には同文同種の思い込みがある。姿も容貌も似ているうえ、漢字や儒教の教養も互いにあると思い込む。2000年の交流の歴史もあるが、王敏さんは「文化の相違に関する鈍感」「それがズレとなる」とし、「異文化として認め合う基本の欠落を埋めよ」という。

 日本は1年 ぶりで会った時でも、お世話になったことを感謝する言葉を添えるのが挨拶の基本だが、中国の感謝はその時、その場で行うものであり、後日会った時は謝意は 言わない。繰り返しての感謝は水臭い、親しいからこそ再三の感謝は避ける。しかし、お詫びの言葉は繰り返すことが多い。「前事不忘」の意味はそうしたこと だと、指摘する。

 「美 の感性優先の思考」「原理原則のない感性の世界」「無思想、無哲学の国」――そうした真似る日本。「鉄面皮の中国と変節する日本」「西洋化へ雪崩れる、変 わり身のすばやい日本、西洋化を恥とし、敵視した中国」「阿倍仲麻呂に見る望郷・ふるさと(景色・山河)、ふるさとに執着しない中国人(中国人がふるさと で想起するのは人、家族)」「愛国心の差異」――など、丹念に描いている。


20110809-book.png 戦後の混乱期に「野球」の夢を追いかけた人たちの物語。日本リーグを立ち上げ、「日本ワールドシリーズ」の開催を考えた藤倉、そしてかつての下手投げ名 投手・矢尾、米国のニグロリーグの大スター・ギブソンとペイジ。日米の戦争のなかで、野球があるゆえの人種を越えた友情。黒人として初の大リーガー、 ジャッキー・ロビンソンのドジャースでのデビュー。

 スポーツにはこうした友情がある。感動の実録小説。


20110805-book.png 辛亥革命(1911年)から100年。「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」――梅屋庄吉が孫文を生涯、支援した資金は、今でいえばなんと1兆円 とも2兆円とも。辛亥革命後のクーデターで失脚して亡命した孫文と宋慶齢の結婚式も、新宿区百人町の梅屋庄吉の広大な邸宅で行われる。

  日中というより世界をまたにかけ、アジアの独立富強に動いた梅屋。孫文、宮崎滔天、頭山満、萱野長知、そして犬養毅・・・・・・人脈もケタはずれ。財力が あるというだけではない。困っている人を放っておけない。人助けの義侠心。それもケタはずれだ。さらに孫文が日本で行った遺言とも言うべき最後の有名な演 説――。「日本民族は、すでに一面欧米の覇道文化を取り入れると共に、他面、アジアの王道文化の本質を持っている。今後日本が世界の文化に対し、西洋覇道 の犬となるか、あるいは、東洋王道の干城となるか、それは日本国民の慎重に考慮すべきことである」。孫文の大アジア主義、民族・民権・民生の三民主 義・・・・・・。「梅屋庄吉は孫文に惚れ込んでいた」といわれるが、そうではない。アジアへの、弱者への思いあふるるなか、一緒に革命をやり、プロデュー スしたのではないかと、筆者小坂文乃さんは書いている。小坂さんは梅屋庄吉の曾孫。あの松本楼を営む小坂家。縁は今も続いている。日中激動の1900年を 前後する約50年間の歴史は生々しい。


20110802-book.png  時は1500年台前半。北条氏の風摩小太郎、扇谷上杉氏の曽我冬之助。武田氏の山本勘助――この三人が関東の支配権をめぐって鬼神のごとき死闘を繰り広げ るが、本書はその助走。主人公は早雲庵宗瑞(後の北条早雲)が見出した逸材・小太郎。「人材は見つけるもの」といわれるが、息子・氏綱の子である千代丸の 代になっての軍配者として小太郎を育てる。20年、30年後のことを考えてだ。

  軍配者とは単なる軍師ではない。占術と兵法の二つの能力を併せもつ「戦の全般に関して君主に助言する専門家」だ。当時の戦争がいかなるものであるかがよく わかる。関東の攻防と背景が浮き彫りにされるが、早雲を「稀代の英雄と世間は呼ぶが、英雄というより仁者と呼ぶのがふさわしい」と描く。戦いではなく、民 を農民を安らかにしてこそ支持が得られることを早雲は示す。三人の好敵手は、学徒3000の最高級の学府・足利学校で学ぶ。面白い。


20110729-book.png  武田さんの『「核」論』の増補。本格的。私自身の歴史を思いつつ(ゴジラや鉄腕アトム、万博も)、昭和40年代後半にたずさわった「原子力船むつ」や「低 線量被ばく」問題、お会いした武谷三男さん、広瀬隆さん、高木仁三郎さんなどを思い出しつつ、また、衆院憲法調査会などでの憲法論争を考えつつ読んだ。原 爆被害にあった日本、米国との強調で来た日本、核エネルギーを科学の力で開放し制御する原発という技術を手に入れた日本――。原発「ハンタイ」「スイシ ン」の対立のなか、議論は深まったか、成果をみたか。原子力は科学や経済を超えたまさに戦後日本そのものの濁流のなかに位置してきた。武田さんは立地にし てもJCO事故などにしても、常に「弱者」にシワ寄せされた現実を浮き彫りにし、弱者を虐げる社会か否かを問え、という。当然押しつけてくる「スイシン」 に批判の目が注がれるが、「ハンタイ」運動家にも「科学的な思考を手放すリリースポイントが早すぎる」など厳しい。それは寺田寅彦の「ものを怖がらな過ぎ たり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることは、なかなかむつかしい」を真面目に進もうとする、武田さんの誠実さと人間へのやさしさから来 るものだと思う

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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