「石油に代わる新エネルギー資源」と副題にあるが、石油文明に変わるのは自然エネルギー・水素社会か、という問いを発している。突破する解は「マグネシウ
ム循環社会」――。太陽光発電などの自然エネルギーだけでは石油の代替にならない。水素は運搬や貯蔵が難しい。「太陽熱を利用した淡水化装置を使って、海
水中の塩化マグネシウムを取り出す」「太陽光からレーザーをつくる」「太陽光励起レーザーで酸化マグネシウム(熱を加えて塩化マグネシウムを酸化マグネシ
ウムにしておく)を、金属マグネシウムに製錬する」「それを交通機関や発電所などの燃料として利用する」「利用したあとに残った酸化マグネシウムを再び金
属マグネシウムに製錬する」――この循環の研究が進められている。極力やさしく書かれている。挑戦しないと何も生まれない。緊急事態だ。
阪神淡路大震災の1995年1月17日から50日間の記録、そして、今回の東日本大震災に寄せた「東日本大災害のテレビをみつつ」。神戸市在住の精神化医
の中井久夫さんが、あの阪神淡路大震災で被災者、医師、ナース、医療ボランティアの人々とともに格闘した記録だが、「何を見」「どう動き」「何を感じ」た
か、観察は現実感覚・責任感覚をともない深く、なまなましい。「内部からみた外部と外部からみた内部との乖離」「1日1日、時間を経るごとに変化していく
重要問題」「戦闘消耗」「災後の共同体感情とその軟着陸」――今、東日本大震災はその「被災者(地)の心」が緊要な課題となっている。必読の書。
2010年4月、北アメリカのメキシコ湾で、国際石油資本のBPの石油掘削施設が破砕され、大量の原油が流出した。これは石油の時代の終わりの始まり、時代を画する事件ではないか――こういうことから二人の対談が始まる。
「迷った時こそ、大きな絵を描け」と田原さんは結んでいる。迷った時は原点に戻れ。教育とは何であるか、人を育てるとはどうすればよいのか。何が今問題なのか。そのなかでデジタル教科書を考えよといっているわけだ。
デジタル教科書時代は、教師は必要か、何であるのか、学校とは、教育とはを問いかける。そして本書では、その背景として「詰め込み」から「ゆとり」へ、そしてその見直し、そうした教育の迷走と21世紀型の教育を模索する歴史を追っている。
小川さんの「日本の『戦争力』」「日本の『戦争力』vs.北朝鮮、中国」は良書だったが、本書は続編。北朝鮮の延坪島砲撃事件、ミサイル発射、その核や
軍事力など本年初頭の時点での解説。中国については尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、尖閣・北方領土・竹島について、中国の軍事力。日米同盟の意義などにつ
いてズバッと回答をしている。もっと事実を冷静に見定めよ。わからないまま思い込むな、どうすればよいかは見えているではないか――小川さんの静かな提言
が伝わってくる。