「沖
縄はごまかしとゆすりの名人」と言ったとして更迭された米国務省日本部長のケビン・メア氏。その発言の真相そのものは本書に書かれているが、それ以上に日
本人の考えと、米国人の考えとの思考回路の異なりが描かれる。それが常に表面化し、ケビン・メア氏はいら立ち、幾度か衝突する。
日 米同盟、日米安全保障についての米国の率直な考えは、先のジョセフ・ナイとリチャード・アーミテージ対談(文春新書)と同様。難問が山積しているのに、危 機に直面しているのに、決断できない日本、優柔不断の日本、希望的観測に頼る日本、先送りする日本――そうした責任を取らず、自己保身を図る日本の政治と 政治家からの脱却をと警告する。
「マッカーサーの財宝、200兆円を隠匿せよ」――1945年8月10日、阿南陸軍大臣、杉山元帥、梅津参謀総長ら5人に託された真柴大佐と小泉中尉と運転手役の曹長の3人。弾薬工場に運ぶ役を担った13歳の女生徒35人。8.15を境に、マッカーサー、日本国憲法制定にかかわったあのホイットニー、日系の通訳イガラシ中尉がそれにからむ。緊迫した生死をかけた極限の世界を描いた浅田次郎20年前の迫真の作品。エネルギーが伝わってくる。
日輪の遺産は財宝ではない。日本という国に蓄積された底力、日本人一人ひとりに備わる意志とエネルギー、世界にない勤勉で、勇敢で、優秀な民族の底力を、マッカーサーに語らせ、34人の女生徒の死で表わし、小泉の有能や真柴の責任と決定心で示している。諸現象の表裏、戦いの勝敗を越えて国家の興亡の核心は、そうした背骨がありやなしや、責任と勇気がありやなしやではないのか。浅田次郎の源流を見る思いだ。
あの90年
代前半の政治改革論議。小選挙区制に比重が置かれたのは、「政党中心、政策中心の選挙制度が大切」「政権交代のある二大政党制」「自民党における派閥争
い、カネをめぐっての中選挙区制への忌避」そして「アメリカやイギリスが持つ二大政党制こそがデモクラシーの王道である」などという強力な刷り込みと思い
込みがあったと指摘する。
「単 峰型社会では二大政党のイデオロギーや政策は収斂傾向をもつ」「だからこそ、両端の社会層はコストを払うことになり、地域の切実な課題に、政治は応え切れ ない」「選挙は政策論争でなく、政権選択のゲームと化す」「政党は首尾一貫した綱領などイデオロギーに支えられるのではなく、政権奪取ゲームを繰り広げ る。政策も政権政党への批判を軸にして組み立てがちになる。また対立的政策を出す誘惑にかられもする」「政党は人気取りに邁進し、世論調査に振り回され劇 場政治がつくり上げられる」「連立政権は不安定といわれたが、連立政権と内閣の安定性とは関係ない」――。
吉 田さんは、世界の政党と選挙制度を歴史的、現実的に分析しつつ、「多極共存型デモクラシー」や「闘技デモクラシー」を紹介する。「日本政治に欠けているの は"強いリーダーシップ"や"政策本位の政治"などではなく、"政治は自分たちのためにあるもの"という感覚なのではないか」とも言っている。今、選挙制 度のみならず、政治全体の改革が求められる。
時間的にも空間的にも、哲学的にも俯瞰して、寺島さんは、東日本大震災から世界の中の日本を考え、日本の創生を語る。語るというより、熱が感じられる。
小林秀雄は「現代人は鎌倉時代のなまくら女房ほども、無常ということがわかっていない」といったが、生老病死、死に直面しても、どうも「どういう反省」を
し、「どうとらえるか」の意識変革すらない。それが日本創生の熱源とならなければならないのに......。そんな思いが本書からあふれ出ている。
かつて「暴走老人!待てない、我慢できない、止まらない」(藤原智美著)や「祖母力」(樋口恵子著)なども興味深く読んだが、曽野綾子さんは、年を重ねても自立した老人になっていない、年のとり方を知らない(......してくれないというくれない族)が
増えていることを問題とする。「自立と自律の力」「孤独と付き合い、人生を面白がる力」などが大切。老いの才覚=老いる力を持つことが重要だという。「い
くつになっても話の合う人たちと食事をしたい」「あるか、ないか、わからないものは、あるほうに賭ける」「孤独と絶望こそ、人生の最後に充分味わうべき境
地なのだと思う時がある」、そして最後のブラジルの詩人の「浜辺の足跡」は印象的だ。
12年前の「中年以後」とあわせ読むと感銘深い。「『老いの才覚』が大変なベストセラーになってしまって......」とか、時代そのものを曽野さんは感じているのかもしれない。両書の微妙な変化もまた「老いの才覚」なのか。
