5つの短編。「城を噛ませた男」とは、真田昌幸が策略をめぐらし、秀吉の力によって北条家を滅ぼして自ら生き抜く話。敵も味方も踏み石として出頭する策略家。
「見えすぎた物見」は、「佐野家は先を見通すことによって生き残った」ということと、関東一の物見の五助と清吉。頭を下げ続け、見通すことと頭を下げ続けて生き抜く佐野氏の筆頭家老の天徳寺宝衍。
「鯨のくる域」は痛快。弱小・伊豆の雲見の丹波守政信が押し寄せる西の大軍を鯨取りらしくけちらす話。
「椿の咲く寺」は徳川家と北条家の天正壬午の乱。父の丹波、兄の善十郎、初音(妙慧尼)が家康を討とうとする話。終わりは大ドンデン返し。
「江雪左文字」は小早川秀秋の寝返りを家康に託された江雪の話だ。家康と小早川秀秋の、狼狽ぶりが出ている。
いずれも1550年 - 1600年の関ヶ原まで。弱小であるがゆえに智慧と胆力、そして策略、死をかけて闘わざるを得なかった者たちの生き様が活写されている。
昭和の戦争、「死刑」と「無期」の心理研究、死生観を変えた正田昭との出会いと本心。遠藤周作氏からの批判、突然の妻の死、阪神大震災の救援活動、東日本大震災と原発・・・・・・。医師として、作家として、信仰者として、科学と宗教と死を思索し続けた加賀乙彦氏がじつに静かに率直に語る。
「科学を追及するほど謙虚な気持ちが生まれる」
「科学は発展する。ならば宗教も発展していかねばならい・・・・・。新しい道徳のようなもの、哲学のようなもの」
「科学とは別の、科学を支える叡智があると思う」
「科学を突き詰めていくと無限に突き当たり、そこに神秘が顕れる。有限を支える無限。科学を支える叡智」
「祈りとは、無限なるもの、人知の及ばぬ、はかり知れない、不思議なもの、(無限の暗黒)との接触の場を作っていくものなのでしょう」
「今の世の中では、死と離れ、物の豊富さを幸福と思うような傾向(長生きと物質的幸福)があらわになってきた」
「民衆の底辺へ、身一つで入っていって、その人たちのために働く」
仏法の哲学と実践、宇宙と人生、師弟を考える。
リーマン・ショックやギリシャ・ショックはもとよりのこと、21世紀に入ってからの世界経済、日本市場を巡る資金フロー、欧米先進諸国の「日本化」の実際(狭義と広義)、通貨切り下げ競争(近隣窮乏化政策)、投資資金の消去法的な「避難港」としての日本――そうしたことを日本に対する市場評価とその"揺らぎ"などをズバッと、しかも動体視力をもって山川さんは浮き彫りにしてくれる。
「低テイルリスク」と認識されていた日本が、デフレ、財政悪化、人口動態、環境、そして震災後は原発・エネルギーなどの構造的問題の抜本的対策を怠り、ただ対応だけ、大衆迎合の政治しか行ってこなかった(今の民主党政権はよりひどい)ことを指摘する。市場には日本に対する焦燥感がある。しかしそれは万策尽きたのではなく、処方箋が残されているにもかかわらず動かないことに対してである。
そして、名目3%成長をめざして
(1)「輸出主導型」経済の確立(円安、TPP、法人税下げ)
(2)世代間再配分による究極の脱デフレ策(無秩序な社会保障費の増大抑制、消費税、金融資産の若中年層への移転のための住宅や贈与税の時限凍結)
(3)「ポンジ・スキーム」からの脱却(脱デフレにつながる税制、年金改革の断行とそれにつながる成長戦略)
(4)「反(大)企業・反富裕層・反市場」からの転換(感情論脱却と電力の確保と規制緩和)
(5)人口動態の呪縛の克服(移民受け入れ基準の緩和やM字カーブの修正)
――などを提起する。
学ぶところきわめて大。熱のこもった書。
