「その不易なるゆえんを尋ねて」と副題にある。昭和の時代はまさに激動・激変。そのなかで一貫して師父・指南役と仰がれ続けた安岡正篤先生とその教学。精神的主柱ともなっていたその思索と思想を荒井桂氏が全的に述べる。「よくぞ」というような大変な作業だったと思える。感謝。
「古人の跡をもとめず、古人のもとめたる所を求めよ」(南山大師の言、芭蕉が弟子に伝えたという)「どうも読めば読むほど、探れば探る程、自分の考えて居ること、欲すること、何もかも皆万事に古人が道破して居る。可笑しくもあり、癪でもあり、有難くもある。先生畏るべく、後世愛すべし」――安岡先生の息づかいが伝わる思いだ。
帝王学・宰相学(帝範・臣軌の古典を重視)、東洋アフォリズム(筒明が蔵する無限の味わいを尊ぶ)、和魂漢才(外来文化の受容と変容の伝統に立脚)――それぞれの系譜を荒井氏は語る。そして、道元、山鹿素行、熊澤蕃山、佐藤一齋を淵源として示す。勿論、「史記」から「貞観政要」「宋名臣言行録」「菜根譚」・・・・・・。東洋思想の集大成、人間学の結実ではあるが、本書を読むと日本とは、日本人とはと問いかけた時、誇りが浮かびあがってくる。
TPPと米国の戦略。それに比して戦略性なき日本。
グローバリゼーションとは何か。アメリカナイゼーションとは何か。グローバルスタンダードとは何か。日本型慣行、日本型経営とは何か。日本が守るべき文化とは、システムとは何か。何を守り、何を世界に、米国に合わせるのか。
この20年来――。85年のプラザ合意からBIS規制、労働法制の規制緩和、会計基準、食品の安全性、医療制度、公共事業(脆弱国土を誰がどう守るか)。1つ1つ検証してみたらどうかとの関岡さんの問いかけだ。
米国は、日本を開放させ、企業も農地も労働も「投資」「買収」の対象とし、従業員のリストラ、短期の株価上昇を担う。グローバリゼーションの真実、そして各国の文化・伝統・国土・人間観・安全観――違いがありながらグローバル展開する世界。
TPP論議の中身を剔抉する問題提起の書。

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ポプラ社が出版した百年文庫。全部で100冊。この10月に100巻完結。全てに名短編が3つずつ並ぶ。「顔」では、ディケンズ、ボードレール、メリメ。「水」では伊藤整、横光利一、福永武彦。「肌」では丹羽文雄、舟橋聖一、古山高麗雄。「祈」「空」「域」「客」「嘘」・・・・・・。
全部で100冊、300短編だ。
いずれも人間の内面を、ひだを、生命空間を、素朴な人間関係を。またいずれも文章に切れとこくがある。そして、かつての時代が浮かびあがる。良き時代、貧しかったが、時間が人間を中心にゆったりと流れ、気取りもない。生活が、愛が、にじみ出る。
この喧噪の時代、人生と生命、生きるということを考える味わいのある良書ばかりだ。
ポプラ社に感謝したい。

話は戦国乱世、天正6年(1578)から始まり、慶長8年(1603)あたりまで。信長、秀吉、そして関ヶ原、家康へと進む大激動の時代――そこで生きた三人の二代目。上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家の三人の生き残りをかけた苦悩・智慧・勇気が描かれる。
毛利元就の三本の矢、隆元・吉川元春・小早川隆景。その毛利を引き継いだ隆元の子・輝元は叔父の二川(吉川、小早川)と相談して事を進めるが、二川の考えも重なり、思うようにいかない。毛利家が大であるがゆえの苦闘でもある。その外交僧
安国寺恵瓊の動きも活発だ。
宇喜多八郎(秀家)は、したたかな宇喜多直家の悲願の子。ピタッと秀吉について、その意味では路線・姿勢に揺れはない。母親・お福の男まさりの智慧が描かれ、その発する言葉はじつに面白く、的確。
偉大な上杉謙信(妻をもたなかった)のあとを継ぎ、生き抜いた景勝。そこには2人、直江兼続と謙信の姉であり、景勝の母・仙桃院が支える。
お福と仙桃院の2人の女性が、この小説では際立つ。
「二代目は先代の苦しみを知るが、初代は二代目の苦労を知らない」――ダイナミックな歴史小説。
毛利の外交僧である安国寺恵瓊。信長の死を予言した禅僧とも、関ヶ原を演出した男ともいわれるが、戦国乱世をまさに動きに動いた男だ。
「信長の代、五年三年は持たるべく候。明年あたりは公家などに成らるべく候かと見及び申し候。左候て後、高ころびにあおのけにころばれ候ずると見え申し候。藤吉郎さりとてはの者にて候」(吉川家文書)――恵瓊の分析だ。
「わが栄達は、秀吉とともにあった・・・・・・」「毛利家を豊臣政権下での生き残りの道に導いたのは、ほかならぬ恵瓊と小早川隆景の二人である」――。光秀の謀反、中国大返しについて、本書では「拙僧も寝耳に水の話でございました。恵瓊はぬけぬけと言った」とある。知っていたという筋書きだ。関が原に向けて恵瓊、三成、大谷吉継の3人の密談が描かれ、毛利輝元を西軍の総大将と担ぎだすが、恵瓊の前のめり感がよく描写されている。いずれにしても怪物。公明新聞に「安国寺恵瓊」として連載された。
